56話 割れた結晶
「ルイス! アイリス! 無事か!?」
地下室に響き渡ったのは、ウィルバートの焦燥に満ちた声だった。
息を切らせて飛び込んできた彼は、アイリスを抱きしめながら彼女に迫るルイスの姿を目撃し、その場に一度硬直する。
「………………無事でなによりだが……邪魔したか?」
硬直したまま放たれたウィルバートの声に、ルイスは少し残念そうな表情を浮かべる。
「はぁ……惜しいところですが、今はそれどころではなさそうですね」
そして、名残惜しそうにアイリスの頬をソッと指の背で撫でるのだった。
○
ウィルバートが連れてきてくれた救護担当の教員たちと共に、一同は地上へと帰還した。
そして、アイリスは今――
ルイスの胸の前で、横抱きに抱えられていた。
地上へ向かう際、魔力切れでフラフラな彼女を見かねたルイスが抱き上げようとしたが、モブ令嬢としての理性で「結構です!」とアイリスは全力で拒絶した。
けれどルイスは「ふふっダメです。大人しく私に抱えられてください」と穏やかな口調と笑みでありながら、アイリスの抵抗を完全に無視し、強引にお姫様抱っこを成し遂げたのだ。
腕の中で暴れようにも、ルイスは謎の体幹の良さを発揮しアイリスを離そうとしない。彼女には、この羞恥を受け入れる選択肢しか残されていなかったのだ。
校舎付近に来ると前方へクロエたちの姿が見えてくる。
「ルイス様、本当にもう下ろしてください……! みなさんの前なので……!」
「はいはい。……無理はしないでくださいよ?」
ルイスはようやくアイリスを地面へと下ろすと、足元がおぼつかないアイリスを支えるように並び立つ。
するとこちらに気づいたクロエたちが一斉に駆け寄ってきた。
「アイリス様! ルイス様! ご無事で本当によかった……!」
「貴女、魔力がほとんど空っぽじゃない! 無茶ばかりして!」
一目散に抱きついてきたクロエとローズも魔力を消耗していたが、大きな怪我はなさそうだった。三人で顔を見合わせ、安堵したように微笑み合う。
「アイリス嬢をよく守りきったな、ルイス」
ディランは誇らしげにルイスの肩を掴み、賞賛の言葉を投げかける。その隣で、ジークも心底安堵したような優しい笑みをアイリスへと向けた。
「アイリス、本当に無事でよかった……」
前線で戦っていたジークとディランも、多少の泥や擦り傷はあるものの大きな負傷はない。
見上げれば、あれほど飛び回っていた黒い蝶は一匹残らず消滅しており、どんよりとしていた不気味な瘴気も嘘のように晴れていた。
「みなさんもご無事で、本当によかったです……! 瘴気の影響は大丈夫ですか?」
「アイリスの結晶のおかげで俺たちは平気だよ。……あ」
ジークは胸ポケットから、アイリスが贈った呪詛返しの結晶を取り出した。けれど彼の掌の上にある結晶は本来の真珠のような白さを失い、半透明へと変色し二つに割れてしまっている。それは効果を失った証だった。
「ジークは一番前線に立って、蝶の群れを引き受けてくれていたからな。誰よりも多く瘴気の影響を受け、限界を迎えたのだろう」
ウィルバートの言葉に、アイリスはパッとジークを見上げた。
ジークの得意な魔法は、どちらかといえば戦闘向きではない。それでも率先して前に出て、みんなの盾となって守ってくれたジークに、アイリスは敬意を込めた眼差しで真っ直ぐ見つめる。
「そうだったんですね……。みんなを守ってくださって、本当にありがとうございました、ジーク様」
「アイリスこそ。この終息は君とルイスが根源を絶ってくれたおかげだよ、ありがとう」
ジークは少し照れくさそうに、けれど柔らかくアイリスに微笑み返した。
すると彼の掌に置かれた結晶が、月光に照らされ僅かに反射する。もうアイリスの魔力すら感じない、ただの結晶となってしまったソレをこれ以上、彼が持つ意味はないだろう。
「その結晶は、私が回収して処分しますね」
結晶の破片を受け取ろうと手を伸ばすと、ジークは咄嗟に掌を引いてアイリスの手を避けてしまった。
「それはダメ…………!」
「ですが、もう魔術的な効果は残っていませんよ?」
「それでもこれは……アイリスが、俺に贈ってくれたものだから…………」
ジークは割れた結晶の破片を、まるで世界に一つだけの宝物であるかのように両手で優しく包み込む。
大切そうに結晶へ視線を落とす彼の姿を、アイリスは考え込みながら見つめる。そして名案を思いついたように、ジークへ優しく微笑みかけた。
「……わかりました。ですが少しの間だけ、結晶を私に預けてくださいませんか? 必ずお返ししますから」
「…………それなら。……うん、わかった」
ジークは名残惜しそうにしながらも、アイリスの手へそっと結晶を託してくれた。
すると地下から担架に乗せられた、ブランカが彼女たちの横を通り過ぎる。
ゲームのシナリオとは異なるものの、召喚の実行犯は彼女ということになる。
ウィルバートの婚約者に選ばれなかった腹いせによる凶行。けれど、そう片付けるには、少し違和感があった。
「この騒動の首謀者は、本当にブランカ様なのでしょうか……? 私が見た彼女は、意識を持たない人形のようでした」
アイリスが不審な点を呟くと、隣に並ぶルイスが冷ややかな声音で言葉を落とした。
「ブランカ嬢は、操られていただけですよ。僅かですが、彼女のから『深淵結晶』の気配と、彼女のものではない別の魔力を感じました」
アイリスが驚いて顔を上げた、まさにその時――




