55話 溢れた想い
「アーテルの召喚術式では、太陽や月光を遮る必要があります。ですから召喚場所は、恐らく光の届かない地下」
ルイスが隣を並走しながら、鋭い声を飛ばす。
「地下……もしかして!」
アイリスの脳裏に、かつてルイスと共に第二図書館の奥で『秘密の地下書庫』を探索した時の記憶が鮮明に蘇った。学園の古い地図の中で、地下構造が存在すると記されていた場所は、一つしかない。
「西側にある、旧研究室の地下……!」
「ご名答です」
ルイスは目を細め頷いた。
旧研究室の朽ち果てた建物の前に到着した二人は、研究室の裏手にある茂みの奥に、瘴気が絶え間なく溢れる地下へと続く階段を見つけた。
ひんやりとした不気味な石造りの通路を突き進むと、最奥に厳重な古い一枚の鉄の扉が立ちはだかる。
その扉の結界は既に何者かにやって壊された後。ルイスが扉を慎重に開くと、奥から中型の蝶が一斉に飛び出してきた。
「下がってください!」
ルイスがアイリスを背後に庇うようにして一歩前に出ると、虚空から無数の鋭利な氷の槍を出現させた。それらは正確に蝶たちを貫き、一瞬にして灰へと変えていく。
その魔法の発動の速さにアイリスが感心している前で、ルイスは消え去る灰の奥、怪しく光る地下室の中心を見据え鋭く目を凝らした。
「……あれは、ブランカ・ボルジア侯爵令嬢……!?」
『ブランカ・ボルジア侯爵令嬢』――アイリスはその名前に聞き覚えがあった。
「それって……ウィルの婚約者候補だった方の……!」
ローズのお茶会の席で、ウィルバートの婚約者候補として名を挙げられていた令嬢だ。ローズが正式に選ばれて以降、寮に引きこもっていると噂になっていた人物。
アイリスがルイスの広い背中からそっと顔を覗かせると、部屋の中央に今にも開きそうな巨大な植物の『蕾』。そしてその傍らに、ブランカが佇んでいた。
彼女はうつろな瞳のまま魔導書を両手で抱え、壊れた人形のように呪文を唱え続けている。ブランカはこちらに気づくと、感情の消えた瞳を向け容赦のない攻撃魔法を放ってきた。
しかし、ルイスが瞬時に強固な氷の結界を展開させ防ぐ。同時にアイリスが彼女の手元を狙った風を起こし、ブランカの手から魔導書を吹き飛ばした。
魔導書が床へと転がった瞬間、ブランカは糸の切れた人形のように、その場へ崩れ落ちて意識を失った。
「……よかった。ただ眠っているだけみたいです」
彼女のもとに駆け寄ると、軽傷を負っているものの息はある。アイリスが安堵し、ルイスを振り返れば、彼は深刻な表情でただ一点を見つめていた。
目線の先にある巨大な蕾は、不気味な鼓動を刻み黒い魔力を漏れ出していた。
「今にも目を覚まそうとしている……術式を上書きし、魔物を封印しなおす必要がありますね」
ルイスはアイリスへ視線を移した。
「私一人で無理やり押さえ込むには、時間が足りない。貴女の力が必要です、アイリス嬢。手伝ってください」
封印の知識はあるが、これほど膨大な魔力を秘めた魔物に封印術式を施すなんて試したことがない。
(できるだろうか……私に、モブ令嬢に)
アイリスの紫の瞳が不安に揺らぐ。そんな彼女の動揺を察したように、ルイスはアイリスの両手を強く包み込んだ。
「大丈夫です。貴女の魔法に対する真摯な情熱と、その聡明さを私は誰よりも信じている。――だから貴女も、自分を信じてください、アイリス嬢」
深く、吸い込まれそうなほど真剣な青い瞳。その視線に背中を押され、アイリスは力強く頷いた。
「はい……! やってみます!」
二人は並んで巨大な蕾へと手を翳した。
流れ込んでくる召喚術式の濁流。アイリスはこの世界で得たすべての知識を総動員し、術式を書き換えていく。
しかし、モブとしての魔力総量が少ないアイリスの身体に急激な疲労が襲いかかる。視界がぐにゃりと歪み、魔力が枯渇しかけたその時だった。
隣で同じように術式を書き換えていたルイスの手が、アイリスの手の上に重ねられた。流れ込んできたのは冷たく、けれど心地よいルイスの魔力。
彼の魔力でアイリスは一気に出力を高め、二人で封印の術式を完成させた。
その瞬間、光が弾ける。
封印術式が蕾を覆うと、大きな音を立てて蕾の表面が激しくひび割れ、内部から膨大な黒いモヤの毒霧が噴き出した。
「アイリス……!」
ルイスは咄嗟にアイリスの身体を自身の胸の中へ抱き寄せ、自分たちと床に倒れているブランカの周囲に氷の結界を展開した。
凄まじい衝撃波が結界を叩く。やがて巨大な蕾は黒いモヤと共に、その姿を完全に消し去っていった。
静寂が戻った地下室で、二人はゆっくりと顔を上げた。瘴気は完全に霧散し、魔物の封印は見事に成功したのだ。
「終わ、った……。る、ルイス様! お怪我はありませんか!? どこか痛むところとか……!」
アイリスは我に返り、自分を抱きしめているルイスの身体を慌ててペタペタと触れながら傷の有無を確認した。多少の疲労は見られるものの、夢で見たようなひどい傷はどこにもない。
安堵で胸を撫で下ろすアイリスを見て、ルイスは困ったように笑った。
「私は大丈夫ですよ。そんなことよりも、ご自分の心配をなさったらどうですか。魔力を使い果たして、立っているのもやっとでしょう?」
ルイスは腕の中のアイリスを慈しむかのような、甘く深い眼差しで見つめた。
「アイリス嬢、本当によく頑張りましたね」
そっと、長い指先が彼女の白い頬を優しく撫で、ルイスの体温が伝わってくる。
(ルイス様が、生きている……)
目の前で、優しく微笑んでくれている。
バッドエンドの惨劇を乗り越えたという確信と彼が生きて、アイリスの目の前にいるという事実に、胸の奥のつかえがすっと消え去り――
「………………私、ルイス様のことが好きです」
抑え込んでいた本心が、無意識のうちに唇から溢れ出してしまった。
目の前のルイスは驚いたように、青い瞳を見開かせ固まっている。そんな彼の表情を見て、アイリスはハッと我に返った。
絶対に伝えてはいけないと思っていたはずの想いを、告白してしまったことに気づき、みるみると顔を青く染めていく。
「あ、あの今のは…………じょ、冗談です! 忘れてください!」
慌てて撤回しようと目を逸らすアイリスだったが、ルイスは逃がさないと言わんばかりに、抱きしめる腕の力をぐっと強め顔を覗き込んできた。
「冗談? ……本当に?」
ルイスの瞳に、恐ろしいほどの真剣な熱が宿る。彼は顔をじわじわと近づけ、アイリスのすぐ側で囁くような甘い声音で問いを重ねた。
「ねぇ、アイリス嬢……本当に、冗談なんですか?」
至近距離で見つめてくる彼の美貌に、アイリスは腕の中で背中を精一杯逸らす。けれど視線の波は押し寄せるばかりで――
「………………冗談、では、ありません……」
震えた蚊の鳴くような声でアイリスは、認めてしまった。自身の頬に熱が籠るのを感じていると、頭上からふっと小さな笑い声が聞こえた。
「ふふっ」
ルイスはアイリスの逸らした顔を自身の方へ向かせるように顎へ手を添える。無理やり上を向かされた先にあったのは、甘い幸福に満ちた微笑みを浮かべたルイスだった。
「っ……」
「ねぇ、アイリス嬢。私も――」
そしてジッとアイリスを見つめたまま、彼の顔がさらに近づけられた瞬間。
バァン!! っと大きな音を立てて、地下の扉が勢いよく開け放たれた。




