54話 魔物の正体
「この無数に舞う黒い蝶は恐らくその魔物の眷属で、蝶の放つ鱗粉を吸い込むと、強制的に意識を奪われ眠らされてしまいます!」
アイリスの言葉に、ルイスは顎に手を当て考え込むように視線を下へと落とした。
「その特徴……召喚されようとしている魔物の正体は『アーテル』ですね」
「アーテル? そんな魔物の名、聞いたこともないぞ」
ウィルバートが訝しげに尋ねると、ルイスは静かに首を振って応じる。
「遥か昔に出現した魔物ですから、記録が少ないのですよ。以前…………とある家の書庫で見かけた書物に、その詳細が記されていました。アーテルには、性質の異なる二種類の眷属が存在します。今周囲を舞っている小型の蝶は、アイリス嬢のおっしゃっていたとおり、人間の意識を奪う力を秘めた個体です」
ルイスは周囲の瘴気を細い指先で払うような仕草をしながら、淡々と、けれど警戒を孕んだ声音で説明を続けた。
「そしてもう一種の中型の蝶は攻撃性が高く、その羽は鋼の刃のように鋭い。本体であるアーテルは、召喚直後は巨大な黒い塊のような姿をしていますが、太陽や月光を浴びることで羽化し、巨大な蝶の姿へと変貌を遂げます。ひとたび羽化すれば周囲に毒霧を放ち、その霧に呑まれて動けなくなった人間を次々と取り込む、極めて危険な魔物です」
ルイスがその言葉を締めくくると同時に、茂みの奥から中型の蝶が数匹、鋭い羽音を立てて飛び出してきた。
「次から次へと……!」
ディランが腰の長剣を鋭く引き抜き、蝶の羽を切り裂く。間髪入れずにルイスの放つ氷の礫と、ウィルバートの雷撃、ジークの竜巻が容赦なく襲いかかる蝶たちを迎え撃った。
しかし倒しても倒しても、新たな蝶が次々と現れる。そればかりか周囲の瘴気はさらに濃度を増し、視界を黒く染め上げようとしていた。
呪詛返しの結晶があるとはいえ、この濃度の瘴気に晒され続ければ、いつ石が限界を迎えて砕けるか分からない。
「クロエ! お願いがあります!」
アイリスは、混乱したように背後に控えていたクロエの手を強く握った。
「瘴気を浄化する祈りをここで捧げてください! この事態を収束させるには、貴女の持つ光魔法の力が必要不可欠なんです!」
「は、はい……! やってみます!」
クロエは怯えを振り払うように頷き、両手を組んで祈りの姿勢に入った。しかしこの大規模な浄化には極めて精密な魔力操作が必要であり、術の最中の彼女は完全に無防備になってしまう。
「クロエ様の周囲は、わたくしが守りますわ!」
ローズがすかさず一歩前に出た。彼女が地面に手を翳すと、無数の鋭い茨がクロエを取り囲む強固な防壁を作り上げる。更に彼女達を、囲むようにして男性陣が前に立つ。
「アイリス! 君も後ろに下がってくれ」
「ウィル、私はこの召喚術式の根源を探しに行きます! みなさんはどうか、ここで持ち堪えてください!」
アイリスが今にも走り出そうとした、その時だった。
「待ってください、アイリス嬢……!」
強い力で手首を掴まれ身体が引き戻される。振り返れば、ルイスが真剣な眼差しで彼女を見つめていた。
「私も一緒に向かいます」
その言葉に、アイリスの脳裏に最悪な光景がフラッシュバックした。
血を流して冷たく横たわる、ルイスの姿――
今から向かうのは、最も危険な場所だ。もしも彼がまた、あの夢のように命を落としてしまったら……
アイリスは、小さく瞳を揺らす。
ただ、怖かった。
ルイスの傷ついた姿を、見ることが。
ルイスのいない、未来が。
「ダメです……! ルイス様は、ウィルたちの側に残って彼らを支えてください!」
アイリスが必死に拒絶すると、ルイスは掴んだ手にさらに力を込めどこか怒りを孕んだ、けれど切実な声で告げた。
「私は貴女を失いたくないんです……っ!」
その揺るぎない情熱に射抜かれ、アイリスは激しく葛藤しながらも頷くしかなかった。
「…………わかりました。ですが、約束してください。決して、無茶な真似はしないでください」
「一番無茶ばかりしている貴女にだけは、言われたくないですね」
ルイスは一瞬だけ、柔らかな微笑を浮かべると、すぐさま背後のウィルバートたちを振り返った。
「ディランはローズ嬢とクロエ嬢を。ジーク、貴方はウィルを必ず守りきってください」
「ああ、わかった」
「……はいはい、言われなくても、そのつもりだよ。ルイスこそ、アイリスをちゃんと守ってよ」
「ええ、必ず」
ジークは呆れたように肩をすくめながらも、信頼の籠もった笑みをルイスに返した。
「召喚の場所には心当たりがあります。行きましょう、アイリス嬢」
ルイスの先導のもと、二人は瘴気が渦巻く、広大な森の中へと駆け込んでいった。




