51話 最後に一曲
「…………ルイス様!?」
月光に照らされたルイスはアイリスを後ろから抱きしめるように肩へ腕を回したまま、目の前に立つジークを鋭い眼差しで睨みつけている。
「ジーク……貴方、今……」
ルイスは言葉を発しながらアイリスの顔を心配そうに覗き込むが、当の本人はルイスの登場に驚きキョトンとしているだけ。
頬すら赤らめていないアイリスの様子に、ルイスは安堵の息を吐き出し肩の力を抜くと、アイリスの身体を解放してくれた。
「…………紛らわしいことをしないでください」
心底呆れ果てた様子のルイス対し、ジークは少し不満げに目を細めながらアイリスの手を掴んで自身の方へに引き戻した。
「もし、何かしてたとしてもルイスには関係ないでしょう」
「……はい?」
ルイスは微笑みを浮かべたまま、その青い瞳の奥に黒い苛立ちを揺らめかせる。
アイリスは、ジークの様子がいつも通りに戻ったことには安心したものの、二人が何の話をしているのか分からず困惑するばかりだった。
「それに、ルイスには言われたくないな。アイリスにこんな指輪まで贈っておいてさ〜〜……意味、分かっててやってるでしょ?」
「ええ、もちろん。意味を理解した上で贈りましたけど、それがなにか?」
ルイスは躊躇うことなくアイリスの右手を取り、その小指に嵌まるブルーサファイアの指輪を嬉しそうに眺めた。そしてその青の双眸に、深い愛おしさを込めてアイリスを見つめる。
「指輪、きちんとつけてきてくださって安心しました。そのドレスも貴女の美しい紫の瞳に映えて、よく似合っています。どんな花よりも貴女が一番、綺麗ですよ」
「あ、ありがとうございます……。ジーク様が用意してくださったドレスのおかげです」
「…………そうですね。今回ばかりは、ジークの審美眼にも感謝しなければいけません」
ルイスはそこで一度言葉を区切ると、アイリスとの距離をわずかに詰めて顔を覗き込む。
「――ですが、どんな極上のドレスも貴女が身につけているからこそ、美しく輝いて見えるのですよ」
ルイスから注がれる視線に、アイリスは居た堪れず顔を逸らした。
褒めてもらえることは嬉しいが、アイリスは所詮、地味なモブ令嬢。もっと美しい令嬢は山ほどいる。彼の言葉もお世辞なのだろうと、頭ではわかっている。
それでも少しだけ、彼の言葉を受け取るように、アイリスは、はにかんだ笑みでルイスを見上げた。
「…………嬉しい、です。ありがとうございます」
これほど真っ直ぐに言葉を贈られても、アイリスはまだどこかお世辞半分として受け止めている。そんな様子を察したルイスはため息を吐き出した。
そして「貴女って本当に鈍いですよね」と悪態をつくと、不意に握っていたアイリスの手を引いて自身の方へと引き寄せる。視界が僅かに傾き、耳元へ彼の唇が下された。
「今夜のアイリス嬢は、見惚れてしまうくらい美しいというのに……。最後に私と一曲、踊っていただけませんか?」
月光に照らされたルイスは、悪戯っぽく微笑んだ。
プロムの最後を締めくくるダンスは、婚約者や慕っている相手と踊るのが主流だと聞いたことがある。ルイスがそんなことを考えているとは思えないけど、不意を突かれたアイリスはドクリと心臓を大きく跳ねさせた。
だがすぐに己が置かれた現実を思い出し、胸の動揺を振り払うように勢いよく首を横に振った。
「だ、ダメですよ! それよりもルイス様は早くフィーネ様のところに戻らないと……」
「抜けてくると伝えてあるので問題ありませんよ。ねぇ……アイリス嬢、お願いです。私に想い出をいただけませんか?」
凍てつく氷が溶けるかのような、切実に強請る瞳。その真っ直ぐな視線に耐えかねて、アイリスは救いを求めるように隣に立つジークへと目を向けた。
だがジークはそんなアイリスから目を背け、優しく繋いでいた手を静かに離した。深い影に紛れるジークの横顔には笑顔が貼り付けられている。
でもそれが彼の本心ではないことくらい、アイリスにだってわかる。
離れていこうとするジークの手を、今度はアイリスの方から繋ぎ止め、その勢いのまま目の前のルイスを見上げた。
「今夜の私は、ジーク様のパートナーなのでルイス様とは踊れません」
寂しがり屋なジークをこのまま一人にしてしまったら、きっとまたあの悲しい表情をさせてしまう。決意を持って、アイリスがジークに視線を移すと――
「…………っ」
そこには顔だけでなく耳まで真っ赤に染め上げ、灰色の瞳を限界まで見開いて固まっているジークの姿があった。
寂しげな雰囲気はなくなったものの彫刻のようにピタリと停止してしまっているジークの様子に、アイリスは眉間に微かな皺を寄せながら、その顔を更に覗き込む。
「……ジーク様?」
「あっ……や、その…………」
ジークは視線をあちこちに泳がせながら、慌ててアイリスから顔を逸らした。けれどアイリスによって繋がれた手へ視線を落とし息を呑むと、再びアイリスに灰色の瞳が向ける。その眼差しは、うっとりと、どこか熱を帯びているようだった。
するとジークは引き寄せられるように、ピッタリと彼女に肩を寄せると、たまらないといった風にアイリスの頭へ自身の頬をすり寄せる。
「はぁ……どうしよう……嬉しすぎて………夢?」
「ジーク様、眠いんですか?」
ポヤポヤと間の抜けた様子で頭の上に花を咲かせそうなジークを、アイリスは人懐っこい大型犬のように思った。彼の髪はふわふわと柔らかく、そうして甘えてくる姿は可愛らしい。
ジークはアイリスと握り合う手のぬくもりを噛み締めるように見つめ、そっとアイリスの指先を優しく撫でる。
「アイリス、本当にありがとう。……でも――」
彼は静かにアイリスの耳元へ顔を寄せ、彼女にしか聞こえない声で囁いた。
「ルイスと話せなくて、寂しそうにしてたでしょう?」
「え……っ」
アイリスが弾かれたように顔を上げると、ジークは呆れたような、けれどどこまでも優しい微笑みを浮かべてアイリスを見つめる。
「俺は今夜、たくさんの宝物を貰ったから。だから、大丈夫だよ。行っておいで」
促すようにポンポンと軽くアイリスの手の甲を叩くと、彼は潔く彼女の手を離した。その温もりの余韻が消えゆく中で、アイリスは迷うように瞳を揺らす。
(いいのかな……特別な夜にルイス様と、想い出を作ってしまっても)
庭園を包み込む張り詰めた静寂の隙間から、遠くの会場で奏でられる、ゆったりとした終幕の音色が漏れ聞こえてくる。それはまるで全ての物語が終わりへと向かうカウントダウンのようだった。
(ルイス様とは、あと一ヶ月で会えなくなってしまう……)
彼が生きる未来とアイリスの未来が、もう交わることはないだろう。その寂しさが胸の奥で鋭く疼く。このひと時を、彼との記念にできるなら――
「……一曲だけ」
アイリスが意を決してそう告げると、ルイスは形の良い唇にひときわ深い微笑みを浮かべ自身の胸に手を当て優雅に一礼をする。
「光栄です、アイリス嬢」




