44話 呪詛返しの結晶(1)
あの凄惨な悪夢を見て以来、アイリスの日常は一変した。
大好きな人たちが血を流すあの未来を、何が何でも阻止しなければならない。
(ただ怖がっているだけでは何も変わらない。できる限りの対策を練らないと……)
まず着手したのは、ヒロインであるクロエの育成だった。あの夢の中で学園を覆っていた瘴気を浄化するには、彼女が持つ希少な光属性の魔法が必要不可欠となる。
アイリスはこれまで以上に、放課後や休日にクロエへに魔法を教える機会を増やした。
「アイリス様と過ごす時間が増えて嬉しいです! 私、もっと頑張りますね」
「頼もしいです! クロエ! 一緒に頑張りましょう!」
健気に微笑むクロエの愛らしさに癒やされつつも、アイリスの内心の焦燥が消えることはなかった。
(クロエの魔法の扱いは順調。……ただ、召喚される魔物の正体が未だ掴めないなんて)
夢の中で見た光景は濃い瘴気に包まれており、中央に鎮座していた魔物が何者なのか、その詳細な姿までは判別できなかった。
アイリスは学園の図書館だけでなく王都の図書館で、ありとあらゆる歴史書や魔物に関する古文書を徹底的に調べ上げた。
しかし、いくらページをめくっても、あの禍々しい影に合致するような魔物の記述は見つからない。
(おかしい……これほど大規模な崩壊を引き起こすような存在が、どの文献にも載っていないなんて…………)
ふと、記憶の断片が脳裏をよぎる。夢の中で横たわっていた生徒たちは、不思議なほどに五体満足で大きな外傷を負っていなかった。
まるで、ただ深く眠らされているかのように。そしてその周囲を無数に飛び交っていた、不吉な黒い蝶の群れ。
(もしも、あれが肉体を切り刻むような魔物ではなく、精神や魂を蝕む『呪い』を放つ魔物だとしたら……)
もしその仮説が正しいのなら、ただ防御魔法を鍛えるだけでは防ぎきれない。
(呪いを跳ね返すような……あらかじめ身を守るための物が必要)
そこでアイリスが目をつけたのは『呪詛返しの結晶』の錬金だった。
文字通り、呪いを跳ね返す効果のある白い結晶。それがあれば、万が一の時に大切な人たちの命を繋ぎ止める盾になってくれるはずだ。
アイリスは夜な夜な学園の研究室に篭り、ひたすら結晶の錬金に没頭した。
夢の中で傷ついていたみんなの顔を思い浮かべながら、慎重に術式を刻み込んでいく。
そして数日後。
「やっと、全員分できた……」
机の上に並んだそれらを見て、アイリスは小さく息を吐き出した。もう魔力が切れてヘトヘトである。
すると静まり返った研究室の扉がガラリと開き、廊下の暗がりに立つ見回り中の教員の厳格な声が室内に降ってくる。
「まだ残っている者がいたのか。さっさと片付けて、寮へ戻りなさい」
「すみません……! 今片付けます!」
アイリスは弾かれたように慌てて声を裏返す。時計の針はとうに消灯時刻を過ぎていた。
「片付けは先生も手伝ってやるから……」
散らばった机へ視線を向けた教員が、呆れて研究室の中へ進もうとしたその時。廊下の奥からもう一つ、規則正しい足音が近づいてくるのが聞こえる。
「――彼女の片付けは私が手伝いましょう。先生は気にせず見回りに行かれてください」
開かれた扉から顔を覗かせたのは、上品な微笑みを浮かべたルイスだ。
「ああ、ルイス・ハワードか。ではここは君にお願いしよう。後で鍵をかけにくるから、それまでに片付けておくように」
「はい、承知しました」
教員は生徒会長であるルイスの言葉を信用した様子で、そのまま廊下の奥へと立ち去って行った。
遠ざかる足音を見送ると途端に、ルイスはアイリスの元まで歩み寄りながら、上品な仮面の裏にある呆れたような顔を覗かせた。
「る、ルイス様……? こんな時間に、どうされたのですか?」
「生徒会長の雑務を終えた帰りですよ。……貴女こそ、今何時かご存知ですか? こんな時間まで熱心に、何を作っているのですか?」
いつもと変わらない美しい敬語。けれどその声音には明らかな低さと、ほんの少しの怒りの色が混ざっていた。長い睫毛に縁取られた青い瞳が、じっとアイリスを射抜くように見つめている。
「……みなさんに、日頃のお礼としてお守りを作っていたんです……!」
アイリスは咄嗟に、しどろもどろな言い訳を口にする。さすがにバッドエンド回避の為に作った、などとは言えなかった。
視線を泳がせるアイリスの様子に、ルイスは不審に思いながら目を細める。そして小さく息を吐くと彼女の細い肩越しに、背後にある机へと視線を下ろした。
「お守り? ……これは呪詛返しの結晶ですか? これほどの精度と量を、貴女お一人で?」
机の上に並ぶ白く輝く美しい結晶を捉えると、ルイスの青い瞳が驚くように僅かに見開かれた。
「私の魔力は少ないので、かなり時間がかかってしまいましたけど……」
アイリスは自嘲気味に、力なく苦笑いを浮かべる。
呪詛返しの結晶を高精度で錬金するには、極めて繊細な魔力操作と相応の魔力量が必要となる。ただでさえ魔力量の多くないモブの自分にとって、この作業は文字通り身を削るようなものだった。
アイリスは疲労感を抱えたまま、机の上から小さな白い結晶を一つ拾い上げる。そして震える手で、ルイスへと差し出した。
「あの、拙い物ですが……ルイス様にも受け取っていただきたいです!」




