42話 バラ園での報告会
放課後。
大輪のバラが咲き誇る見事なバラ園の中央、白磁のティーテーブルを囲んでいるのは、アイリス、ローズ、クロエの三人である。
紅茶の香りが心地よく漂う中、アイリスとクロエは目の前のローズに心からの笑顔と祝福を向けていた。
「ローズ様、ウィルバート殿下とのご婚約、心よりお祝い申し上げます!」
「おめでとうございますローズ様! 私も自分のことのように嬉しいです!」
アイリスに続き、クロエが両手を胸の前で合わせ黄緑色の瞳をきらきらと輝かせる。すると赤髪を揺らしたローズは扇で口元を隠しながら、ふいと視線を斜め上へと逸らした。
「ふん! 当然の結果ですわ!」
高飛車な口調とは裏腹に、その頬はうっすらと赤に染まり金色の双眸には隠しきれない喜びが満ちている。
「……ですが、もう一人の候補であられた『ブランカ様』には、少しばかり悪いことをいたしましたわ。正式なお断りの報せが届いてから、ずっと寮の自室に籠られておいでだと聞いておりますの」
ふっと表情を曇らせ、憂いを帯びた溜息を漏らすローズ。その言葉に、アイリスはティーカップを寄せる手を止めた。
(ブランカ様……? 乙女ゲームには、そんな名前のキャラクターはいなかったはず……)
本来なら学園入学の時点でローズがウィルバートの婚約者に選ばれていたから、ゲームでは登場しなかったキャラクターなのかもしれない。
それでも寮に引き籠るほどにショックを受けた令嬢を思い、アイリスの胸が少しだけ痛む。しかし、ローズはすぐに扇を握り直しパッと顔を上げた。
「選ばれたからには、わたくしが殿下をお支えするのみですわ。彼女はとても優秀な方なのだから、さっさと心の傷を癒して、また前を向いてくださると信じていますわ」
誇り高く、けれど競争相手への優しさを忘れないローズの言葉にアイリスとクロエは自然と顔を見合わせ、ふわりと笑みをこぼした。
「ローズ様は、本当に素敵な方ですね」
「さすがです! ローズ様!」
「な、何をおっしゃるの、お二人とも! わたくしは別に……」
ローズの照れ隠しが微笑ましくて、お茶会の空気はいっそう和やかなものへと変わっていく。
すると今度は、クロエが遠慮がちに手を挙げた。
「あの……実は私からもお二人にご報告したいことがあります……」
「あら、なんですの? クロエ様」
ローズが首を傾げるとクロエは頬をりんごのように赤く染め、小さな声を絞り出した。
「ディラン様と……お付き合いすることになりました……!」
「「わあ……!」」
アイリスとローズの声が重なる。
「おめでとうございます、クロエ! あのディラン様を、よくぞ射止めましたね!!」
アイリスは心からの驚きと称賛を込めて言葉を贈った。なにしろ相手は、絶望的なまでに恋愛に疎い天然堅物男だ。
クロエはもじもじと指先を絡ませながらも、芯のある瞳を向けた。
「何度もお慕いしているという気持ちを、言葉でお伝えして……そうしたら、ようやく『俺で良ければ』と、引き受けてくださったんです!」
本来は悪役令嬢だったローズも、ヒロインであるクロエも、それぞれが望む最高のハッピーエンドに向かって歩みを進めている。なんて喜ばしいことなんだろう。
幸福感に包まれながら、アイリスがそっと紅茶に口を付けていると……ローズとクロエの視線が同時にアイリスへと注がれる。
「……それで、アイリス。貴女はどうなのよ?」
ローズが探るような目で身を乗り出せば、クロエもまた期待の籠った瞳で距離を詰めてきた。
「そうですよ! アイリス様はお慕いしている方はいらっしゃらないのですか? 例えば――」
「ジーク・ナイトフォールとか」
「ルイス様とか!」
重なり合った二人の声が、静かなバラ園に響き渡る。
ローズとクロエはお互い見つめ合い、まるで見えない火花を散らすかのように眉を寄せた。
「ジーク様とアイリスは、お互い繕わずに本心を見せあえる素晴らしい関係ですのよ? あんな腹黒そうなルイス様より、よっぽどお似合いだわ」
「そんなことありません! ルイス様はアイリス様には特にお優しく、アイリス様を見つめる瞳には愛が溢れていますもの! アイリス様にふさわしいのは、絶対にルイス様ですよ!」
ローズが挑戦的な笑みを浮かべれば、クロエも負けじと瞳を細めて応戦する。睨み合う二人は、同時にアイリスの方へと顔を向けた。
「ジーク様の方が良いに決まっていますわ! そうよねアイリス!?」
「ルイス様ですよね、アイリス様!?」
「え、ええと……」
二人の気迫に押され、アイリスの顔が引き攣る。
ジークもルイスも、それぞれ異なる魅力を持つ二人だ。素直にかっこいいとは思うけど、自分が攻略対象である彼らへ好意を寄せること自体、おこがましい。
なにせアイリスは、ひっそりと息を潜めているだけの背景……ただの平凡なモブ令嬢なのだから。
「ジーク様とはお友だちですし、ルイス様には美しい婚約者候補のフィーネ様がいらっしゃいますよ」
なぜ二人がそんなにも熱くなっているのかが純粋に分からず、アイリスは不思議そうに首を傾げた。
「それと私も、一つ報告がありまして……。実は先日、婚約者が決まりました」
「「えっ……!?」」
驚愕に目を見開く二人に、アイリスは追及される前に相手の名を告げた。
「国の北部に膨大な土地をお持ちのバルト伯爵という方から申し出があり、正式に引き受けました」
その名を耳にした瞬間、ローズの顔が凍りついた。社交界の事情に明るいローズは、バルト伯爵が無類の女好きであるという悪名高い噂を瞬時に思い出したようだった。
「貴女……正気ですの……!? あんな悪趣味な噂が絶えない男からの申し出を素直に受け入れるなんて!」
その言葉を聞くと、クロエは青ざめながらアイリスの両手を握りしめる。
「アイリス様、そんなお噂のある方がお相手だなんて、あまりに酷すぎます……! どうにかしてお断りすることはできないのですか!?」
「断る方法なんて、いくらでもありますわ! 貴女が望みさえすれば他からの申し出なんて、いくらでも舞い込みますもの! アイリス、貴女はもっと自分の幸せを考えなさいよ!」
いつになく必死な形相で詰め寄ってくるローズと、瞳を潤ませ心配してくれるクロエ。親身になって怒り、悲しんでくれる二人の優しさが胸に染みる。
けれどアイリスは静かに首を横に振った。
「ローズ様、クロエ。ありがとうございます。でも……私は、それでも嬉しかったんです」
アイリスはそっと、持っていたティーカップを置いた。陶器の音が、彼女の決意を告げるように優しく響く。
ここは乙女ゲームの世界。
アイリス・メルヴィルという存在は、本来ならこの世界に名前すら存在していなかった、ただの背景の一部。
ヒロインであるクロエがハッピーエンドを迎え、悪役令嬢であるローズが救われ、すべての物語が美しい結末を迎えた後――
役割を持たない『モブ』である自分に、果たして明日という未来は残されているのだろうか。
エンディングの幕が下ろされると共に、自分という存在そのものが、泡沫のように消えてしまうのではないか。
言葉にできないそんな得体の知れない恐怖と不安を、アイリスはずっと胸の奥底に抱え続けていたのだ。
(私は、みんなのことが好き。ローズにクロエ、ウィルたちのことが大好きだ)
この世界で出会った彼らと、物語が終わったからといって、お別れなんかしたくない。
だからこそ、相手がどんな人物であれ。『結婚』という繋がりによって、未来への約束が結ばれるという事実そのものが、アイリスにとっては救いだった。
その約束さえあれば、物語が終わった後にも、またこうしてローズやクロエと共に紅茶を飲み交わすことができるかもしれない。ウィルバートやルイス、ジークやディランと笑い合えるかもしれない。
そんな小さな希望を、抱かせてくれるから――
アイリスの胸を満たしていたのは、諦めなどではなく純粋な喜びだった。
「私はこれで、いいんです」
不安を全て覆い隠すように、アイリスはただ穏やかな笑みを浮かべたのだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
★X(Twitter)にて【ジーク】のイラストを公開しました!
見ていただけると嬉しいです↓
https://x.com/3o624r?s=11
今後もイラスト投稿予定です!
※自作イラスト not AI
★ブックマークや星で応援していただけると、大変励みになります!
どうぞよろしくお願いします!




