40話 婚約者『候補』の理由
「ごきげんよう、フィーネ様!」
「ええ、ごきげんよう。こうしてお話しするのは、少し前に生徒会室でお会いして以来かしら」
フィーネは、にこやかに微笑むと上品に口元へ手を添えた。彼女の人差し指に煌めいたのは、シルバーのシンプルなデザインの指輪だった。
(装飾のついていない指輪……少し珍しいな……)
フィーネの実家は、国内でも指折りの事業を誇る貴族御用達の宝石商だ。彼女の蝶のバレッタも、そこで取り扱われている極上品のはず。
だからこそ、その指に嵌められた飾りのない指輪が、不思議とアイリスの心に小さな印象を残した。
「またお会いできて嬉しいわ。ちょうど、アイリス様にお伺いしたいことがあったのよ」
「私に……ですか?」
「ええ。噂になっているルイス様をお呼びした、女子生徒のことよ」
可憐に笑いながら、フィーネは透き通るような水色の瞳で真っ直ぐにアイリスを見据えた。
「もしかして、それは……貴女のことではないかしら?」
穏やかな口調でありながら、見透かされたような問いかけに、アイリスの背筋が冷たく跳ね上がる。
動揺を隠すように瞬きを繰り返し返答の言葉を探していると、フィーネは柔らかく目を細めた。
「ふふ、そんなに身構えないで。責めるつもりなんてないのよ? むしろ感謝しなくちゃ。だってアイリス様はわざわざ、ルイス様を探して呼びに連れ出してくださったんだもの。私からも、お礼を言わせてちょうだい」
「そ、そんな……! お礼だなんて、とんでもありません!」
あの時の行動は、ルイスを連れ出すための苦し紛れの口実に過ぎない。それなのにこうして、純粋な感謝を向けられると、胸の奥が罪悪感で痛む。
「いいえ、当然のことよ。将来の旦那様となるお方が、お世話になったんですもの。……あら、私ったら! まだ正式な婚約者でもないのに、気が早すぎね。恥ずかしいわ」
頬をほのかに赤らめ、フィーネはお茶目に首を傾げて微笑む。その初々しい姿を見つめながら、アイリスの脳裏にふとした疑問が浮かんだ。
(そういえば……どうして二人はずっと『候補』のままなんだろう? ウィルのように理由があるのかな?)
アイリスは胸の内に生じた疑問を、差し出がましくならないよう丁寧な言葉遣いで尋ねてみた。
「あの……差し支えなければお伺いしたいのですが、フィーネ様とルイス様は、なぜ正式にご婚約なさらないのでしょうか……?」
「ハワード家からのご要望で、婚約はルイス様の卒業時と決めているの。……あちらのお家柄は、少しばかり特殊でしょう?」
「特殊、ですか?」
「ハワード家は家格や爵位ではなく『魔法の才』に長けた者を婚約者として選ぶ風習があるの。魔法学園に在籍する令嬢たちの中から、最も優れた素質を持つ者を見定めようとしておられるのよ。だから、まだ私は婚約者ではないの」
そう言って、フィーネは穏やかに微笑んだ。けれどその笑みには、どこか確信すら感じさせるものがある。
ルイスの卒業まで、もう一年もない。その段階で、彼の婚約者の候補として名前が上がっているのは、フィーネだけ。
(フィーネ様以上の才を持つ方なんて、現れるはずがない……)
魔法の技術であれば、努力と研鑽によって後から磨き上げることも可能だ。しかし『魔力量』だけは、生まれ持った天性の素質に依存する。
この学園に、フィーネほど莫大な魔力を保有する生徒を、見かけたことはない。卒業の日を迎えれば、二人が晴れて結ばれることは揺るぎない確定事項なのだろう。
「もし、私とルイス様が正式に婚約をしたら……アイリス様は、祝福してくださるかしら?」
不意に投げかけられた問いに、アイリスの心臓が不自然に跳ねた。すぐに表情を整え、精一杯の笑みを咲かせる。
「……もちろんです! お二人は誰もが羨むほど、お似合いでいらっしゃいますから」
「ふふっ、嬉しいわ」
歓喜を噛み締めるように、フィーネは白く華奢な両手で自身の頬を包み込み、恥ずかしそうに身体を小さく揺らした。その仕草は、一途に恋焦がれる可憐な少女そのものであった。
「フィーネ様は本当に……ルイス様のことをお慕いしていらっしゃるのですね」
「ええ。私は誰よりも、ルイス様を愛しているもの」
一切の迷いもない真っ直ぐな響き。その想いに触れ、アイリスは一瞬だけ胸を強く突かれたような息苦しさを覚える。
「あら、私ったら……長く引き留めてしまって、ごめんなさい。つい喋りすぎてしまったわ。よかったら、またこうしてお声がけをしても良いかしら?」
「……はい、喜んで。いつでもお声がけください」
「ふふ、ありがとう。それでは、また」
華やかに微笑み、去っていくフィーネ。アイリスは、その美しい背中を静かに見送っていた。
(愛している、と……あんなにも迷いなく言い切れるなんて……)
アイリスは胸の中に、深い感心と自分でも理由の分からない、ほんの少しの切なさを覚えていた。
その感情を振り払うように頭を振り、フィーネとは反対の方向へと、ゆっくりと歩き出した。




