34話 とある貴族の夜会にて
豪華なシャンデリアが煌めき、星屑を散りばめたような光を落とす。
贅を尽くした夜会の会場は、華やかなドレスをまとった淑女たちと、仕立ての良い燕尾服に身を包んだ紳士たちで埋め尽くされている。
そんな華飾の渦の少し外側に、アイリスは一人佇み小さく息を吐いていた。
本来であれば一介の伯爵令嬢にすぎない彼女が、このような大規模な夜会に一人で足を運ぶことはない。しかし今回は、両親の代理という大役を仰せつかっての出席だった。
先日、領地で魔獣の被害が起き王都までの道が塞がれてしまった。被害は少なかったものの、両親は王都へ向かうことができなくなってしまったのだ。
そこで、アイリスへ代理出席を依頼する手紙が届いた、というわけだった。
主催は王宮にも出入りするほどの人物で、父が若い頃にお世話になった方らしい。実家の立場を保つためにも、不手際があってはならない。張り詰めた緊張感が彼女の背筋を自然と伸ばした。
(正直、夜会は苦手だけど…………)
心の中でそう呟きながらも、気品のある微笑みを顔に貼り付ける。その時、華やかな喧騒が交錯する人の波の中、わずかな隙間を縫うようにして見覚えのあるグレージュの髪が視界の隅へと飛び込んできた。
アイリスは一度立ち止まり、その人物へと振り返る。肩先でしなやかな弧を描くウェーブした髪、灰色の瞳に端正な横顔――
(あれは……ジーク様!?)
スラリと伸びた長身を包む上等な衣装に、背筋の伸びた姿勢。そしてなにより、あどけなさと妖艶さを兼ね備えた色気のある容姿が、淑女たちの視線を釘付けにしている。
まさか、知り合いがこの夜会に参加しているとは思わなかったアイリスは、思わず淑女たちに囲まれる彼へ視線を送ってしまった。
刹那、彼もまたこちらに気づいたように、灰色の瞳をわずかに細めた。けれど二人の間を隔てる夜会の喧騒と各々が身に纏う立場が、二人を境界線の内側へと踏みとどまらせる。
声はかけず小さく目礼を交わす程度で済ませ、アイリスは『最低限の義務』を果たすため奔走した。
主催と有力貴族たちへの挨拶、無難な世間話、そしてメルヴィル伯爵家の健在を示すための立ち振る舞い。
モブ令嬢という気楽な立場を愛する彼女にとって、こうした貴族社会の社交は骨の折れる作業でしかなかったが、幼少期から鍛え上げられた淑女としての教えをなぞるように、こなしていく。
ようやく予定していた各所への挨拶を終えた頃には夜会の熱気と香水の香りに当てられ、すっかりと疲弊していた。
ふう、と小さく息を漏らしながら会場を見渡すが先ほど見かけたジークの姿が、今はどこにも見当たらない。
もう帰ってしまったのだろうか。けれど今はジークの所在よりも、火照ったこの身体を冷ますための休息がアイリスには必要だった。
喧騒から逃れるように会場のテラスから、大輪の花が咲く静かな庭園へと足を進めた。
夜の空気はひんやりと心地よく、彼女の肌に優しく馴染む。綺麗に手入れされた低木の迷路を進み、人目のつかない静かな木陰で休もうとした、その時だった。
「――身分を弁えろ。平民上がりの犬め」
茂みの向こうから低く悪意を含んだ声が聞こえ、アイリスは思わず足を止めた。
声のする方へと視線を向ければ、暗がりの中で二つの人影が見える。一人は身分の高そうな威厳のある男、そしてもう一人は、先ほど会場で見失ったジークだった。
「貴族の籍に入ったからとて、お前たちの血が汚れていることに変わりはないのだ。命じられれば何でもする『王の犬』め。表舞台で我らと対等な顔をするな」
(王の犬……? それに血が汚れてるって、どういうこと?)
浴びせられるのは容赦のない罵倒の数々。聞いているこちらが耳を塞ぎたくなるような言葉の暴力に対し、ジークは怒ることなく、愛想の良い笑みを浮かべているだけだった。
「あはは、耳が痛いですね」
どこか飄々とした態度で、男の言葉を受け流す。その灰色の瞳の奥には一片の感情が宿ってはいなかった。冷たくも温かくもない……まるで人形のようだった。
心臓を掴まれるような恐怖のなか、アイリスは無意識に胸を押さえた。
(……こんな言葉を、ジーク様は何度浴びてきたのだろう。何度、浴びせられ――笑顔で受け流せるようになってしまったのだろう)
アイリスは迷うことなく、茂みの陰から姿を現した。あたかも今しがた通りかかったかのような、淑やかで通る声を響かせる。
「あら。ジーク様、こんなところにいらしたのですね」
アイリスは紫色の瞳を純粋そうに瞬かせ、迷いなくジークの元へと足を進めた。
「お探ししましたわ。ジーク様にご相談したいことがございますの。場所を変えてお話しできますか?」
アイリスはジークの腕を促し、この場から速やかに連れ出そうとした。しかし、威厳のある男がアイリスたちの行く手を阻むように一歩前に出る。
「おい、今は俺がコイツと大事な話をしている最中だ。……ん? よく見れば中々良い面をしているじゃないか。不出来な犬なんかより、俺の相手をさせてやろう」
男は傲慢な笑みを浮かべ、アイリスの華奢な肩へ手を伸ばそうとする。けれど――
「彼女に、触れないでいただけますか」
アイリスの肩へと伸びかけた男の無遠慮な手を、突如として現れた影が遮った。いつの間にかジークが彼女の前に立ちはだかり、その広い背で包み込むように隠したのだ。
彼は男の手首を強固に掴み上げると、その双眸から冷徹な眼差しを向けていた。
今のジークは罵倒を受け流していた彼とも、学園でのお調子者の彼とも違う。獲物の命を躊躇なく奪ってしまえるような、冷酷で無情な雰囲気を纏っていた。
(まるで、学園の森で鉄の香りを漂わせていた彼と、出会った時と同じ……)
「お前、犬の分際で俺に命令するなど……許されると思っているのか!!」
「貴方こそ、主催者様と交流のある家のご令嬢に無礼を働こうとするなんて、許されると思っているのですか? 私は貴方のおっしゃるように『犬』ですから、不敬な者には間違えて噛み付いてしまうかもしれません」
ジークの顔には、ニッコリと笑顔が作られる。けれど、その瞳は未だ冷たいままだった。
男はジークの肌を刺すような殺気に気圧され、唇を強く噛み締めて彼を睨んでいる。そんな様子にジークは一度目を伏せ、掴んでいた男の手首を解放した。
そして、背後のアイリスへ視線を移しながら。
「……ご相談があるのでしたね、行きましょうか」
アイリスの手首を優しく掴み、彼女を導くようにしてその場を立ち去ったのだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
次回、ジークの正体がやっと明かされます……!
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後日、ファンアートなども投稿予定です!
※自作イラスト not AI
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