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28話 構ってほしい猫の悪戯


 そうして向かえた、お昼休み。

 

 アイリスはクロエと共に校舎の裏手に位置する、大きなブナの木陰へと向かっていた。あそこなら校舎からは死角になり、生徒会長のルイスが来ても他の生徒の注目を浴びてしまう心配はないだろう。


 アイリスたちが柔らかな芝生の上を進むと、すでに先客が一人。


「アイリス嬢」


 約束の相手であるルイスは、こちらに気がつくと読んでいた本を閉じて顔を上げた。彼のさらりと流れる銀髪が、木漏れ日を浴びて光り輝いて見える。


「すみません、お待たせしましたか?」

「いえ、私も先程着いたところです」


 するとアイリスの隣に並んでいたクロエが、大きな瞳を丸くして可愛らしく首を傾げる。


「ルイス様……? どうしてここに?」


「実はクロエ嬢に魔法をお教えするのは、アイリス嬢ではなくて私の方が適任ではないかと彼女と話していたのです」

「え……!? 私は……」


 クロエが一瞬、声を上げるがルイスがそれを制止するかのように自身の口元へ人差し指を立てた。話にはまだ続きがあると、示すその動作にクロエは大人しく口を閉じる。


「――ですが、当人抜きに話を進めるのもどうかと思いまして」

「……え?」


 大人しく聞いていたアイリスは思わず、ルイスへ視線を向けた。元々ルイスと話していた流れと違う。まずはルイスがクロエに一度魔法を教える流れだったはずだ。


 話と違うと、目線で訴えかけるアイリスをよそに、ルイスは上品に微笑んだまま話を続けた。


「アイリス嬢は教えるのが得意ではないからと、貴女の指導者を私に変更した方が良いとおっしゃっていました。貴女の意見はどうですか、クロエ嬢。私よりもアイリス嬢に教えてもらう方が、貴女としても良いのではありませんか?」

 

 ルイスは試すようにクロエへ視線を向けた。するとクロエは合図を受けた子犬のように顔を上げ、少しの迷いもなくアイリスの腕にしがみついた。

 

「もちろん! 私はアイリス様に魔法を教えていただきたいです!」

 

「で、でもクロエ、ルイス様は教え方が大変お上手ですし、魔法の知識も私なんかより遥かに豊富ですよ!?」


 アイリスの言葉は全て事実だった。アイリス自身がルイスに教えを乞うことも多く、その度に彼の簡潔でわかりやすい説明と豊富な知識に助けられている。

 

 それにクロエは今、ルイスルートへ突入している可能性がある。


 ここはモブとして、クロエに惹かれかけているルイスへ魔法の指導権を譲った方が今後の展開的には良いのではないだろうか? ルイスルートをアイリスはプレイしていないので詳細はわからないが、ここは重要な分岐点なのではないだろうか?

 

 アイリスはなんとかルイスとヒロインが二人で会う口実を増やそうと、必死にルイスを推薦した。しかしクロエは可愛らしく頬を膨らませ、アイリスを見上げるのだ。

 

「私の立場になって考えてくださるアイリス様に、私は魔法を教わりたいです!」

 

 潤んだ子犬のような甘えた眼差しで見つめられ、押しに弱いアイリスは「うっ……!」と言葉を詰まらせる。


 捨てないで、そう訴えかける純真な熱意に――「………………わかりました」と、アイリスは了承してしまったのだった。


「嬉しいです、アイリス様! これからもよろしくお願いしますね!」


 クロエが満面の笑みで、アイリスの手を握っている横でルイスが可笑しそうに喉を鳴らした。

 

「ふふっ残念ですが、本人がこうおっしゃっているのなら仕方がありませんね。クロエ嬢の指導者は変わらずアイリス嬢がお願いします。良かったですね〜、クロエ嬢」

「はい!」

 

 ルイスは滑らかにそう告げたが、その声音にはちっとも残念そうな気配はなかった。それどころか、最初からこうなることを分かっていたかのような、余裕のある笑みを浮かべている。


(せっかくのイベント発生の機会が……)

 

「あの、せめてルイス様と私の両方から教えるということにすれば――」

 

 アイリスが新たな名案を口にした瞬間、クロエが楽しそうにお弁当を広げながらその言葉を遮った。

 

「さあ、お昼ご飯を食べましょう! 私もうお腹ぺこぺこです。ルイス様もご一緒にいかがですか?」

 

「では、お言葉に甘えて」

 

 完全に先手を打たれ、アイリスは少し不満気に眉をひそめる。けれどこうしてお昼を一緒に食べる、というのもイベントの一つの可能性だってある。


 ここは気配をひそめ、背景に徹する――


「アイリス様のお弁当、今日も美味しそう! このおかず私のおかずと交換しませんか?」

 

「もちろん。はい、どうぞ」

「わーい!」


 アイリスは慣れた動作で彼女が美味しそうだと言ってくれたおかずの一品をフォークですくい、クロエの口元へと運ぶ。それを躊躇することなくクロエが口にすると、可愛らしく顔を緩める。


「美味しいです! 私のもどうぞ、アイリス様!」

「いただきます」


 お互いに食べさせ合うおかず交換は、クロエとの昼食の時間の恒例行事の一つだ。クロエは料理上手で、どのおかずも毎回美味しく、アイリスにとってこれは楽しみの一つでもあった。


「美味しいです! ありがとうございます、クロエ」


 そんな二人のやりとりを、アイリスの隣で物珍しそうに観察しているルイス。これはもしや、ルイスもクロエの料理が食べたいのではないだろうか?


「クロエは本当に料理上手ですね! ルイス様もおかず交換をされてみてはいかがですか?」

「……では、こちらをいただいても?」

 

「それは私のお弁当ですよ、ルイス様……。そうではなくて、クロエのお弁当を見てください! ほら彩りが良くて美味しそうでしょう!?」


 ルイスが指さしたのは、アイリスの一口サイズにカットされたサンドイッチだ。

 

 クロエが料理上手だと話をしているのに、なぜアイリスの昼食をねだるのか。普段は怖いくらい察しが良いのに、今日はどうも不調らしい。


 アイリスはルイスに呆れながらクロエのお弁当箱を指差すと、ようやく彼の視線がクロエへと移される。


 モブらしく良いアシストだったのではないだろうか。アイリスは気を取り直してサンドイッチを摘み、口へ運ぼうとしたその瞬間。

 

 隣から伸びてきたしなやかな手によって、アイリスの細い手首がしっかりと掴まれる。

 

「え……?」

 

 アイリスが驚く間もなく、掴まれた手首はルイスの方へと引き寄せられる。そして彼女が指先に掴んだままのサンドイッチを、迎えにいくようにしてルイスは自らの端正な顔を下ろし――躊躇することなく薄い唇で掠め取ってしまったのだ。

 

 拘束を解かれ自由になった手を下ろしたまま、すぐ近くで彼の喉が小さく鳴る。

 

(な、何が起きたの……? ルイス様が私の手から直接サンドイッチを食べ、た……!?)


「鶏肉のサンドイッチですか。トマトの酸味が効いていて美味しいですね」

 

「あ、あ、ありがとうございます……ってそうではなくて!!」

 

「あぁ、すみません。お行儀が悪かったですね。あまりにも美味しそうだったので、つい」

 

 ルイスは口の端に薄くついたトマトソースを親指でそっと拭いながら、何事もなかったかのように微笑んでいる。その一連の動作はあまりにも絵になる――が、そうではない。


「だからって! あまりにも唐突すぎま――」

「私もお礼をしなくてはいけませんね。鶏肉お好きですか?」

「好きですけど、そうではなくて!」

 

「ではこちらを。はい、どうぞ」


 悶えるアイリスを無視してルイスは一口大の鶏肉のソテーをフォークで刺し、アイリスの目の前へと差し出してきた。


 香ばしく焼けた鶏肉をハーブで和えてあるそれは、食欲をそそる香りを漂わせている。……断るのは忍びない。決して、食欲に抗えないのではない。

 

 アイリスは「ありがとうございます……」とそのフォークごと受け取ろうと手を伸ばしたが、ルイスはすっと手元を引いてアイリスの手を器用に交わした。

 

「え?」

 

 アイリスが彼を見つめると、ルイスの青い瞳が悪戯に妖しく細められる。

 

「口、開けてください」

 

(は………………!? 口を開けてって、もしかしてルイス様の手から直接食べろってこと!?)

 

 アイリスの脳内は二度目の大パニックに陥った。いくらなんでも、これはモブ令嬢として不正解だとわかる。ルイスに「あーん」をされる権利なんて、ただのモブであるアイリスにあるはずがない。

 

 動揺のあまり、アイリスは助けを求めるように対面に座るクロエへと視線を向けた。しかし、ヒロインであるはずのクロエは両手を頬に当てて「まあ!」と、楽しそうに目を輝かせているだけだった。全く助けてくれる気配もない。


「早くしないと、お昼休みが終わってしまいますよ?」

 

 ルイスが困ったように眉を下げながらも、その唇の端を愉しげに吊り上げて急かしてくる。一言、言いたい。困らせてるのは貴方の方である。

 

「ほら、はやく……食べて?」

 

 いつもより少し低く、色気を含んだ掠れた声が鼓膜を震わせる。


 目の前のルイスは引く気がないし、クロエからの助け舟も見込めない。このまま拒否し続けても時間を無駄にするだけ。それならば、さっさと終わらせてしまうのが最善だろう。


 アイリスは決意を固めて、恥ずかしさで爆発しそうな顔を伏せがちにしたまま小さな口を開ける。そして彼の持つ、フォークの先に刺さる鶏肉を口に含んだ。

 

 フォークから口を離すと、すぐに顔を隠すようにして俯き、必死に咀嚼する。悔しいことに、悔しいことに――味は文句のつけようがないほどに美味しかった。

 

「いかがですか?」

 

 ルイスが、覗き込むようにしてアイリスの顔をじっと見つめてくる。

 

「…………さっぱりした味付けで、とても、美味しいです」

 

 アイリスが蚊の鳴くような声で答えると、ルイスは満足そうに目を細め、信じられない言葉を口にした。

 

「私が作ったので不安だったのですが、お口に合ったようで良かったです」

「……はい?」

 

 アイリスはゴクリと鶏肉を飲み込んで、ルイスの顔を見上げた。

 

(今、なんて言った? ルイス様が……作った……?)

 

 ルイスはハワード公爵家の嫡男であり、将来を約束された宮廷魔法使いの見習いだ。触れるものは最高級の魔導書や、贅を尽くした調度品ばかりのはずの彼が、まさか厨房に立って料理をするなど、誰が想像できるだろうか。

 

「え? ルイス様、お料理ができたのですか……?」

 

「使用人が用意することの方がほとんどですが、今は寮生活ですし、ある程度は身の回りのことを自分でもできるようにしていますから」

 

 平然と言っているが、この人はどれだけ非の打ち所がないのだろう。眉目秀麗で優秀で、基本的には穏やかで優しい生徒会長。加えて料理上手ときた。

 

 さすが最高難度の隠しルートキャラ。けれど設定を盛り込みすぎでは? とアイリスが苦い顔をしている横で、ルイスは楽しそうに口角を上げアイリスから視線を逸らさない。


「ルイス様、なんだかとても楽しそうですね……」

 

 視線が気になったアイリスが彼にそう問いかけると、ルイスは目を細めながら、ふっと声音を低くした。

 

「ええ。だって貴女、最近ジークにばかり構っていたでしょう?」


 予想外の返答に、そんなに構っていただろうかと今までの出来事を思い出そうとする。けれど、そんなアイリスへ呆れたように眉を下げると、ルイスはこちらへ身を寄せるようにして少し距離を詰める。


「貴女が構っているというよりかは、アレが貴女について回っているのでしょうけど……第二図書館でもジークが貴方にべったりですし。たまには私にも、構っていただかないと困ります」


 耳元で囁かれる、少し掠れたルイスの声。ゆっくりと顔が離されると、ルイスの美しい青い瞳が、ほんの少しだけ拗ねたような色を帯びてアイリスを射抜いている。


(……もしかして、相談された魔術式を本当はもっと早く相談したかった、ということだろうか?)


 最近は、放課後にローズのお茶会に誘われたり、それにジークが加わったりで、第二図書館に出向く頻度は減っていた。

 

(私に相談したい術式があり、時間を割いて第二図書館へ向かったというのにそこに私の姿がなく、不満を抱かれた……?)


 それで拗ねてしまい今日は意地悪なのかもしれない、そう考えると彼の行動にも納得がいく。なにより魔法のことでルイスから頼られのことは、アイリスにとっても誇らしく嬉しいことだった。

 

「……任せてください! ご相談いただいた術式は、きちんと解読してみせますから」

 

 的外れな納得をしたであろうアイリスの元気な返事に、ルイスはすべてを察したように苦笑を零した。

 

「はぁ貴女……まあ、いいですけど。それよりもほら、早く食べないとまた貴女の食事を奪ってしまいますよ?」

 

「だ、ダメです!」

 

 アイリスは跳ね上がるようにしてルイスから距離をとると、奪われてたまるかと黙って昼食を食べ進める。

 

 食事を終えたルイスは立ち去ることなく、小さな口で必死に食事を再開するアイリスの姿を、青い瞳でただ見つめ続けていた。


 またサンドイッチを、狙われているかもしれない。そんやプレッシャーを感じつつも、アイリスは無心で残りの昼食を平らげたのだった。

 

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