25話 乙女ゲームのヒロイン
遠くの山々を覆っていた雪が解け、梢から滴るしずくが朝日にきらめくなか、ミスティカ魔法魔術学園にも温かな陽気が到来した。
二年に進級したアイリスは温かい紅茶を口にしながら、移り変わった風景を眺める。アイリスの胸中はこれ以上ないほどに、穏やかな充足感に満たされていた。
ここ数ヶ月、学園での生活は平和そのものだった。大きな騒動もなく、魔法の勉強にも集中できる穏やかな日々。
それにローズとウィルバートの仲も、バラ園での散歩以来、極めて良好。今や二人は周囲も羨むほどの絆を育んでいる。
(私はこのまま、彼らを見守りつつ大好きな魔法の研究に没頭して、平穏な学園生活を謳歌しよう)
そんな心境で校舎に向かったアイリスだったが、平穏を引き裂くような知らせが、突如として舞い込んできた。
それは、全校集会でのことだ。
「諸君、我が学園に、素晴らしい才能を持つ編入生を迎えることとなった」
壇上の学園長が厳かに告げ、一人の少女を招き入れる。教壇に上がったその少女の姿を見た瞬間、アイリスは思わず目を見張った。
柔らかく波打つピンクのミディアムヘア。ぱっちりとした愛らしい黄緑の瞳。緊張の面持ちで佇む花のように可憐な美少女――
「チェスター男爵家のクロエと申します。不慣れなことも多いですが、精一杯励みます。よ、よろしくお願いいたします……!」
鈴を転がすような愛らしい声が、静まり返った講堂に響く。
周囲の生徒たちからは「男爵家……?」、「なぜこの時期に編入を?」と、困惑と侮蔑の混じった囁きが漏れ聞こえてきた。けれど彼女が有する属性を学園長が明かした瞬間、場内は騒然となった。
「クロエ・チェスター嬢は、二百年現れなかった『光属性』を持っている」
その言葉に、アイリスの思考は完全に停止した。頭の中で、前世の記憶が凄まじい勢いで警報を鳴らし始める。
(クロエ・チェスターって、乙女ゲームの『ヒロイン』……!!)
あまりの平穏さに、ヒロインの存在をすっかり失念していた。
乙女ゲームではヒロインが突如、大変貴重な光属性の魔法を開花させ、この学園へと編入してくるという設定だった。編入の時期もゲームと同じ――という事は、ゲームのシナリオが動き始めた、ということだ。
けれどモブ令嬢であるアイリスにとっては、ヒロインが編入してきたところで生活が一変することはない。
(……待って、私、ウィルとローズ様の仲を全力で取り持っちゃった!?)
モブの分際で、正規のシナリオを改変してしまったかもしれないのだ。
穏やかだった心境はどこへやら。アイリスは一人、冷や汗を垂らすのだった。
○
ヒロインである、クロエの編入から数日後。
クロエを取り巻く環境は、決して芳しいものではなかった。
いくら希少な光魔法の使い手として学園側から特別に優遇されているとはいえ、彼女は男爵令嬢。上級貴族の令嬢たちにとって、クロエの存在は目障り極まりないものだった。
それは、アイリスが渡り廊下を歩いていた時のこと。
茂みの向こうから、棘のある甲高い笑い声が聞こえてきた。思わずアイリスは足を止め、茂みの奥へこっそりと顔を覗かせる。
「あらあら、見てご覧なさいな。これが『光の編入生』様のご昼食ですって」
「まあ、見窄らしい。こんな食事をこの高貴な学園に持ち込まないでいただきたいわ」
茂みの奥では数人の令嬢たちが、身を縮めるクロエを取り囲んでいた。クロエの手元には、小さなバスケットが抱えられている。
「身分不相応な場所に紛れ込むから、こうして恥をかくの! 光属性のことだって、黙っていれば良かったのに……そうだわ! 今からでも光属性であることを偽っていましたと進言するべきね。そうしなさいよ」
一人の令嬢が扇でクロエの手元を叩くと、バスケットが手元から崩れ落ち、おかずとパンが冷たい土の上へと無残に散らばった。
「あっ……!」
黄緑の瞳に涙が溜まり、クロエは地面に膝をついて泥に汚れたパンを見つめた。そんな惨めな姿を見て、令嬢たちは「お似合いですわ」満足そうに鼻で笑う。
「ほら、グズグスしていないで、さっさと学園長のところに行くのよ!! 私は嘘をついていましたって言いなさいよ!!」
悲惨な光景を前に、アイリスは唇を噛み締めた。
(私はモブとして生きる。目立たず、平穏に……)
だがモブとしての鉄則は激しい憤りによって、一瞬で掻き消されてしまう。
「――少し、よろしいでしょうか?」
アイリスの芯の通った声が、凍てつく空気を震わせた。
茂みから足を踏み出したアイリスは、落ち着いたダークブラウンの髪を揺らし、紫色の双眸に冷静な光を宿して彼女たちを真っ直ぐに見据えていた。
「……あら? 何かしら。今、取り込み中なの」
「気になるお言葉が聞こえましたの。エルザ・ブランシュ嬢」
「なんで、私の名前を……」
「同じ学年の生徒ですもの、もちろん存じておりますわ。後ろのお二方のことも」
アイリスが微笑むと、後ろの令嬢たちは気まずそうに視線を逸らした。
「先程、光の属性が開花したことを隠蔽するように促す発言が聞こえたのですが」
「そんなこと当たり前でなくって? 光属性を持っているというだけで、男爵令嬢ごときが学園で優遇されるなんて身の程知らずですわ。いっそ黙っていた方が彼女にとっても――」
「光の属性者が自ら国に申告しなかった場合、それは処罰の対象になることをご存じでしょうか? もちろん隠蔽を脅迫した者も同罪ですわ」
「…………は?」
「先程、エルザ嬢がクロエ嬢に仰っていたのは、紛れもなく脅迫。この高貴なる学園の生徒ともあろうお方が、土地を清め、傷を癒す光属性を軽視するなんてあってはならないことですわ。……一体どちらが、この学園に相応しくないのでしょうね」
アイリスは一歩、また一歩と詰め寄る。その佇まいには、日頃の温厚さからは想像もつかないほどの威圧感がある。
「し……知らないわよ、そんなこと! 貴女の聞き間違えではなくって!? ……行きますわよ!」
令嬢たちは顔を青くに染め上げ、逃げるようにその場を立ち去ってしまった。
静寂が戻った庭でアイリスは深くため息をつき、冷たくなっていた自身の手を握り締める。
(……こ、怖かった……。それに、モブ令嬢にあるまじき立ち振る舞いをしてしまったかも……完全に不正解だった気がする……!)
頭を抱えたくなる衝動を抑え、目の前で涙を浮かべて震えているクロエに視線を落とす。健気な彼女を見捨てるわけにもいかず、アイリスは自身のハンカチでクロエの泥のついた服を拭った。
「大丈夫ですか? クロエ・チェスター嬢」
「あ……ありがとう、ございます……。でも、お昼ご飯が……」
「もしよろしければ私のものを半分、召し上がりませんか? 簡単な物なのでお口に合うかわかりませんが」
アイリスはベンチに腰掛けると、自身の鞄からランチクロスに包まれたサンドイッチと、魔法瓶に入れたスープを取り出した。カップに移したスープを魔法で温め直すと、湯気と共に優しい香りを漂わせる。
「はい、どうぞ」
クロエは遠慮がちにアイリスの隣へ腰を下ろし、差し出された温かいスープを受け取った。そしてぽつり、ぽつりと涙を零しながらそれを口に運ぶ。
「……おいしい、です……。とっても、温かい……ありがとうございます。あの先程は助けていただいて、ありがとうございます! 貴女のお名前をお伺いしてもいいですか……?」
「私はアイリス・メルヴィルと申します。貴女と同じ二年生ですよ」
「アイリス様……。アイリス様は、魔法がお得意なんですね。私、魔法はあまり得意ではなくて……彼女達の言うように学園から去るべきなのでしょうか……?」
「そんなことありませんよ! 貴女は希少で素晴らしい原石を持っているのですから、練習すればきっと宝石になるはずです。学園を去るだなんて勿体無いですよ……!」
アイリスはクロエへ向き直り、前屈みに声を上げた。なにせヒロインであるクロエは、町一つを浄化できるほどの魔力を有している。
きちんと学べばきっと輝ける、宝石の原石だ。
「スープを温め直す程度なら、簡単な魔法ですよ。お教えしましょうか?」
「え!? よろしいのですか?」
「もちろん、さっそく試してみましょう」
アイリスはカバンからノートを取り出し、そこに術式を記載する。
「これは液体を温める魔術式です。微量の魔力を流し込むイメージで手を翳しながら、この術式を頭の中で唱えてみてください」
「こ、こうでしょうか?」
クロエはアイリスの説明通り、ベンチに置いたスープの入ったカップへ手を翳す。すると白い光が漏れ始めると、スープは沸騰した鍋のようにブクブクと音を鳴らし始める。
「わ! あ、熱すぎました……!」
「大丈夫! すぐに冷ましましょう!」
どうやら魔力が大きすぎるあまり、調整が難しいらしい。アイリスが沸騰したスープを魔法で冷ましていると、クロエは「やっぱり私はダメな令嬢です……」と瞳を潤ませる。
「……クロエ様、少し手に触れても良いですか?」
「はい! もちろん……!」
アイリスはクロエの手を包み込むように重ね、カップの上で手を翳す。
「私の魔力を流し込むので、クロエ様は魔力を流さずに術式を唱えてみてください」
「はい……!」
アイリスの手を辿ってクロエの手に魔力が流し込まれると、淡い光がカップを包む。光が消えた頃には、スープは美味しそうな湯気を上げていた。
「わ、わぁ……!」
「成功しましたね、クロエ様!」
「はい! ありがとうございます! アイリス様! 私こんなに短時間で成功したのは、今回が初めてです……!」
嬉しそうに微笑むクロエに、アイリスまで嬉しくなる。誰かの成長を見ると嬉しい。それが魔法のことならば尚更だ。
「スープ、美味しいですね! アイリス様」
「はい、美味しいですね」
咄嗟に声をかけてしまったけれど、クロエとアイリスは同じ学年ではあるもののクラスは別だ。きっとこの程度なら、シナリオに大きく影響は及ぼすことはないだろう。
アイリスはちょうど良い温度になったスープを口にし、ホッと穏やかな息を吐き出した。
○
けれど、アイリスの平穏な学園生活は、全く予想だにしない方向へと暴走し始めてしまった。
「アイリス様! 今日のお昼もぜひご一緒させてください!」
昼休みの廊下。
ピンクの髪を弾ませながら、クロエが子犬のように尻尾を振ってアイリスの元へと駆け寄ってくる。
あの日以来、クロエはアイリスに懐いてしまいお昼になると必ずアイリスのもとへやって来るようになったのだ。
「クロエ様、実は今日は――」
「クロエと呼んでください! アイリス様にそう呼んでいただけたら、私、もっと魔法の練習を頑張れます!」
純粋無垢な笑顔で迫られ、アイリスは戸惑いながら応じるのが精一杯だった。
「クロエ実は今日、別の方と約束があって――」
「あら、アイリス。その子犬はなんですの」
アイリスが先約のことを伝えようとした時、廊下の向こうから、華やかで凛とした声が響く。
振り返れば、アイリスの先約の相手ローズが美しい赤色の縦ロールを揺らし、金色の瞳でクロエへ鋭い視線を向けた。
「ローズ様……」
アイリスを挟んだ両側で、ローズとクロエが視線を交える。乙女ゲームでは、ライバル関係にあった二人が今、目の前に揃っているという事実に、アイリスは自然と身構えてしまう。
「アイリスは、このわたくしと昼食をとる約束ですのよ。光の編入生は、身の程をわきまえなさい!」
身を固くするクロエを、高圧的に睨みつけるローズ。けれど、クロエは怯むことなくアイリスの腕に抱きついた。
「い、いやです……! お昼のお休みくらい私もアイリス様と一緒に過ごしたいです!」
「この子犬は、何を仰っていますの!? わたくしだって、学年が違うからこうして事前にお誘いをしたというのに! ……ちょっと勘違いしないでくださる? アイリス。貴女が寂しがると思って、ワザワザ誘っているだけですのよ!」
「子犬ではありません! 私には、クロエという立派な名前がちゃんとあります……! それにその程度のお誘いなら私にアイリス様を譲ってください! ね、アイリス様、私と過ごしてくださいますよね? この時間があるからこそ、私は不慣れな授業も頑張れるのです……」
「クロエ様、いい加減になさい! 先に約束していたのはこのわたくし! アイリスがわたくしの誘いを断るはずありませんわ!」
華やかな美貌で周囲の視線を集めるローズと、稀少な光魔法を使いこなす可憐なヒロインのクロエ。
二人の美少女が、廊心の真ん中で、なぜかただのモブであるアイリスの両腕を引っ張り合い、火花を散らしている。通り過ぎる生徒たちからの、好奇の視線が突き刺さる。
アイリスは内心で頭を抱え、絶叫した。なぜ悪役令嬢とヒロインが、モブである自分を取り合っているのだろう。
「――なら三人で食べましょう! 大人数の方が楽しいかもしれませし。とりあえず移動しましょうか!」
「は? ちょっ! どうしてそうなりますの!?」
「はい! アイリス様となら、どこへでも!」
二人に挟まれ注目の的となってしまったアイリスは、モブとしての限界を迎えた。兎に角この場からすぐに立ち去るべく、問答無用で彼女たちの手を引いて廊下から逃げ去ったのだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
スタンプやブックマークなど、大変励みになっています!
★X(Twitter)にて登場人物のキャラデザを公開しました!
ぜひ見ていただけると嬉しいです↓
https://x.com/3o624r?s=11
今回は女の子たちです!
後日、学園の制服なども投稿予定です!
※自作イラスト not AI
★ブックマークや星で応援していただけると、大変励みになります!
どうかよろしくお願いします!




