24話 お叱りとウィルの決意
アイリスは少し久しぶりに訪れた、第二図書館の慣れ親しんだこの空気に心を安らげていた。
「ウィルとローズ様の仲が深まって本当に良かったですね! 次の約束までされていましたし。このまま順調に進んでほしいな」
アイリスは弾んだ声を抑えきれず隣に座るジークへ語りかけた。
ローズが努力した甲斐もあって、二人の距離は確実に縮まったはずだ。このまま幸せな未来へ向かって進んでほしい。そう願って、アイリスの唇は自然と笑みに彩られていた。
しかし――
「……あ〜、アイリス嬢ちょっとストップ」
水を差すような声が、すぐ隣から降ってきた。アイリスは不思議に思ってジークを見上げる。いつもの飄々とした笑みを消した彼は、灰色の瞳を本棚の奥の通路へとじっと向けていた。
アイリスが首を傾げた、その数秒後のことだ。
遠くの方から扉が開く微かな音が響いた。続いて床を踏みしめる靴音が一つ、真っ直ぐにこちらへと近づいてくる。
本棚の影から姿を現したのは、煌めく金の髪をしたウィルバートだった。
「やぁ、アイリス。先日はジークと随分楽しそうなことをしていたな」
彼はアイリスたちの正面の席へと流れるように腰を下ろすと、その鮮やかなエメラルドの瞳を向け、端正な顔立ちにどこか含みのある笑みを浮かべた。
かけられた気さくな声とは裏腹に、その言葉に宿る確かな温度にアイリスは一瞬だけ思考を停止させた。
「……先日、ですか?」
ここ最近はローズのこともあり、ジークと行動を共にすることが多い。けれど、ウィルバートがどのことを言っているのかが、わからない。
心当たりを必死に探りながら、首を傾げてみせる。だがウィルバートの美しい唇から紡がれた次の一言が、彼女のささやかな抵抗を完璧に打ち砕いた。
「ローズ嬢のバラ園で、コソコソと隠れていただろう?」
「っ!」
アイリスは思わず息を呑み、目を見開いた。ウィルバートとローズの様子を、茂みの隙間からこっそりと覗き見していたことが、当人に全て筒抜けになっていたらしい。
(バレていたの!? あんなに気配を消して隠れていたつもりだったのに!)
冷や汗が背中をつたうのを感じながら、アイリスは救いを求めるように隣のジークへと視線を向けた。しかし頼みの綱であるはずの彼も、気まずそうにコクリと小さく頷くだけだった。
こうなっては、もういかなる言い訳も通用しない。モブ令嬢らしくここは潔く罪を認めて謝罪するべきだと、アイリスは即座に腹をくくった。
「覗き見をしてしまい、申し訳ありませんでした! ……ウィルとローズ様の様子をどうしても見届けたくて」
「俺も不敬でした。申し訳ありません、殿下」
アイリスが頭を下げると同時にジークもまたいつもの軽薄さを消し去り、真摯な面持ちで謝罪の言葉を述べる。二人の謝罪を正面から受け止めたウィルバートは、やがて深く重い溜息を吐き出した。
「はぁ……お前たちはまったく……」
呆れ果てたように眉間を押さえるウィルバートの姿にアイリスが縮こまっていると、不意に通路の奥からさらに別の規則正しい足音が近づいてきた。
「おや、これはどういう状況ですか?」
絹糸のように細い銀髪を靡かせながら歩み寄ってきたのはルイスだ。
彼は机に突っ伏さんばかりに呆れているウィルバートと、その正面で借りてきた猫のように小さくなって反省しているジークとアイリスの姿を交互に見やり面白そうに目を細めた。
ウィルバートは後からやってきたルイスに向け、事の顛末を簡潔に説明した。
それを聞いたルイスは上品な笑みを浮かべたまま、容赦のない棘を突きつける。
「……それは貴方たちが悪いですね。ウィルの婚約者候補であるローズ嬢との、ひとときを覗き見るなんて不敬ですよ」
「ぐうの音も出ません……。反省しております……」
ルイスの正論が突き刺さり、アイリスはただただ項垂れるしかなかった。しかし、そんなルイスの上品な笑みはそこで終わりではなかった。彼の視線が静かにウィルバートへと移る。
「――ですがウィル。貴方もそろそろご決断をなさるときですよ。初恋の相手はもう、見つかったのでしょう?」
ルイスが底知れない美しさを孕んだ笑みを浮かべた。
身内からの飛び火にウィルバートは目を見開いた。そしてきまりが悪そうに、ふいっとルイスから顔を背けてしまう。
(――噂であった、ウィルの初恋相手……)
その言葉に、アイリスの胸の奥が小さな音を立てて波立った。ウィルバートが特定の婚約者を未だ選んでいないのは『初恋の相手』を、今でも捜し続けているからだという噂がある。
もし、ウィルバートが初恋の相手を選んでしまったら、彼を心から慕い健気に待ち続けているローズはどうなってしまうのだろう。悪役令嬢としての破滅へ向かう未来が、再び動き出してしまうのではないか。
アイリスは言い知れぬ不安に胸を締め付けられながら、静かにウィルバートを不安げに見上げた。
「……初恋のお相手が、見つかったのですか?」
恐る恐る尋ねたアイリスの声に、ウィルバートは一瞬、肩を揺らした。
「ああ。……ただ、一目会いたかっただけなんだ」
ウィルバートの視線が一瞬だけ、チラリとアイリスの方へと向けられた。そのエメラルドの瞳の奥に揺らめく光は、まるで深い森の奥でひっそりと輝く、誰にも触れられない美しい湖のようだった。
けれどその静謐な眼差しは、ほんのひと呼吸ののち、何事もなかったかのようにアイリスから滑り落ち虚空へと逸らされてしまう。
「彼女への想いは、既に諦めている。彼女には何の縛りもなく、ただ自由に笑っていてほしいからな。今では大切な友人だと思っているよ」
ウィルバートはそう言って再びアイリスの方を向くと、いつもの気さくで濁りのない笑顔をつくってみせた。
「私はてっきり、まだ諦めきれずに悪あがきをなさるおつもりかと思っていましたが……」
張り詰めた空気を壊すように、ルイスがわざとらしく揶揄うような声を零す。そんな彼の意地悪な一言にウィルバートは「お前な……」と軽く睨みつけるような視線を送った。
「ルイスが一番よく知っているくせに……。だが、そうだな。僕のわがままで、ローズ嬢のように待たせてしまっている女性がいるのも事実だ。誠意を持って向き合わなくてはいけないな」
ウィルバートは小さく息を吐き出すと、改めてアイリスとジークへと真っ直ぐな目を向けた。
「お前たちのおかげで、良い機会をもらったよ。感謝する」
その瞳には先ほどまでの迷いはなく、前を進もうとする確かな意志が宿っていた。
向けられた温かい微笑みに、アイリスの胸の不安はいつの間にか柔らかな温もりへと変わっていく。
「ウィル。私、応援してます」
アイリスもまた心からの親愛を込めて、飾らない等身大の微笑みを返した。
それを見たウィルバートは嬉しそうに、けれどどこか切なげな、淡い光のような笑みをその唇にこぼすのだった。
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次回から第二章がスタートし、早速新キャラクターの登場です!
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