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23話 ローズの恋路、その裏で…


「ローズ嬢、本日はお誘い感謝する。とても嬉しいよ」


 そう言ってローズのバラ園へと足を踏み入れたのは、本物のウィルバートだ。彼はエメラルドの瞳で優しくローズに微笑みかけている。

 

 ローズは緊張で身体を強張らせるが、大きく息を吸い込み練習したとおりの優美な一礼をしてみせた。

 

「……ようこそ、おいでくださいました、ウィルバート殿下。どうぞ、こちらへ。わたくしが魔法を活用して育てましたバラ園をご案内しますわ」

 

 多少の声の震えはあったものの、そこにはいつもの棘は一切なかった。ウィルバートは一瞬、目を丸くして驚いたような表情を見せたが、すぐにその端正な顔立ちに温かな笑みを浮かべた。

 

「魔法を使って育てた花か。それは興味深いな。ぜひ、話を聞かせてほしい」

 

 ローズの大きな第一歩は、作戦通り順調にことが進められている。


 茂みの奥で身を屈めながら、二人を見守るアイリスとジークは、今のところ問題なさそうでホッと胸を撫で下ろした。


「ローズ様。まかさあの後すぐに、ウィルを誘うなんて……行動力がすごいですね」

「すごいよね〜。勢いって大事」


 二人は感心したように頷きながら、小声で囁く。

 

 三人でのお茶会、もとい作戦会議の数日後。さっそくローズはウィルバートをバラ園に誘っていた。その行動力はアイリスとジークも予想外だったが、すぐに実行する姿勢は素晴らしいものだった。


「私もローズ様みたいな行動力を見習わないとな〜……」

 

「アイリス嬢にも行動力あるよ。ほら、ここで覗いていたことがローズ様にバレそうになった時、勢いで猫の鳴き真似してたでしょ。あはっ、今思い返してもあれは傑作だったな」


 ジークはそう言うと悪戯に微笑みながら、楽しそうに喉を鳴らす。


「あれは行動力というか咄嗟に出ただけで! というか恥ずかしいので忘れてください……!」

 

「え〜? それは無理。そうだ、動物の鳴き真似なら俺も多少はできるよ。喉に魔法をかけるんだけど……今度教えようか?」

 

「え!? それはぜひお願いしたいです……! あとジーク様の得意な魔力探知のコツも知りたいです!」


「ふふっ、うん。もちろん、いいよ」


 瞳を輝かせ僅かに前屈みになるアイリスに、ジークは目尻を下げ、コテンと首を傾げながらアイリスへ嬉しそうに呟いた。

 

「二人はまだバラに夢中だし、魔力探知のコツを教えるね」


 ジークは茂みからチラリとローズとウィルバートの背中へ視線を向けた後、アイリスへと向きなおる。


「魔力探知は自分の足元から、静かに波紋を広げていくイメージで薄く魔力を流すんだよ。広い空間よりも狭い空間の方が意識しやすいから、最初は寮の部屋で練習してみるといいかも」


「波紋を広げていく……わかりました! 部屋で試してみます! ちなみにジーク様はどれくらいの範囲まで探知できるんですか?」


「俺が常時展開できるのは、百メートルくらいかな」

 

「……え? 今、常時って言いました? まさか今も……」

「もちろん。今も展開中だよ」

 

 茂みの隙間から外の様子を窺いながら、ジークは何でもないことのようにさらりと言ってのけた。

 

 あまりに平然とした彼の表情に、アイリスは絶句しそうになる。薄くても広範囲に魔力を流し続けるなど、並の魔法使いであればあっという間に魔力が底をついてしまう。

 

「それって大丈夫なんですか!? 魔力が枯渇してしまったり……」

 

「魔力を巡回させてるから大丈夫だよ。それにこれは殿下の側近としての俺の役割で、存在価値みたいなものだから」


 ふわりと優しく微笑む彼を見て、アイリスの胸の奥に少しだけ複雑な感情が渦巻いた。


 彼の言葉が、まるでそれだけがジークという人間の存在価値なのだと言っているように聞こえてしまったからだ。


(そんなこと、ないのに……)


 いつも軽薄な態度を崩さないけれど、ジークは優しくて、気遣いができて、周りをよく見ている。彼が持つ本当の魅力や価値を、もっと自分自身で知ってほしい。


 アイリスは近くにあるジークの灰色の瞳をじっと見つめ返した。そして溢れそうになる感情を押し込めるように声を潜め、ぽつり、ぽつりと不器用な言葉を紡ぎ出す。


「……上手く言えませんが、ジーク様の価値はそれだけじゃないと思います。だってジーク様はいつも優しくて、周りのことをよく見ていて……素敵なところをたくさん持っている方ですよ」


 どこか遠慮がちに、けれど真っ直ぐに想いを告げたアイリスにジークは一瞬だけ呆気にとられたように灰色の目を見開いた。


「…………あぁ〜〜……」


 ジークは短い吐息のような声を漏らすと、ぎこちなくアイリスから顔を逸らす。そしてそのまま膝の間に顔を埋めるようにして俯いてしまった。


 あまりの拒絶ぶりに、アイリスの心臓がドクリと跳ねた。


(……やってしまった。身の程知らずなモブ令嬢の私が、調子に乗って偉そうなことを言ったから、怒らせてしまったかも)


 茂みの奥、気まずい沈黙に耐えかねてアイリスが困惑しているとジークの肩が微かに震えた。


「アイリス嬢ってさ……ほんと、お人好しだよね」


 長い腕の隙間から、ジークが少しだけ顔をこちらに向けた。垂れた髪の隙間からのぞく灰色の瞳は怒りとは程遠く、まるで熱にうなされているかのように潤んで、ひどく熱っぽい眼差しをアイリスに向けている。


(怒っては、なさそう……?)


 戸惑うアイリスの思考が追いつく前に、ジークがゆっくりとこちらに腕を伸ばした。熱を持った彼の指の背が、戸惑いに固まるアイリスの頬を慈しむように滑る。


「……でも、ありがとう。嬉しいよ」


 頬に触れる指先とは裏腹にジークはどこか泣き出しそうな、少しだけ悲しげな笑みをその唇に浮かべていた。



 ○

 


「今日は楽しませてもらった。また近いうちに、ゆっくりとお茶でもしよう。ローズ嬢」


「はい、ウィルバート殿下」

 

 瞳を優しく細めたウィルバートに、ローズの白い頬が鮮やかな赤に染まる。

 

 二人の間に流れる空気は学園の誰もが羨むほどに調和が取れており、二人の心が近づいたと予感させるものだった。

 

(よかった……! ウィルはローズ様のバラ園に興味を持っていたし、ローズ様も気取らず普通に会話ができている。心なしか二人の距離が縮まったみたい)


 そんな大成功とも呼べる光景に、アイリスは思わず隣に屈むジークに顔を向けた。

 

「ジーク様、見てください。これならきっと――」

 

 嬉しさのあまり弾んだ声で囁きかけた瞬間、アイリスの言葉が喉の奥で止まった。

 

 ウィルバートとローズの様子を伺うのに夢中で、互いの距離が近くなっていたことに気づかなかった。見上げるように顔を上げたアイリスと、そんな彼女を見下ろしていたジークとの間は、拳一つ分しか空いていない。女慣れしているはずのジークも珍しく、驚いたように目を見開かせていた。


 ただのモブ令嬢では、およそ耐えきれない美貌がアイリスを見つめて固まっている。アイリスは頬に熱がこもるのを感じ、慌てて視線を逸らしながら一歩身を引こうとした。


 しかし、伸びてきた手によって逃げ道を遮られる。

 

「……待って、アイリス嬢」

 

 少し掠れた声が耳元に届くと同時に地面に置いていたアイリスの手が、ジークの大きな掌によって優しく包み込まれた。

 

「え……?」

 

 アイリスが驚いて視線を戻すと、ジークの表情にも明らかな動揺の色が浮かんでいる。まるで自分の行動が、完全に無意識の衝動だったと言わんばかりに。

 

 それでも、重ねられた手からジークの手が離されることはなかった。むしろ、少しだけ指先に力が込められたように感じる。


「どうしてだろう、俺――」


 灰色の瞳がすぐ目の前で、じっとアイリスを捉えていた。いつも飄々としているはずの彼の端正な顔立ちが、夕闇の影を浴びて色気を帯びている。


「……ちょっと、そこで何をしておりますの? 殿下なら帰られましたわよ」

 

 唐突に降ってきた声に、二人の心臓が跳ね上がる。

 

 いつの間にかウィルバートを見送ったローズが、不審そうに眉をひそめ茂みを覗き込んでいたのだ。

 

「「っ!」」

 

 二人は弾かれたように手を離し、不自然なほど大きな隙間を空けて飛び退いた。

 

「な、なんでもありません!」

「……あはは、そう。なんでもないですよ、ローズ様」

 

 アイリスは裏返りそうな声を必死に抑え、ジークもいつもの笑みを貼り付けて微笑んだ。ローズは胸の前で腕を組み、疑わしげな眼差しでアイリスとジークを交互に見つめていたが、やがてフンッと鼻を鳴らした。

 

「まあいいですわ。そんなことよりも貴方たちには、わたくしの勇姿を存分に語ってさしあげますわ! さっさとテーブルにつきなさい!」


 ウィルバートと上手く話せたことが、よほど嬉しかったのかローズは上機嫌でテーブルの方へと足を進める。彼女の奥には控えていた侍女たちが、さっそくお茶会の準備を進めていた。


「ぜひお聞かせください! ジーク様も行きましょう」

「うん、そうだね」


 振り返ったアイリスに、動揺の色はもう見えない。ジークは少しだけ残念そうに、眉を下げながらも優しく微笑んで彼女の後を追ったのだった。


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