20話 悪役令嬢の恋
「わたくし……幼い頃から、ずっとウィルバート殿下をお慕いしていますわ」
ぽつり、と溢された言葉にアイリスは静かに耳を傾ける。
「わたくし、妹がいますの。可愛らしい妹……みんなあの子を好きになるわ。ウィルバート殿下もきっと、わたくしより妹を好きになるのだと、そう思っていたわ。ですが――」
ローズは一度、言葉を止める。そしてカップをテーブルに置いて、呼吸を整えるように小さく息を吐き出した。
「殿下は……殿下だけは、あの美しいエメラルドの瞳に、ハッキリとわたくしを映し、名前を呼んでくださいましたの。それだけで、わたくしは――……必ず、この方に相応しい淑女になってみせると誓い、努力を重ねてまいりましたわ」
彼女が努力を重ねていたことは、きっと嘘じゃない。お茶を嗜むローズは、動作の一つ一つが上品で優雅だ。指の先まで意識して、神経を巡らせているのがわかる。
それに彼女はアイリスを成績上位者として覚えてくれていたが、ローズも二年生の中で優秀な成績を叩き出している。特に歴史に関しては、ルイスに次ぐ学年二位だったはずだ。
ウィルバートの婚約者になるということは、この国の国母に最も近い存在になるということ。きっとこの国のため、歴史を深く学んできたのだろう。
「……ですが、いざ殿下を目の前にすると緊張のあまり頭が真っ白になってしまって、気付けば生意気な言葉ばかりを口走ってしまいますの」
悲しそうに伏せられた金色の瞳を見て、アイリスの胸に熱いものが込み上げた。
(ローズ様ってこんな子だったんだ……)
乙女ゲームでは『ヒロインに嫉妬し嫌がらせをする嫌味なキャラ』としか描かれていない。けれど実際は、ウィルバートを心から慕い、彼に相応しい淑女になろうと努力をしている。真っ直ぐで、不器用すぎるただの女の子だ。
(全然、悪役なんかじゃない……)
思えば、他の登場人物たちもそれぞれゲームの設定とどこか異なっていた。
ウィルバートは常に爽やかな王子様。我儘なんて決して言わない。
ディランは無口な騎士。猫をはじめとする動物も好きではなかった。
ジークはお調子者の女タラシ。元平民で孤児でもない。
ルイスは常に笑顔を絶やさず、どんなことにも興味を示さない。――違う、そんなことない。ルイスは魔法を愛し、幼馴染であるウィルバートを大切に思っている。
今、アイリスの目の前にいるローズだって、ゲームの悪役なんかじゃない。ちゃんと、この世界に生きている。
「ローズ様。もしよろしければ、私にご協力させてください。ローズ様が殿下の前で緊張せず、素直な気持ちを伝えられるように作戦を練りましょう!」
「なっ……!? 貴女、何を――」
「だって! お話しを聞いていたら、お二人の恋路を応援したくなっちゃったんですもん!」
アイリスは身を乗り出して、ローズの手を強く握りしめた。ローズは目を見開かせ、ほんのりと頬を色づかせるがアイリスはその手を離さない。ただ瞳を輝かせてローズを見つめた。
「――なになに? 面白そうなことになってるね。俺も協力しちゃおうかな」
その時。背後から突然聞こえた声に、アイリスとローズは「ひゃい!?」と揃って奇妙な悲鳴を上げて振り返った。
バラの茂みをかき分けて姿を現したのは、グレージュの髪を揺らしたジークだ。彼はいつからそこにいたのか、愉しげに悪巧みをするような笑みを浮かべている。
「ジ、ジーク様!? 用事があったのでは……」
「思ったよりも早く終わったからさ。アイリス嬢が上手くローズ様と仲直りできてるか心配になって、見にきちゃったんだけど……ふっ、あはは! なんか予想外の展開になってるし、ほんと君ってさぁ〜」
椅子に座ったアイリスの隣までジークは足を進め、立ち止まる頃には、彼は心底楽しそうに喉を鳴らし笑い出す。そんなジークをアイリスは冷ややかな目で見つめるが、もっと彼に冷たい眼差しを向ける人が、アイリスの目の前にいた。
「ジーク・ナイトフォール……そういえば貴方も昨日、ここにいらしたわね。アイリスは許しても、貴方のことはまだ許してなくってよ」
金色の鋭い眼差しがジークを見上げる。けれどジークは一切怯むことなく、アイリスの両肩へ手を添え微笑んだ。
「私は情報で貴女にお詫びしましょう――そうですね、例えば殿下の『初恋の相手』について、とか」
その言葉に、ローズもアイリスも目を見開かせる。ウィルバートが婚約者を選ばない理由として挙げられている噂の一つだ。
「殿下に初恋の相手がいるのは事実です。それが誰なのかをお伝えすることはできませんが――貴女が懸念されている、貴女の妹マリー様のことではありませんので、ご安心ください」
一瞬、ローズの瞳が小さく揺れる。そしてジークが微笑むと、動揺を隠すように「そう」と一言だけ呟き視線を紅茶へと移した。
ローズは、ウィルバートが自身を見てくれていると信じながらも『初恋の相手がいる』だなんて噂を聞いて「もしかしたら……」と内心、妹のことを想像してしまっていたのかもしれない。
けれどジークの断言によりその懸念は払拭され、心なしか安心せているようにも見える。
「私はウィルバート殿下とも親しいですし、ご協力できると思いますよ。いかがですか?」
アイリスがジークを見上げると彼はウィンクをして見せた。そんな彼の提案に乗っかるようにアイリスもローズへ畳み掛ける。
「ぜひ、ご協力させてください! ローズ様」
「…………仕方ないわね。ただし、わたくしの不器用さを舐めないでくださる? 全く会話にならなくっても投げ出すなんて許さないわよ」
高笑いを響かせるローズを、アイリスが怖がる事はなく、暖かな眼差しを向ける。だって彼女は恐怖の悪役令嬢ではなく、可愛らしいツンデレ令嬢だから。




