17話 ローズのバラ園
枯れ葉に覆われたレンガ造りの古い小道を進むと、甘く濃厚な香りが風に乗って鼻腔をくすぐった。
生い茂る緑の先に、ひっそりと隠されるようにして存在するのは小さなバラ園。手入れはされているものの、どこか野生の力強さを残した見事なバラが赤や白の大きな大輪を咲かせている。
「わあ、綺麗。こんな場所にバラ園があったなんて知りませんでした」
「あ〜〜待ってアイリス嬢。そこは……」
導かれるようにバラ園へと足を進めようとしたアイリスだったが、そんな彼女の両肩をジークがソッと後ろから掴む。そして何かを渋るように眉間にシワを寄せるのだ。
「ジーク様? どうかしましたか?」
「ん〜〜。ま、いいか。面白いものが見れるかもしれないし」
「え……?」
「ほら、行こう、行こう」
ジークは悪戯に笑うと、先程とは打って変わってアイリスを促すように背中を押した。そんな彼を不思議に思いつつも、アイリスはバラ園の敷地内へと足を踏み入れる。
そこは赤や白色のバラだけでなく、ピンクや黄色、紫など色鮮やかなバラが咲き誇っている。そんな美しい花を眺めながら歩いていると、不意に茂みの向こうから、誰かの高らかな話し声が聞こえてきた。
アイリスはビクッと足を止め、隣のジークに視線を向ける。どうやらジークは初めから人の気配に気づいていたようで、愉しげに口元へ人差し指を立ててみせた。
二人は息を潜め声のする方へと歩み寄り、鬱蒼と茂るバラの奥をそっと覗き込んだ。
そこには燃えるような赤髪を縦ロールに巻き上げた、一人のご令嬢の姿があった。目を引くような華やかな容姿に挑戦的な金色のツリ目。
アイリスはその人物に、見覚えがあった。
(『ローズ・ブラッドレイ』……!?)
乙女ゲームでは、ヒロインのライバル的ポジションである、ウィルバートの婚約者――悪役のローズ・ブラッドレイ侯爵令嬢である。
平穏を愛するモブとして、最も関わってはいけない主要キャラクターだ。アイリスが内心で悲鳴を上げた瞬間、ローズは誰もいない空間に向かって仰々しく扇を広げて胸を張った。
「おーーっほっほっ! ごきげんよう、ウィルバート殿下。本日もわたくしの美しさは一段と輝きを増しておりますでしょう? 殿下もそう思われませんこと? ……あら殿下、そんなに見つめないでくださいませ。いくらわたくしでも照れてしまいますわ……」
ローズはそう言って、ポッと頬を染める。アイリスは一度目を閉じて擦った後、もう一度声のする方へ目を向けた。
「……いいえ、ウィルバート殿下。殿下のお隣に立つにふさわしいのは、このわたくし、ローズ・ブラッドレイただ一人ですわ! ……あら、そんな美しいだなんて……! うふふ、わたくしも殿下のことを愛していますわ」
まるで会話をするように話を続けているがローズの目の前に、ウィルバートはいない。そもそもウィルバートは、公務のため王宮に戻っているので学園にすらいない。
彼女の目の前にあるのは、黄色のバラの植木鉢が一つだけ。
ローズは王子との会話を想定した『小芝居』の真っ最中だった。
目の前の光景に、アイリスは思わず呆然とする。なにせゲーム内では、高飛車で嫌味な悪役令嬢として描かれていたローズが、黄色のバラに話しかけている。まるでウィルバートと話す時のイメージトレーニングをしているかのように。
あまりの光景に、アイリスはどう反応すべきか頭を抱えるとパキッ――と自身の足元から音が鳴る。
どうやら、落ちていた小枝を踏んでしまったらしい。一気にアイリスの顔が青ざめる。このままでは覗いていたことがバレてしまうかもしれない。アイリスは慌てて「ニャ、ニャ〜ン」と猫の鳴き真似で誤魔化した。
ジークが隣で必死に声を殺して笑っているけれど、今はそれどころではない。アイリスは、ただただこの場を乗り切るのに必死だった。
「…………なんですの。そのド下手くそな猫真似は!! 誰かそこにいますの!?」
しかしアイリスの猫真似に、ローズは誤魔化されなかった。小芝居を続けていたはずの彼女が、アイリスたちの隠れる茂みの奥を鋭い金色の瞳で睨みつけた。
「くくっ……あはは! ごめん、もう限界! なにあの猫真似」
「ちょっ、ジーク様……!?」
隣にいたジークが、堪えきれずに大きな笑い声を上げてしまった。静かなバラ園に彼の笑い声が容赦なく響き渡り、アイリスは咄嗟にジークを制止させようと声を上げる。
そしてバッチリと、鋭い金色の瞳と目が合ってしまったのだ。もう隠し通せないと悟ったアイリスは、ジークの脇腹を軽く小突いてから諦めて茂みの外へと姿を現した。
「し、失礼いたしました、ローズ・ブラッドレイ様……。決して悪気はなく、私たちはただ美しいバラ園を眺めていただけでして……!」
「ローズ様。お騒がせしてしまい、申し訳ございません。どうか私どものことはお気になさらず」
必死に頭を下げるアイリスの横で、ジークも胸に手を当て意外にもキッチリと頭を下げる。けれどローズから向けられる鋭い眼差しが止むことはなかった。
「……貴方達、まかさ何か聞いてはいないでしょうね」
ここは「なにも聞いていない」と言うべきだろう。ローズの寛大なお心に感謝しつつ、アイリスは頭を下げたまま声を出そうとした、その時――
「ローズ様がバラを殿下に見立てて話しかけていたことでしょうか?」
隣のジークが上品な笑みを浮かべて、そう言ったのだった。
(ちょっ……! この人、全部話した!)
「ジーク様!? いやあの、彼の言うように少し聞いてしまいましたが、花に話しかけるなんて珍しいことじゃないですよ! 私も猫に話しかけたりしますし、なにより植物は声をかけると育ちが良くなるとも聞きますから……!」
アイリスが必死に苦しい言い訳を並べるけれど目の前のローズは、顔を俯かせ怒りで身体を震わせている。相当ご立腹だと、アイリスの顔から血の気が引いていくのを感じだ。
「あの、ローズ様――」
「………………このことは、決して誰にも話すんじゃないわよっ!!」
アイリスがフォローを入れようとした瞬間、ローズは勢いよく顔を上げた。そんな彼女の表情は、頬だけでなく耳まで真っ赤に肌を染め上げ瞳を潤ませている。
そして真っ赤な顔のまま縦ロールを激しく揺らして、脱兎のごとくその場から逃げ去ってしまったのだった。
バラ園に残されたのは、静まり返った空気と呆然と立ち尽くすアイリス、そして未だにクスクスと笑っているジークだけだった。
(……悪役令嬢ローズ・ブラッドレイが、照れるとあんなにも可愛い表情をするなんて、知らなかった)
ゲームのスチルでは、自信のある笑みを見せるか、ヒロインを蔑んで邪悪に笑う表情のみ。けれど目の前にいた彼女は、まるで初心な少女のよう。
嵐のように去っていった、ゲームの設定とは少し異なる悪役令嬢の背中を見つめながら、アイリスは小首を傾げたのだった。




