15話 魔法のアロマキャンドル専門店
二人が辿り着いたのは、ひっそりと佇む『魔法のアロマキャンドル専門店』。
一歩店内に足を踏み入れると、そこには甘く落ち着いた香りが立ち込めていた。壁一面に配置された黒漆塗りの戸棚には、様々な形状をしたアロマキャンドルが整然と飾られている。
「ここが専門店ですか……。本当にいろんな効果のあるアロマキャンドルが置いてあるんですね。ところでウィルに頼まれたのは、どんな効果のアロマなんですか?」
「睡眠作用のあるアロマですよ。最近の彼は公務が立て込んでいて気が高ぶっているのか、ひどく寝付きが悪いようでしたから」
きっと王子としての激務は、想像を絶するものがあるのだろう。休める時であっても、心が休まらないというのは肉体的にも精神的にも辛いはずだ。
そして同時にそんな幼馴染の変化にいち早く気づき、こうしてお使いを口実に気遣うルイスの優しさにも、アイリスは内心、密かに感心していた。
「それならルイス様もご自分用に何か買ってみてはどうですか? ルイス様も日々の任務や生徒会でお忙しそうですから。……ちゃんと眠れていますか?」
「ご心配ありがとうございます。ですが私はウィルほど繊細ではありません。基本、場所を選ばずどこでも眠れますので、必要ありませんよ」
「意外です……! ルイス様って、枕が変わると眠れないほど繊細なタイプだと思っていました」
「貴女は私にどんな偏見を抱いているのですか……。ただ、眠りが深いわけではないので、他人に少しでも触れられるとすぐに起きてしまいますが」
どこでも眠れるタフさは素直に羨ましいが、人に触れられると起きるという言葉に緊張感の中で生きる彼の張り詰めた一面を見た気がして、少し複雑な気持ちになる。
「私は奥の棚を見てきますから、貴女はここで自由に見ていてください」
ルイスが店主のいる奥のスペースへと歩いていくのを見送り、アイリスは興味深く戸棚に並ぶアロマキャンドルを眺め始めた。
じっくりと説明書きを読んでみれば『集中力を長時間維持する』アロマや、身体の『不調を緩和する』アロマ、果ては『一時的に髪色を変える』アロマなんて風変わりなものまで並んでいる。魔法が込められたアロマは、その香りが漂っている間だけ効果を発揮する仕組みらしい。
(色々あって面白いなぁ……)
探索するように視線を動かしていたアイリスの目が、ふと一つの奇妙なキャンドルの前で止まった。それは美しい花の蕾の形を模した、可憐なキャンドルだ。
火を灯すと花が開く仕掛けなのだろうか、と思いながら何気なく手に取りその説明書きを読んだアイリスは、思わず固まってしまった。
『香りを嗅がせた意中の相手を、自身に惚れさせるアロマ』
(うわぁ……! こんな怪しげな惚れ薬みたいな効果のアロマまであるの……!?)
きっとこれは恋に悩む令嬢たちが、意中の相手に使うためのものなのだろう。モブ令嬢の自分には無縁な代物だ。
アイリスが遠い目をしながら戸棚へ戻そうとした、その時。
「ふぅん……どなかた惚れさせたい方でもいらっしゃるのですか?」
すぐ耳元から、含みのある愉しげな声音が響いた。
驚いて振り返ると、いつの間にか戻ってきたルイスが背後からアイリスの手元を覗き込むようにして立っていた。あまりの距離の近さにドクンと心臓が跳ね、後退りながらアイリスの頬は少しだけ赤く染まる。
「意外ですね。貴女は魔法にしか興味のない、色恋に鈍感な方だと思っていたのですが……」
「ち、違いますよ!! ただ形が可愛いなと思って、たまたま手に取ってみただけで……! これを使う相手なんていませんから!!」
「へぇ〜、そう」
必死になって弁解するアイリスを、ルイスはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべたまま見つめている。
泳ぐ視線を隠すようにアイリスはルイスから顔を背けると、俊敏な動作でキャンドルを棚の奥へと押し戻した。これ以上、揶揄われてはたまらない。
「そんなことより! 目的の品は見つかりましたか?」
「はい、ちゃんと買えましたよ」
そう言ってルイスが掲げてみせた手には、小さな紙袋が二つ握られていた。ウィルバートの分の他にもう一つあるということは、自分用にも何か購入したのだろう。
「貴女は何も買わなくて良いのですか?」
「はい、私は……」
「なんなら先程の蕾のキャンドルを買って差し上げましょうか? こういうものの大半は魔術的効果がなく、ただの娯楽目的がほとんどですが、稀に効果のあるものが存在するそうです。本物かどうか気になるので、私を相手に試していただいても構いませんよ?」
「け、結構です……!! ほらもう出ましょう!」
真っ赤になって即答したアイリスを見て、ルイスはまた満足そうに肩を揺らして笑うので、そんな彼を押し出すように二人は店から外へ出た。
外ではちょうど、夕刻の訪れを告げる鐘の音が鳴り響いている。周囲の景色もいつの間にか美しい茜色に染まり始めていた。
「おや、もうこんな時間ですか。せっかくなら寮まで送って差し上げたかったのですが……」
「ここからなら学園も近いですし、お気持ちだけで十分です! ルイス様はこれから次の任務があるんですよね。……あまりご無理をなさらないでくださいね」
彼の多忙さを心から心配する思いからの言葉だった。ルイスは一瞬、驚いたように目を見張ったがすぐに優しく微笑んだ。
「ありがとうございます。……それと、これを貴女に」
差し出されたのは、彼が持っていた二つの紙袋のうちの一つだった。「え?」と驚きながらアイリスが中を覗き込むと、そこには先ほど壊れてしまったものと同じ、澄み切った無属性の魔法石、そしてリラックス効果のある小さなアロマキャンドルが収められていた。
「これ……っ!」
「店の裏手にある魔法具屋に魔法石の在庫が残っていましたので。それと先ほどの店で売っていた、安眠とリラックス効果のあるアロマキャンドルです」
「い、いただけません……! これ、すごく高いものですし……!」
慌てて紙袋を返そうとするアイリスだったが、ルイスはそのしなやかな手で、アイリスの手をそっと押し返した。
「貰ってください。美しい光景を見せていただいたお礼ですから」
そう言う彼の青い瞳は、どこまでも真摯で夕暮れの光を浴びて美しく煌めいていた。
けれど、美しい光景を見せてもらったのはアイリスの方だ。瞼を閉じれば、ルイスが作ってくれた美しい氷の小鳥や花が思い浮かぶ。
アイリスだけの力で、あの光景を作り出したわけではない。それなのにこんな風に気遣って、こっそり魔法石まで用意してくれるなんて……。
アイリスの胸の奥に、じわりとした温かい喜びが広がっていく。
「……ありがとうございます。魔法石も、キャンドルも大切に使います」
「お気に召していただけて良かったです」
ルイスは満足そうに微笑むと「ではまた、学園で」と短く告げ、アイリスとは反対の方向へ向かって歩き出した。
〇
その夜。
アイリスは自室の机の上で、早速ルイスから貰ったアロマキャンドルに火を灯してみた。
パチパチと小さな音を立てて揺れる炎から、心を優しく解きほぐすような花の香りがふわりと部屋を満たしていく。
(すごく、いい香り……)
こんな素敵な贈り物を貰ってしまったのだから、何かお礼をしたいけれど、完璧で何でも持っている彼にただのモブ令嬢である自分が返せるものなんて、何一つ思い浮かばない。
けれど――もしもいつか。
彼がもし、アイリスに頼ることがあれば、その時は、自分の持てる全ての知識を使って彼の役に立とう。
アイリスは、小さく爆ぜるオレンジ色の炎をじっと見つめながら、いつか訪れるかもしれないその日のために、もっと魔法を極めようと心に誓うのだった。




