12話 秘密の地下書庫(3)
アイリスの手に、魔法をかけられたのだとはわかる。けれどどんな魔法かまではわからず、顔を引き攣らせながら彼を見上げた。
「おや、貴方でもわかりませんか? 三メートル以上離れると引き寄せられる魔法をかけました」
「それって……迷子防止として子供にかける魔法ですよね!?」
「ええ。駄々を捏ねている今の貴女にピッタリな魔法でしょう?」
「っ〜! ……せ、せめて十メートルに伸ばしていただくことは……」
「ダメです。私も妥協したのですから、貴女も妥協してください。報告が終われば、その魔法を解いてあげますから。さ、行きましょうか、アイリス嬢」
青ざめるアイリスを捉えたルイスは、どこか愉しげに目を細めるのだった。
〇
生徒会室に到着した二人は、すぐさま教員への報告を済ませた。そして秘密の地下書庫に眠る禁術に近い書物に関しては、即座に回収されることが決定し、回収が完了するまでの数日間、第二図書館は完全に立ち入り禁止となることが決まった。
「――これで手続きは終わりです。お疲れ様でした、アイリス嬢」
「本当に疲れました……。色々な意味で……」
日も沈み、静かな生徒会室のソファーへ腰掛けたアイリスは大きく息を吐き出した。教員への報告はほとんどルイスが対応してくれたものの、アイリスは彼にかけられた魔法のせいで、ルイスの後ろを着いて回ることになった。
かえって目立ってしまったのでは、と思い出しながら顔を青ざめる。そもそも三メートル以上離れられない魔法は本当に必要だったのだろうか?
「そんなに睨まないでください。貴女が大人しくついて来てくだされば、こんな手荒な真似はしなかったのですよ?」
「…………この魔法、ほんとに必要でした?」
「魔法をかけなければ、貴方、逃げていたでしょう?」
そんなことはない――とは言い切れなかった。正直、いや確実に逃げていた自信がある。なにせアイリスが求めるのは、功績よりも平穏。
「ふふっ、ほら魔法を解いて差し上げますから。手を出して」
口篭るアイリスに、ルイスは悪戯っぽく微笑みながら彼女の前に屈み片手を差し出した。そんなしなやかで大きなルイスの手に、アイリスは魔法をかけられた自身の手を重ねる。
淡い光が二人の手の間に灯り、術式がパチパチと解かれるのを感じながらその光景を静かに眺める。すると、ちょうど術式が解かれた瞬間、コンコンと控えめなノック音が響き、生徒会室の扉が静かに開いた。
「ごきげんよう、ルイス様。禁書が見つかったと伺い様子を見に来たのですが……あら?」
鈴を転がすような、どこか儚げで可憐な声。室内に足を踏み入れたのは、ふんわりとした波打つプラチナブロンドの髪を揺らす、守ってあげたくなるような愛らしい容姿の美少女だ。
彼女は、手を合わせているルイスとアイリスの姿を目にすると、一瞬だけその大きな水色の瞳を微かに揺らした。だが、すぐに健気な笑みを浮かべて小首を傾げる。
「そちらの方は?」
こちらに歩み寄る彼女に、アイリスは息を呑んだ。
(この距離からでもわかる、凄まじい魔力量……)
ルイスと互角かそれ以上の魔力を有している彼女に、アイリスは自然と目が離せなかった。
ルイスはすっと立ち上がり、いつもの上品な笑みで彼女にアイリスを紹介する。
「こちらはアイリス・メルヴィル嬢。偶然、第二図書館に居合わせただけだったのですが、彼女の善意で秘密の地下書庫の探索に協力してくださいました」
ルイスの言葉に、アイリスは心の中で胸を撫で下ろした。ルイスは、アイリスが『目立ちたくない』と渋っていたことをしっかりと配慮し、アイリスが『偶然、居合わせただけの生徒』だと学園に報告してくれたのだ。
そのため、彼女がウィルバートやルイスたち側近と顔見知りであるという事実は完璧に伏せられている。
アイリスもルイスを追うように立ち上がり、彼女へ頭を下げた。
「一年のアイリス・メルヴィルと申します」
「まあ! そうだったのですね。私は二年のフィーネ・ノースクリフと申します。ルイス様と同じく生徒会役員で、彼の婚約者候補ですわ」
丁寧に頭を下げたフィーネの後ろにキラッと美しく輝くものが見えた。目で追うとそれは、フィーネの髪を後ろでまとめている蝶の形をしたバレッタだ。大粒のアクアマリンが、ふんだんに飾られていて、彼女によく似合っている。
「……アイリス様? 私の顔に何かついていたかしら?」
「すみません、不躾に見つめてしまって! 美しい髪飾りだなと思って」
「嬉しいわ! 我が家の宝飾店が扱う品の中でも、特に質の良い原石だけを選りすぐって作らせた逸品なの。珍しい宝石も取り扱っているから、アイリス様も欲しい宝石があれば私に声をかけてちょうだいね」
「あ、ありがとうございます。必要になった時にご相談させてください」
アイリスは思わず後ずさって苦笑いを浮かべる。魔法石ならまだしも、単なる宝石にはあまり興味がない。それに自身のような地味な令嬢に、煌びやかな宝石のアクセサリーなんて似合わないだろう。
(フィーネ様のように、華やかなご令嬢ならまだしも……それにしてもルイス様にこんな素敵な婚約者候補の女性がいたなんて知らなかった)
「やだ私ったら、お喋りに夢中になってしまいましたわ……! ルイス様、生徒会の件でお耳に入れたい内密なお話がございますの」
「内密な話、ですか?」
ルイスが微かに眉をひそめる。フィーネの口調はまるで一刻を争う重大な話でもあるかのようだった。
「ええ。ですから――あら、でもまだアイリス様のご報告は終わっていないのかしら? 申し訳ないわ……私が急に押しかけてしまったものだから……」
「いえ、ちょうど終わったところです! 私はこれで失礼しますね」
フィーネの申し出は、アイリスにとってこれ以上ない渡りに船である。引き止められる前にと、アイリスは満面の笑みで一礼すると、脱兎の如き速さで生徒会室を後にした。
後ろでルイスが「アイリス嬢――」と何か言いかけていたような気がしたが、そんなものは気のせいである。
生徒会室から逃げ出し帰路につきながら、アイリスは夜になりかけた空を見上げる。
(フィーネ様。魔力も多くて、可愛らしい方だったなぁ。やっぱり公爵家の嫡男ともなると、あんな絵に描いたお嬢様が婚約者の候補として上がるのだろう)
ルイスの冷徹で中性的な美貌とフィーネの健気で愛らしい姿は、並んでいるだけで絵画のように美しかった。きっとこのまま正式に婚約されて、幸せな未来を歩むのだろう。
(――そんなことより、あの秘密の書庫の魔導書、全部回収されちゃうのかな。禁術指定のものはともかく、建国初期の付与魔法の本は読ませて欲しかったな……没収されて、二度とお目にかかれなくなったら、どうしよう……)
ルイスとフィーネの関係など微塵も気にすることなく、どうにかして幻の魔導書をもう一度読む方法はないかと。アイリスは、そればかりを真剣に考え続けるのだった。




