11話 秘密の地下書庫(2)
ひんやりとした石畳の階段を、二人は一歩ずつ慎重に下りていった。
埃まみれの空気と、魔力の残滓が鼻腔を突く。最下層に辿り着くと、そこには重厚な鉄扉が待ち構えており、ゆっくりと扉を押し開けた、先には――
「――これは、凄いですね……」
ルイスの口から、珍しく素直な感嘆の声が漏れた。広がっていたのは、貴重な魔導書の数々に、先人が残した魔法実験の記録が並ぶ、文字通りの『秘密の書庫』だった。
「すごい! 本当にあったのですね、ルイス様! 見てください、あの棚にあるのは、建国初期の付与魔術に関する記述でしょうか……!?」
「そのようですね。まさか学園の地下に、これほどの歴史的遺産が眠っていたとは」
二人は顔を見合わせ、言葉にできない達成感を分かち合うように自然と笑みを交わし合った。
隣に並び、二人で棚を見上げていると、ルイスは視線を棚に向けたまま、ふと、この探索のきっかけを作った人物を思い浮かべ苦笑を零した。
「……ウィルの我儘には散々振り回されて来ましたが、今回は彼に、感謝しなくてはいけません」
「振り回されてって……。そういえばウィルとルイス様は幼い頃からのお知り合いだったのですよね」
「ええ。私も王宮に出入りしていましたし、ウィルとは歳も近いので。昔から彼に振り回されてばかりでしたよ」
ルイスは呆れたように肩をすくめたが、その青い瞳には、どこか懐かしむような温かさが宿っていた。
「王宮の警備を抜け出して、お忍びで下町へ向かわれたり……。ああ、そういえば、アイリス嬢がウィルと出会ったのも、そのお忍びの時だったそうですね」
「あ……」
アイリスは思わず少し気まずそうに視線を泳がせた。
薄々は察していたが、やはりウィルバートは王宮を抜け出して会いに来てくれていたらしい。あの時は彼が王子だと気づかなかったが、今思えば第二王子であるウィルバートをあちこち連れ回した少女だと、咎められてもおかしくない。
しかし、ルイスはそんな彼女の様子を見て、揶揄うように目を細めた。
「ふふ、別に貴女を怒ってはいませんよ。抜け出した張本人はウィルですし。貴女の話は、時々ウィルから聞いていましたから。下町で魔法好きな不思議な女の子と友人になった、と。……たしか『魔法の知識が豊富なんだ』と、随分なはしゃぎようでした」
「えっ、ウィルがそんなことを言っていたんですか……!?」
アイリスは思わず顔を火照らせて驚いた。知識を褒めてもらえるのは嬉しいが、まさか宮廷魔法使いの見習いとして幼い頃から魔法を学んでいたルイスへ、そう伝えられていたことが恥ずかしかった。きっと彼と比べたら、天と地ほどの差があるというのに。
「ええ。ですから私も、子どもながらにウィルのその言葉に少なからず対抗心を抱いてしまいまして。一体どんな天才が現れるのかと思っていましたが……。学園で初めて貴女を見かけた時、失礼ながら魔力量は極めて平均的な、どこにでもいる平凡な少女だと思っていました」
「おっしゃる通りで……」
痛いところを突かれ、アイリスは小さく胸を押さえて呻いた。モブゆえのスペックの低さは、自分が一番よく分かっている。どんなに知識を深めても、魔力量が増えることはない。
だが、ルイスの言葉はそこで終わりではなかった。彼は本棚へ向けられたままだった視線を、アイリスへと移し、真っ直ぐに彼女を見つめる。
「ですがこうして貴女の隣にいると、ウィルの言葉が正しかったと理解しました。貴女の魔法への純粋な想いや、型に嵌まらない知識の深さは、素晴らしいものでしたよ」
滅多に他者を認めないはずのルイスに、ほんの僅かでも認められた。その事実が、アイリスの胸をじんわりと温かい喜びで満たしていく。
嬉しさのあまりアイリスは身体の向きを彼へ向け、弾んだ声で言葉を返した。
「私も……! ルイス様のお話をウィルから聞いていました! 『魔法が好きで、扱いの上手な幼馴染がいるんだ』って。だから、いつか一緒に魔法のお話をしてみたいと、ずっと思っていました」
彼は魔法を、単なる道具だとも、貴族の嗜みだとも思っていない。魔法を嫌がらせの道具にされたことを怒り、幻の魔導書を一目見てみたいと、照れくさそうに溢す姿は、ただ純粋に魔法を愛している人の姿に思えた。
「だから……今、こうして憧れのルイス様と魔法のお話ができて、少しでも認めていただけて、私……本当に嬉しいです! ありがとうございます、ルイス様」
花が咲くような、一切の裏表のない純粋な歓喜の笑顔。その笑みが向けられた瞬間、ルイスは無意識に目を見張った。大きく胸の奥が一度だけ高鳴り、今まで感じたことのない速度でルイスの心臓が波打つ。
アイリスの言葉は、あまりにも無垢で純粋で――ただの社交辞令ではなく、心からの本音であることがわかる。動揺を隠すように、ルイスは視線を背け、口元を細い指で覆う。
「ルイス様? どうかされましたか?」
「……いえ、何でもありませんよ。……それより、ここにある本ですが――」
いつもと違い僅かに上ずった声を誤魔化すように、ルイスは早口で話題を逸らした。
「現在の法では制限されている『禁術』に近い本も置かれていますね。この部屋は一旦、生徒会で預かる形にするとして……このまま報告も兼ねて、私と生徒会室へ来ていただけますか?」
そう言って歩き出そうとするルイスの袖を、アイリスは「あの、待ってください……!」と慌てて引っ張った。
「はい、どうかされましたか?」
「私は、その……ここで失礼させていただいても、よろしいでしょうか? 扉を見つけたのはルイス様ですし、報告はルイス様お一人で十分かと……」
アイリスは眉を下げ、あからさまに渋る表情を見せた。
なぜなら、彼女が求めるのは『大好きな魔法を学びながら、平穏な学園生活を謳歌する』ことだ。
ただでさえルイスは眉目秀麗で、第二王子であるウィルバートと並ぶほどの注目を集める生徒会長。そんな彼の隣をノコノコと歩けば、周囲の視線で蜂の巣にされることは間違いない。
アイリスは、そんな目立つ真似は絶対に避けたかった。しかし彼女の思惑を、ルイスが許すはずもなかった。
「行動を起こしたのも、鍵を開けたのもアイリス嬢でしょう。そんな貴女を差し置いて、私一人で手柄を横取りするような真似を私がするとでも?」
「いえ、手柄なんて本当にいりませんから! ルイス様の功績ということで――」
「そんなわけにもいきません。ほら行きますよ、アイリス嬢」
ルイスは有無を言わさぬ上品な笑みを浮かべると、アイリスの手首を逃げられない強さで迷わず掴む。
「あ、あのルイス様!? せめて……そうだ! 私は少し離れた後ろからルイス様を追います!」
「……そんなことを言って、逃げるおつもりでしょう……流石にそこまで嫌がられると胸が痛むので、早く頷いていただきたいのですが……なぜそんなにも渋るのですか。理由を伺っても?」
必死に抵抗するアイリスに呆れたため息を溢しつつ、ルイスは彼女に向き直った。この部屋を見つけ出したことは評価に値する。けれどその評価を、どうしても受け取ることのできない重大な理由が彼女にはあるのだろう。そう考えながら、ルイスは彼女が語るのをただ静かに待っていた。
「それはもちろん……平穏な学園生活を過ごすためです!!」
「………………はい?」
自信満々に言い切ったアイリスに、ルイスはしばらく笑顔のまま固まった。けれどそんなルイスへ、気づかないままアイリスは言葉を続ける。
「私はこの学園で波風をたてず、ただ平穏に大好きな魔法を学びたいのです。ですから注目を浴びてしまうような功績も必要ありません! それにルイス様は生徒会長で目立つので、隣を歩くのも極力避けたくて……」
アイリスの言葉に、ルイスの口から二度目のため息が溢れる。けれどこれはアイリスの譲れない本心だ。目立ちたくない。平穏な学園生活を死守したい。ただその一心だった。
「はぁ……わかりました。けれど功績は貴女にも受け取っていただきます。アイリス嬢、手を出してください」
アイリスは彼に言われたとおりルイスへ片手を差し出すと、彼の片手がアイリスの小さな手を包み込む。そして淡い光とひんやりとした僅かな魔力を感じると、その手はすぐに離れていった。
「これでいいでしょう」
「…………え? 今、何をされたのですか?」




