第7話 その歯車、変革の予兆につき
「よし……。今日も頑張りましょう、湊さん!」
朝一番、工房の扉を開けると同時にイベリーが気合の入った声を上げた。
湊もまた、昨日テオが即興で作った「L字の棒」を手に取り、量産体制に向けて気を引き締めた。
「おはよう、みんな。いい顔してるわね」
颯爽とリールが現れた。
彼女は手にした布包みを、当たり前のような顔で湊の前の作業台へ置いた。
「はい、これ。あなた昨日そんな不恰好な棒を一生懸命回していたでしょ? 」
湊が驚きながら包みを解くと、中から現れたのは見事な細工が施された木製の装置だった。
直角の屈折部分は「組み木」の技法で補強されており、釘一つ使わずに強大な力に耐えうる構造になっている。
「これは……凄いな。昨日の即席の棒とは比べ物にならない」
「でしょ? ……これ、彼女に作ってもらったの。紹介するわ。今回の量産化にあたって、木工の専門家が必要だと思って呼んだの。フィーナ、こっちへ」
リールの影から、清楚な佇まいを見せるエルフの女性が一歩前に出た。
フィーナは湊の前で丁寧にお辞儀をした。
「湊様、初めまして。……あの『曲がった棒』を拝見した時は驚きました。この『握り手をずらして回す』という考え方、木工の常識にはないものでした……。これ、何と呼べば良いのでしょうか?」
「……そうですね。これは『クランク』と呼ぶことにしましょう」
それから数日の間、工房は劇的な変化を遂げることとなる。
湊が地面に枝で描く理想を、フィーナが確かな職人技で次々と形にしていった。
不純物を取り除く「多層式木製濾過装置」
一滴も無駄にしない「専用漏斗」
釜の底を完璧に掬い取る「専用のヘラ」
リールはこの変化をすぐさま商売へと繋げ、石鹸が売れる前から「道具の貸し出し」で利益を上げ始めた。
しかし、石鹸が煮詰まる後半の「撹拌」だけは、クランクを使ってもなお、イベリーたちが肩を回して顔をしかめるほどの重労働だった。
* * *
そんなある日の夕暮れ時。
フィーナが、見たこともない「棘だらけの木の円盤」をいくつか抱えて工房に現れた。
「ねえ、これ……どうやって使うの? ただの棘がついた木の板じゃない」
リールが不思議そうに尋ねると、フィーナは二本の軸が刺さった木枠に、二つの円盤を噛み合わせて見せた。
「リール様、湊様、見ていてください」
フィーナが片方の軸をゆっくり回すと、連動してもう片方の軸が逆方向に回り始めた。
「これまでは、何かを動かすにはその場所を直接掴むしかありませんでした。けれど、この牙同士を噛み合わせれば、力を別の場所へ自在に『渡して』いけるのです。例えば、外で牛や馬に棒を引かせて、その回転を壁越しに中まで引っ張ってきて、自動で釜を回すことだって……」
「……それ、『歯車』だ。フィーナさん、凄い……!」
「は、はぐるま……」
湊の歓喜の声とは対照的に、リールの目が、獲物を見つけた猛獣のように鋭く光った。
「……力を、渡すだけじゃない。作り変えるのね」
リールはすぐさま、その「歯車」をいくつも並べた。
だが、手作業で作られたそれは、噛み合わせに微妙な遊びがあり、大きな負荷をかければすぐに割れてしまいそうだった。
それを見たフィーナは、静かに手をかざした。
「湊様、見ていてください。これが、私の固有魔法――」
『シルヴァン・トレース』
淡い緑の光が溢れ、寸分違わぬ精度で「歯車」が複製されていく。
だが、フィーナは少し顔を伏せて付け加えた。
「……ただ、この術は『一度に一つの原型』からしか複製できず、魔力の消耗も非常に激しいのです。とても、乱用できるようなものではありません。」
その瞬間、リールはポーチから十枚の金貨をぶちまけた。
「これは、今ここにある『歯車』の購入代金。そして――今後、あなたが『魔法』でこれを増やすことを禁ずるための契約料よ。いいわね、フィーナ?」
「……えっ? 増やしてはいけない、のですか?」
「いい? この魔法による『瞬間複製』が外部に知られたら、悪い奴らはあなたを誘拐し、地下に監禁して、死ぬまでこれを作らせ続けるでしょうね。消耗が激しい? 冗談じゃないわ、死ぬまで魔力回復薬を無理やり流し込まれて、ボロ雑巾になるまで酷使されるわよ。だから、魔法での複製は今日ここで私が買い取って、封印する。今後は、あなたが作ったこの『原型』を基に、職人たちが時間をかけて手作業で写しを作っていくわ。それが、あなたの命を守る唯一の方法よ」
静まり返った工房。
フィーナはじっと黄金を見つめていたが、やがて静かに首を振り、棚の「試作石鹸」を一つ手に取った。
「この金貨は、受け取れません。代わりに、この石鹸を『一つ』頂けますか?」
「石鹸を? 本気なの? ……これは金貨1枚で売り出す予定のものよ。この金貨十枚を受け取っておけば、あとでこれと同じものが10個は買えるのよ?」
「いいえ。そのお気持ちだけで、私は十分すぎるほどの対価を頂きました。……これで、この魔法は封印いたします。」
リールは呆れたように溜息をついたが、その瞳には隠しきれない信頼の色が浮かんでいた。
「……本当にお人好しなんだから。分かったわ、その石鹸はあなたの『誓いの証』になさい。その代わり、あなたに何かあった時は、私が金貨100枚注ぎ込んででも助け出すわよ」
絆が深まったところで、リールが工房の裏手を指さすと、そこには見慣れない形をした一台の荷車が停まっていた。
車輪の軸には複製された歯車が組み込まれ、御者台にはあのクランクが突き出している。
「これ……前輪が動くのか?」
「そうよ。あなたの言った『旋回』の仕組み、フィーナに形にさせたわ。これなら重い石鹸を積んだまま、領主の館までの急な曲がり角も、ぬかるんだ道も、最小限の力で進めるわ。さあ、乗りなさい。私たちの『本命』を届けに行くわよ」
三人は最新鋭の「旋回荷車」に乗り込み、歴史を動かす商談へといよいよ出発した。




