第65話 その完成、楽園の鐘と地の底の種につき
アルヴェアルの完成祭は、豪奢でも喧騒でもなかった。
広場の中央に簡素な演台が設けられ、リールが短い言葉を述べた。
物流網の完成、安全な道の開通、新たな経済圏の誕生。
淀みなく、正確に、商人として必要なことだけを語った。
拍手が響く。
黎明の盾の面々が頬を紅潮させ、肩を組んでいる。
施設の建設に関わった労働者たちが、仕上げた壁を誇らしげに叩いていた。
湊は群衆の少し後ろで、ただ手を叩いていた。
皆と同じように。それだけのために。
* * *
式典が終わった後、湊は一人でアルヴェアルの中を歩いた。
完成した街並みを、初めてゆっくりと見て回る。
石畳の道。
均等な間隔で設置された魔導ランプの支柱。
排水を考慮した道の傾斜。
建物の壁に組み込まれた換気口。
全部、自分が設計に関わったものだ。
(………ちゃんと、できてる)
商業区画を抜け、居住区画へ入る。
フェリアより小さいが、同じ構造の集合住居が並んでいる。
窓から温かい匂いが漏れてくる。
夕飯の準備をしている人たちがいる。
子供が走ってきて、湊の横をすり抜けていった。
笑っていた。
湊はしばらく、その後ろ姿を見送った。
第二区画と第三区画の分岐点で、湊は足を止めた。
二本の道が交わる角。
その石畳の一角に、小さな水たまりが残っていた。
今日は晴れているのに、昨日の雨の水が引いていない。
(……道の勾配が、ここだけ平らになってる)
半歩近づいて、石畳の端を確認する。
わずかな話だが、水が外側に流れるべき向きと逆になっていた。
六ヶ月もすれば、石畳の目地が緩む。
一年後には、雨のたびに水が溜まる。
荷馬車の車輪が痛む。
最終的には補修が必要になる。
湊はポケットを探った。炭の欠片が指に触れた。
いつも持ち歩いている、図を描くためのやつ。
気がつくと、膝をついて石畳に記号を書いていた。
修正が必要な箇所を示す印。
続けて、小さな紙切れを取り出して補修の手順を素描する。
どの石を剥がして、どの角度で埋め直すか。使う材料の量の目安。
書き終えて、立ち上がった。
手のひらが炭で黒くなっていた。
湊はそれをしばらく見ていた。
(……いつの間にか)
自分でも、いつ動いたのか分からなかった。
ただ、直さないといけないと思ったら、手が動いていた。
ズボンで手を拭いて、歩き出す。
角を曲がった先の路地で、アピウスが壁に背を預けて立っているのが見えた。
湊が近づくと、アピウスは視線だけ向けてきた。
何も言わなかった。
ただ、口の端がほんのわずかに動いた気がした。
湊はそれに気づかないふりをして、先に歩いていった。
* * *
リールは管理棟の屋上にいた。
道路網を上から眺めながら、扇子を開いたり閉じたりしていた。
「……口の端に、炭が付いてるわよ」
湊は手の甲で口を拭った。
「見てたんですか」
「見ていないわ。でも、あなたが自分から何かをした後の顔は分かる」
湊は欄干の近くに立って、完成したアルヴェアルを見下ろした。
街道の上を、荷馬車が行き来している。
商人が交渉している声が届いてくる。
どこかで子供が笑う声もした。
「どんな気分?」
「……分からないです。ただ、直さないといけないと思ったら、手が動いてました」
「そう」
リールは扇子を閉じた。
しばらく黙っていた。
「これからどうするつもり?」
「まだ、分からないです。リールさんは?」
「私はいつも通りよ。この街を大きくして、次を作る」
「……変わらないですね」
「変わる必要がないのよ」
リールは夕焼けの方を向いた。
その横顔が、沈む光を受けて柔らかく見える。
「……ただ、少し」
言葉が途切れた。
扇子がまた開く。
「何でもないわ。下に戻りなさい。ガトが探してたわよ」
それだけ言って、リールは背を向けた。
湊は何か言おうとして、やめた。
階段を降りながら、リールの「ただ、少し」の続きを考えた。
* * *
夜。
湊は管理棟の屋上に一人でいた。
アルヴェアルの灯りが、眼下に広がっている。
照らされた道。
動く人影。
商談の声。
笑い声。
自分が作ったものが、自分がいない間も、自分が壊れている間も、動き続けていた。
(……終わった)
頼まれたことは、全部やった。石鹸から始まって、電気、道、建物、そしてこのアルヴェアル。
(じゃあ、俺は次に何をすれば)
問いが浮かんで、消えた。
今は答えがなくてもいい気がした。
ただ一つだけ確かなのは、さっき膝をついて、誰にも頼まれていないのに石畳に印をつけていたということだった。
直さないといけないと思ったから、手が動いた。
(……なんで、始まりみたいな気がするんだろう)
湊は夜風に目を細めた。
答えは出なかった。
夜の工房から聞こえてくる。
完成祭の夜にも、誰かがまだ何かを作っている。
湊は、その音を聞いていた。




