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その知恵、世界の礎(いしずえ)につき ~現代知識で異世界を便利にしたら、女商人と共に世界の道理を書き換えていた~  作者: カミツキ
二人の魔王編

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第64話 その決算、止まった世界と再開の代償につき

翌朝。

アルヴェアルに割り当てられた一室で、湊は天井を見ていた。


清潔な寝具。


虫のいない空気。


壁のランプから零れる穏やかな光。


全部、自分が作ったものだ。


「……起きてる?」


エレナが扉の隙間から顔を覗かせた。


「うん」


「何か食べられそう?」


「……分からない」


エレナが部屋に入ってきて、湊の傍らに座った。手に薄い粥の器を持っている。


しばらく、二人は黙っていた。


窓の外から、街の音が届いてくる。


荷馬車の軋み、人の声。


いつも通りの朝の音。


「俺……何日、いなかった?」


「五日だよ」


五日。


「何が……あった?」


エレナは少し間を置いた。


「物流が止まったの…。リールさんが、東部のギルドへの圧力として……」


「……クラインは?」


「爆発で、瓦礫の下に…」


湊は何も言わなかった。


「死んだ人は、他に?」


エレナの手が、器の縁を握る。


「暴動で怪我をした人が何人か。東部の一つの領では……商人が二人、おそらく……」


「俺がいたせいで」


「違うよ」


エレナの声が、静かだが真っ直ぐに湊を遮った。


「湊がいなかったせいじゃない。湊を攫った人たちのせい……それだけだよ」


「でも、俺を価値があると思わなければ、誰も攫わなかった」


「それは」


「俺の知識を、誰かが欲しがらなければよかった」


エレナは答えなかった。


湊は天井を見上げたまま、薄い粥の湯気が立ち上るのを眺めていた。


* * *


リール商会の執務室。


リールは机の上の報告書を、冷静に読んでいた。


物流停止の影響一覧。領域ごとの被害状況。暴動の発生数、負傷者数、財物の損失額。


彼女の目はそれを、数字として処理していた。


ひとつの行を除いて。


「東部第三領。備蓄の大麦が暴徒によって焼き払われた。推定死傷者、七名」


七名。


リールはその行を二度読んだ。


それから、報告書を裏返して机の上に置いた。


次に彼女がしたのは、羽ペンを取り、東部への復旧輸送の指示書を書くことだった。


品目、数量、優先順位、ルート。


全部を自分で書いた。


普段は番頭に任せる作業だ。


書き終えると、封をして、扉の外の使用人に渡した。


「今日中に出発させなさい。大型馬車を優先で」


それだけだった。


扇子は机の上に置いたまま、一度も開かなかった。


* * *


午後。アピウスが湊の部屋を訪ねてきた。


椅子を引いて、壁際に腰を下ろす。


特に何かを言うでもなく、ただそこに座っている。


湊も何も言わなかった。


しばらく経って、アピウスが口を開いた。


「私が掘った道は、まだある」


「……そうですね」


「お前が設計した道だ。お前が直した水車が回っている。お前が作った壁に、人が寄りかかっている」


「でも、俺がいない間に止まった」


「止まったが、また動き始める」


湊は少し考えた。


「……次に止まったら?」


アピウスは答えなかった。


部屋に沈黙が落ちる。


遠くから、荷馬車の音が聞こえてきた。


「お前は今、その問いを考えられる状態か」


「……分からないです」


「なら、今は考えるな」


アピウスは立ち上がった。


「食えるようになったら飯を食え。歩けるようになったら歩け。それだけでいい」


扉の方へ歩いていく。


「アピウスさん」


「何だ」


「……ありがとう、ございます」


アピウスは振り返らなかった。


ただ、大きな手を一度だけ、ゆっくりと上げた。それから扉を閉めて、廊下へ消えていった。


* * *


夕刻。アルヴェアルの正門前に、大型の荷馬車が十五台、列をなして並んでいた。


各馬車に満載された食料、薬品、農具。東部へ向かう復旧輸送の先陣だ。


「動いた! 荷車が動いたぞ!」


「リール様、ありがとうございます!」


門の前に集まった人々から歓声が上がる。


湊は窓から、その光景を見ていた。


馬車が動く。


人々が喜ぶ。


止まっていた世界が、また回り始める。


(……あの人たちは今、荷車を動かしてくれたことに感謝している)


湊は目を細めた。


(でも、止めたのも同じ人だ)


馬車がゆっくりと門をくぐっていく。


(……次に止まったら、七人では済まないかもしれない)


その問いを、湊は誰にも言わなかった。


リールが正しいのかどうか、それも分からなかった。


ただ、分からないまま夜が来た。


湊は窓を閉めた。

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