第62話 その救出、消えない罪と泥の抱擁につき
黒煙が空を焦がす岩山の砦。
アピウスたちが辿り着いた時、そこはすでに『戦場』ではなくなっていた。
「……ひどい匂いです」
エレナが口元を布で覆い、顔を歪める。
崩れ落ちた石壁。
そして、地下へ続く階段から立ち昇る、肉の焼ける異様な悪臭。
顔に傷のある傭兵が舌打ちをし、槍を構えて先に立つ。
だが、地下へ降りた彼の足が、ピタリと止まった。
「……敵兵の死体があります。だが、斬られた跡じゃねえ。こりゃあ……」
アピウスとエレナが追いつく。
そして、絶句した。
地下牢の広場だった場所。
石窯は粉々に吹き飛び、壁は真っ黒に焦げている。
そして、床には炭化した肉の塊のようなものが、いくつか転がっていた。
まだ細かく痙攣し、くすぶっているものもある。
アピウスは息を呑んだ。
魔法の痕跡はない。
アピウスの視線が、焼け焦げた窯と、煤まみれの少年の手を往復した。
「湊……! 湊!」
エレナが叫びながら、瓦礫を掻き分ける。
ひしゃげた鉄格子の奥。暗い通路の隅で、ガタガタと震える小さな影があった。
「……湊!」
エレナが駆け寄る。
だが、泥と煤と吐瀉物にまみれた湊は、エレナの手が触れた瞬間、弾かれたように身をすくませた。
「ひっ……! 触るな……っ!」
「湊……? 私だよ、エレナだよ!」
「違う……違うんだ……俺は、ただ逃げたくて……でも、粉が……火が……!」
湊の目は、エレナを見ていなかった。
焦点の合わない虚ろな瞳のまま、自分の両手を激しく掻きむしっている。
皮膚が破れ、血が滲んでも、狂ったように泥だらけの手をこすり合わせている。
「俺が殺した。生きたまま、焼いた。……あんなに、あんなに痛そうに……!」
「湊、もういい! もう見なくていいから!」
エレナが、血の滲む湊の手を無理やり掴み、その体を強く抱きしめた。
湊の体は氷のように冷たく、そして小刻みに、永遠に止まらないかのように痙攣していた。
アピウスは、腰の長剣に手をかけたまま、立ち尽くしていた。
敵を斬るために、己の誓いを破って抜いた剣。
だが、斬るべき敵は、すでに少年自身の放った『知識』によって凄惨に焼き殺された後だった。
結合法を使って、労働者たちに泥水をすすらせないために真っ直ぐな道を作り、家を建てようとしていた彼の手。
湊は爪を立て、皮膚が裂けてもなお手を擦り続けていた。
「……すまない」
アピウスは、低くひび割れた声で呟いた。
「私が、遅かった」
勇者として遅かったのではない。
ただの泥にまみれた男として、あいつの日常を守る盾になるのが、遅すぎたのだ。
アピウスは無言で歩み寄り、しゃがみ込むと、エレナごと湊の体を抱え上げた。
「……帰るぞ。お前の作った街に」
湊は抵抗する力すら失い、湊は、アピウスの腕の中で、ずっと「熱い」と呟き続けていた。
62話、お読みいただきありがとうございます。
救出のクライマックスですが、カタルシスはありません。
アピウスが剣を振るうまでもなく、敵は湊の引き起こした凄惨な事故によって壊滅していました。
人を救うために使っていた知識で、人を焼き殺してしまった湊。
その精神は限界を迎えています。
湊を無事?に取り戻したアピウスたちですが、リールが止めた世界はどうなっているのか。
壊れた彼らが帰還する第63話へ続きます。




