第5話 その刻印、宝石に宿るにつき
リールに案内された商館裏の空き家は、かつて倉庫として使われていたのか、頑丈な石造りだった。
「……よし、まずは掃除、やっちゃいましょうか」
「はい! 湊さん、お水汲みに行きましょう。案内しますね」
湊とイベリーは、二人の新しい拠点となる空き家を出て、すぐ裏手にある共同井戸へと向かった。
井戸のふちに立ち、手桶に結ばれた縄をゆっくりと下ろしていく。
水面に届いた手応えを確認し、今度は一気に引き上げる。
「よいしょ……っ。結構、重いですね」
「湊さん、無理しないでください。……あ、お水、少し濁ってますね」
バケツに満たされた水は、底が見えないくらい泥の混じったように濁っていた。
「あ、大丈夫ですよ。『濾過』すればすぐに綺麗になりますから」
「ろか……?」
聞き慣れない言葉に目を丸くするイベリーの前で、湊は暖炉の跡から消し炭を拾い集め、布と一緒に壺へ詰める。庭の小石と砂を重ねて層にして詰めていく。
簡易的な装置を作ってから上から濁った水を注ぐと、下の割れ目からは、驚くほど透き通った水が滴り落ちた。
それを見たイベリーは滴り落ちる透明な水を、まばたきもせずに見つめていた。
透き通った水で雑巾を洗い、ひたすら床を磨く。
イベリーも小柄な体で一生懸命に窓を拭いてくれた。
ただ、滑車さえない井戸から何度も水を運ぶのは重労働だった。
* * *
昼過ぎ。
湊たちは午後の作業に必要な「廃材」を探しに、再び街へ出た。
イベリーの実家である解体屋の作業場には、肉を吊るす枠の端材や、荷車の修理で出た木っ端が山積みになっていた。
「湊さん、さっきから何を……。その木枠、何に使うんですか?」
廃材を組み合わせて、小さな長方形の箱を作る湊を見て、イベリーが不思議そうに首をかしげた。
「型を使えば、同じ大きさでたくさん作れますから」
「……湊さん。それ、石鹸も同じようにできるんでしょうか? 全部同じ形になれば、リールさんの言う『宝石』みたいに見える気がして」
イベリーの鋭い提案に驚きつつ、湊たちは足早に空き家へ引き返した。
「さっきの『ろか』、石鹸を作る時の『あの水』でもやってみていいですか?」
「あー、灰を煮出した液のことだね。俺の故郷じゃ『灰汁』って呼んでました。うん、いいよ、やってみよう」
湊は軽い気持ちで頷いたが、イベリーは真剣だった。
湊が窯の土台を組んでいる間、彼女は灰汁の濾過を黙々と繰り返していた。
* * *
翌朝。
「ああっ、ごめんなさい湊さん! 私、窓をちゃんと閉めていなかったから……!」
駆け寄ると、石鹸の表面に小さな「猫の足跡」がくっきりと付いていた。
どうやら夜のうちに、野良猫が入り込んでしまったらしい。
「いや、待ってイベリーさん。これ……意外と『あり』じゃないか?」
「……湊さん。もしよかったら、猫の足跡じゃなくて、何か『しるし』を全部の石鹸に付けませんか? そうすれば、湊さんが作った特別なものだって、誰にでもすぐわかると思うんです」
「いいですね、それ。やりましょう」
イベリーはさっそく、自分が灰汁に混ぜたハーブの形をしるしにしようと、小さな木片に彫り始めた。
だが、慣れない彫刻に苦戦し、線が歪んでしまう。
「……うまく、できないです。せっかくの湊さんの石鹸なのに、これじゃ不格好で……」
イベリーが、彫刻刀を持ったままうつむく。
「大丈夫、イベリーさんの考えたデザインは素敵ですよ。……少しだけ、線の見せ方を変えてみましょうか」
湊は地面の土を平らにならすと、枝先でハーブを簡略化した図案を描いてみせた。
学校の授業を思い出しながら、茎を曲線にして、葉を幾何学的に左右対称に並べる。
「こんな感じに線を整理すると、リールさんの言う『高級品』っぽく見えると思うんです」
「……わあ。これなら、私にも彫れるかもしれません」
湊の図案が、イベリーの手で少しずつ形になっていく。
* * *
数日後。
棚の上でじっくりと乾かされた石鹸を、湊たちはリールの商館へと持ち込んだ。
型で抜かれた均一な形、濾過によって濁りの消えた色、そしてイベリーが忍ばせたハーブの微かな香り。
表面には、植物を象った幾何学的な紋章が刻み込まれている。
リールは、差し出されたその石鹸を手に取り、まずはじっと眺め、次に鼻先へ寄せた。
「……形、色、そして香り。…………合格よ。これなら金貨を出す貴族たちは列を作るわ」
リールのその言葉に、隣にいたイベリーの肩が、小さく震えた。
「さあ、お喋りは終わり。すぐに工房の準備を整えて。同じものを、今度は『商品』として量産するのよ」
「はい!」




