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その知恵、世界の礎(いしずえ)につき ~現代知識で異世界を便利にしたら、女商人と共に世界の道理を書き換えていた~  作者: カミツキ
文明開化編

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第4話 その泡、黄金を呼ぶにつき

翌朝。


ナノが手配してくれた宿の寝台は驚くほど固かったが、湊はそれでも泥のように眠った。


階下へ下りると、すでに装備を整えたナノがパンを齧っていた。


「目が覚めたか。私はこれからギルドの任務に向かう。昨日の約束通り、宿は昨晩限りだ。……さて、湊。今日からどう動くつもりだ?」


「わかってます。昨日お話しした通り、まずは石鹸を売って路銀と材料費を作ります。……イベリーさんと待ち合わせてるんです」


「そうか。お前が路頭に迷わないことを祈っているよ。ではな」


ナノは短くそれだけ言い残すと、風のように宿を出ていった。


一人残された湊は、宿の入り口で待っていたイベリーと合流した。


「おはようございます、湊さん! ほら、見てください。しっかり固まってます!」


「よかったです。……それじゃあ、商人のところへ行きましょう」


案内されたのは、街の中央広場に面した重厚な『石造りの商館』だった。


応接室で待っていたのは、金色のくせ毛を短く切りそろえた女性。


卓上の書類から、彼女はすぐには顔を上げなかった。


ペン先の音だけが静かな部屋に響く。


イベリーですら口を開かない。


「お待たせ。この商館の主、リール・リヴォルトよ」


ようやくペンを置いた彼女は、短く名乗ると真っ直ぐに湊を見た。


「イベリーがここまで言うのは珍しいわね。……手短に聞かせてもらえるかしら?」


湊は唾を飲み込み、必死に声を絞り出した。


「……み、湊といいます。昨日この街に来たばかりですが、リールさんの商売のお役に立てると思い、これを持ってきました」


湊は震える手で石鹸を取り出し、用意してもらった水桶で実演を見せた。


白い泡が立ち、泥汚れが浮き上がっていく。


その瞬間、リールの目が驚きに大きく開かれた。


「……えっ。何、その泡。汚れが消えた……?」


リールは椅子から身を乗り出し、食い入るように水面を眺めた。


彼女はおもむろに立ち上がると、桶の中に手を差し入れ、残っていた泡を指先で掬い取った。


そのままじっと泡を見つめ、指を擦り合わせて感触を確かめ、さらには鼻先へ寄せて匂いを嗅ぐ。


「ベタつきはない。むしろ肌がしっとりしているわね……。……面白いわね、これ」


リールは濡れた手を布で拭きながら、再び椅子に深く腰掛けた。


リールの指先が、一定のリズムで卓を叩く。


その瞳だけが、獲物を見つけた商人の色を帯びていた。


やがて叩く音が止まり、彼女は真っ直ぐに湊を見た。


「提案よ。製法を買い取らせて。相応の対価は約束するわ」


リールは卓に肘をつき、静かに湊を見つめた。


「あなたは苦労せず、安全な金を手に入れられる。――悪い話じゃないでしょう?」


湊は喉の奥が乾くのを感じながら、必死に声を絞り出した。


「……いえ。製法は渡せません。俺とイベリーさんで、作って卸します」


「効率が悪すぎるわ」


リールは一刀両断に切り捨てた。


「あなたたちがちまちま作るより、うちで量産した方が利益は何倍にもなるわ」


リールの言葉は、ぐうの音も出ないほど正論だった。


「……確かに、おっしゃる通りですね。わかりました。作り方はお教えします。その代わり、条件があります」


「あら、聞かせて?」


「俺の寝泊まりできる場所と、作業場にできる空き家を貸してほしいんです。それから……その石鹸を作る工房の差配は、俺にやらせてください」


リールはしばらく湊を見つめた後、くすっと笑った。


「いいわ。寝床と差配の役目ね。……契約成立よ」


湊が安堵した、その時だった。


ずっと隣で黙っていたイベリーが、湊の服の裾をぎゅっと握りしめた。


「あの……湊さん。工房のまとめ役……私に、やらせてもらえませんか?」


湊は驚いて彼女を見た。


彼女は俯き加減で、消え入りそうな声だったけれど、その瞳だけは真っ直ぐに湊を見ていた。


「湊さんは、凄いものを作る人だから……。材料や街の人とのやり取りは、私が代わりにした方が、きっと……湊さんの助けになれると思うんです」


リールは二人を交互に見つめると、面白そうに口角を上げた。


「……いいわ、イベリー。あなたが差配よ」


リールは前借りの証として数枚の銀貨を机に置くと、声を低くした。


「いい、二人とも。この石鹸、私は金貨1枚で売るつもりよ」


「……金貨、1枚ですか!?」


「ええ。まずは『それを持たないことが恥』だと、上の人間たちに思わせるの」


リールは静かに微笑み、卓上のペンへと視線を戻す。


「価値を極限まで高めるのが先。広く売るのは、その価値が固まってからよ」


「な、なるほど……」


「……それで湊、あなたへの取り分だけど、石鹸が金貨1枚で売れるごとに銅貨1枚を払うわ」


「え……? 銅貨、1枚……ですか?」


「……あの、あまりにも少なすぎませんか? 考案したのは俺なのに」


「あら、そうかしら? 材料の仕入れ、職人の給金、失敗した時のリスク――全部、うちが背負うのよ?」


リールは淡々と言った。


「それでも、高いと思う?」


……ぐうの音も出ない。


「わかりました……。よろしくお願いします」


「いい返事ね」


リールは満足げに頷くと、手元の日誌にさらさらと何かを書き留めた。


「湊。あなたは好きに知恵を出しなさい。ただし、金貨1枚にふさわしい『宝石』を仕上げること。――イベリー」


「は、はい!」


「明日までに工房の段取りを。二人の寝床は、裏手の空き家を使いなさい」


「ありがとう、リールさん」


* * *


商館を出ると、昼過ぎの眩しい太陽が湊たちを照らした。


「……イベリーさん、ありがとうございます。本当に助かりました」


「いえ……私も、湊さんの知恵が街中に広がるの、見てみたいんです!」


リールに案内された空き家は、埃は積もっているが、雨風をしのぐには十分すぎる石造りの建物だった。


手元には前借りの銀貨。隣には頼もしいパートナー。

そして、自由に使える「家」。


お風呂までの道筋に、ようやく一本の確かな光が見えた。


湊は銀貨を握りしめ、次なる工程――「量産のための設備作り」に向けて歩き出した。

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