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その知恵、世界の礎(いしずえ)につき ~現代知識で異世界を便利にしたら、女商人と共に世界の道理を書き換えていた~  作者: カミツキ
二人の魔王編

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第48話 その対価、刻印の重みにつき

カン、カン、という乾いた音が、未完成の拠点の朝を告げる。


湊はテントの隅で、薪の端材を小刀で削り続けていた。


指先は木の脂で黒ずみ、足元には大量の削りカスが積もっている。


昨夜から、彼の手は止まっていない。


彼が木片に「湊」という文字を刻むたびに、それはただのゴミから、この拠点で「人間」として扱われるための唯一の通行証へと変わる。


「……はい、次の方。名前を」


「ジャックです。……アラインカプスの西、古い水車小屋の近くで生まれて……」


湊の前には、長い列ができていた。


かつての暴動のような喧騒はない。


人々は驚くほど静かに、そして卑屈なほど丁寧に応答する。


湊が台帳に名前を書き入れ、刻印済みの木札を渡すと、彼らはそれを拝むように受け取り、すぐに服の内側へと隠した。


配給所の前では、ナノが槍の柄を地面に突き立てて立っている。


その横を、木札を首から下げた男が通り過ぎた。


彼は泥にまみれた「持たざる者」たちの視線を浴びながら、悠々と配給の鍋へと歩み寄る。


「おい、待て。お前、昨日はその女と一緒じゃなかったか?」


ナノが、列に並んでいた一人の男の肩を掴んだ。


男の隣には、怯えた表情の女が立っている。


男の首には木札があり、女の首には何もない。


「……いや、こいつは俺の『持ち物』だ。俺の札があれば、こいつの分も……」


「そんな『ルール』はない。札がある奴だけだ。下がれ」


ナノが無造作に男を突き飛ばす。


男は舌打ちをし、連れていた女を泥の中に置き去りにして、一人で配給の列へと戻っていった。


女は追いかけることもせず、ただ地面に這いつくばったまま、男の首で揺れる木札を、飢えた獣のような目で見つめていた。


* * *


「……湊。これを見てみろ」


見回りを終えたナノが湊の元へやってきた。


彼女の手には、無残に割れた一枚の木札があった。血が薄くこびりついている。


「……どうしたの、これ」


「拠点の裏で。札を持った老人が、若いやつら三人に囲まれていたんだ。……札を奪おうとしたみたいでな。奪っても、名前が違えば使えないって言ったんだが……、あいつら『削れば書き直せる』って言ってな…」


湊は、血のついた木札を手に取った。


自分が削り、名前を刻んだはずの場所が、鋭い石か何かで強引に削り取られようとした跡がある。


「……平等にするために作ったはずなのに。どうして、前より残酷に見えるんだ?」


湊の呟きに、ナノは答えなかった。


彼女はただ、次の「名無し」を追い払うために、再び柵のほうへと歩いていく。


「湊、少しは休んだら? 隈がひどいわよ」


背後から、リールの涼やかな声がした。


彼女は湊が削り溜めた木札の山を、珍しい工芸品でも眺めるような目で見下ろしている。


「……リールさん。この札、拠点の中で『取引』に使われてるみたいです。一晩泊まる権利を、札を持ってない人に売ったり……ひどいのは、札を担保に、将来の労働を約束させたり」


「あら、素敵なことじゃない。貴方の作った『道理』に、市場が価値を見出したのよ」


リールは扇子で唇をなぞり、楽しげに目を細めた。


「昨日まで、彼らはただの『飢えた群れ』だった。でも今は違う。札を持つ者は『資産家』であり、持たざる者は『労働力』。……面白いわね。昨日まで同じ泥を啜っていたのに、今日は札を持つ側と、頭を下げる側に分かれてる」


「そんなつもりじゃ……俺はただ、混乱を止めたかっただけで……」


「ええ、分かっているわ。あなたは善意で、彼らに『名前』を与えた。……でもね、名前があると便利よ。誰が逃げたか、誰が借りたか、すぐ分かるもの。」


リールは湊の肩に手を置き、耳元で囁いた。


「よく見ておきなさい。この札を握りしめて眠る子供たちが、いつかその重みに耐えきれなくなる日を。……それもすべて、あなたが望んだ『安全』の代価よ」


夕暮れ時。


配給を終えた子供たちが、リールの言う通り、首から下げた木札を強く握りしめたまま、テントの隅で眠っていた。


その小さな手は、札を奪われないように、まるで自分自身の命を繋ぎ止めているかのように、白くなるほど強く握り込まれていた。


足元から立ち上るスープの匂いが、今日もまた、湊の鼻を突いた。

ご一読ありがとうございます。


「名前」を与えた瞬間に、そこに「価値」が生まれ、同時に奪い合いや格差が生まれる。

湊が良かれと思って削った一枚の木片が、この荒野に新しい「階級」を爆誕させてしまいました。


リールの言う通り、管理されることは便利ですが、同時に逃げ場を失うことでもあります。


湊の表情がどんどん曇っていくのが作者としても心苦しいですが、物語はここからさらに「道」の外側へと波及していきます。


次回、アルヴェアルという怪物が拡張を始めます。

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