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その知恵、世界の礎(いしずえ)につき ~現代知識で異世界を便利にしたら、女商人と共に世界の道理を書き換えていた~  作者: カミツキ
二人の魔王編

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第46話 その境界、傲慢の檻につき

アラインカプス領の国境を越えた先。


かつて放棄され、魔物の巣窟となっていた古い砦の跡地に、おびただしい数の松明が焚かれていた。


巨大な石造りの塔や、堅牢な防壁など、まだ影も形もない。


あるのは、勇者アピウス率いる『黎明の盾』が森から切り出し、急ごしらえで打ち込んだ歪な丸太の柵と、雨風を凌ぐための巨大なテント倉庫がいくつか立ち並んでいるだけの、泥だらけの未完成な前線基地だった。


「……すごい。本当に人が集まってくるんですね」


風でギシギシと軋む木造の足場の上。


眼下に広がる異様な熱気を見下ろしながら、汐見湊は感嘆の息を漏らした。


日はとうに落ちているというのに、命がけで泥の街道を進んできた他領の商人たちが、次々と拠点の門へ雪崩れ込んでくる。


彼らにとって、ここが立派な建物であるかどうかなど関係ない。


魔物避けの灯火があり、石鹸の泡で馬の蹄を洗え、大鍋で煮込まれたファーガス肉の温かいスープが飲める。


ただ「絶対に命を奪われない安全」があるだけで、この泥の野営地は奇跡のオアシスだった。


「ええ。泥だらけの未完成でも、確かな安全と食事さえあれば、彼らは喜んで通行料の銀貨を払うわ」


リールが扇子で口元を隠しながら湊の隣に立った。


足場の下では、商人たちが泥水を洗い流し、暖炉代わりの焚き火の周りで歓声を上げている。


「よかった。俺の考えた『仕組み』が、こんな粗末なテントでもちゃんと機能して、みんなを笑顔にしてる。これなら、遠くから来た人たちも安心して……」


「湊。貴方の目は、光の当たる内側しか見えていないわ」


冷ややかなリールの声に、湊は口をつぐんだ。


彼女の瞳は、歓声の上がるテント群ではなく、拠点を囲む「歪な丸太の柵の外側」へと向けられていた。


「外側……?」


湊が足場の端から、柵の向こうの暗闇へと視線を落とした瞬間。


全身の血の気が、さあっと引いていくのが分かった。


灯火の光が届かない、漆黒の泥濘。


そこには、この拠点ができたことで物流を奪われ、干上がってしまった古い街道沿いの村の難民たちが、地を這うようなおぞましい数で群がっていた。


彼らは中に入るための銀貨を持たない。


ただ、丸太と丸太の隙間から漏れ出る光とスープの匂いにすがりつき、虚ろな瞳で内側の狂騒を覗き込んでいる。


厨房テントから流れ出た汚水が泥と混ざり合い、柵の外側に『黒い霜』となって彼らの足を凍らせていた。


「……リールさん。どうして……まだここは、ただのテントと丸太の柵じゃないですか! どうして、あんなに人が……」


「ここが『すべての富が集まる場所』になったからよ。富が集中するということは、それ以外の場所から富が消え去るということ。彼らは、あなたの作った新しい『ルール』から弾き出された、旧時代の残骸よ」


「だからって、ただ見捨てるんですか!? 倉庫にはまだ余裕があるし、スープだって余ってます。ほんの少し、あの中で震えてる人たちを中に入れてあげるくらい……!」


湊が手すりから身を乗り出して叫んだその時。


眼下の柵の隙間から、一人の痩せこけた他領の子供が、内側に落ちていた肉の端切れに向かって泥だらけの手を伸ばした。


ガツン、と鈍い音が響いた。


「あうっ!」


拠点を警備する私兵が、冷淡な目で子供の手を槍の柄で叩き落とした。


子供は黒い霜の張った泥の中に転がり、激しく泣き叫ぶ。


「待ってください! 何するんですか!」


湊は反射的に叫び、自分のポケットに入っていた銅貨を掴んで、足場の階段へ駆け出そうとした。


しかし、その肩を、リールの白く冷たい手が驚くほどの力強さで制した。


「……湊。あなたが今日その子にスープを恵めば、明日は一千人の飢えた民がその丸太の柵を押し倒しにやってくるわ」


「でも、あんなのあんまりだ! ただの木の柵一枚の向こうで、人が泥を啜ってるんですよ!」


「ええ、ただの木の柵よ。でもね湊。立派な『壁』なんて、最初から必要ないの」


リールは湊の耳元に顔を寄せ、凍りつくような声で囁いた。


「『接続される者』と『切り捨てられる者』を分けるのは、壁ではないわ。対価を払う者だけが安全を得られるという、あなたが作った完璧な『ルールの壁』よ。……その道理さえあれば、この粗末な木の柵は、どんな魔法の城壁よりも強固で残酷な『檻』になるわ」


「俺の、作ったルールが……」


湊の足が、その場に縫い付けられたように止まった。


握りしめていた銅貨が、手からポロリとこぼれ落ち、足場の隙間から泥の中へと消えていく。


無駄を省き、規格を定め、対価を払う者の中だけで安全を循環させる。


自分が持ち込んだ『便利で正しい仕組み』が稼働した時点で、拠点が未完成であろうと関係なかった。


仕組みそのものが、外側にいる人間を家畜のように切り捨てて見殺しにする、世界で最も正当な言い訳になっていたのだ。


「……そうか。俺たちの作ったものは、最初から彼らを拒むための檻だったんですね」


「あら。やっと気付いたのね」


「俺はただ……旅を便利に、みんなを安全にしようとしただけなのに」


「ええ、分かっているわ。あなたの知恵は、この泥だらけの拠点を照らす『光』。……そして、柵の向こうの有象無象を静かに選別する、世界で最も残酷な『檻の鍵』よ。」


夜風が吹き抜ける。


丸太の柵の内側からは商人たちの笑い声とスープの温かい匂いが、柵の向こうの暗闇からは、凍えるような泥の冷気と、死を待つ者たちの静かな呪詛が立ち上っていた。


足元から立ち上る温かいスープの匂いが、今の湊にはどうしても、「こちら側」の人間だけを選別する残酷な香りに思えた。

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