第44話 その黎明、英雄の再誕につき
湊たちがもたらした「安息」は、アラインカプスに爆発的な生産性を生み出した。
だが、新たな問題がリールの前に立ちはだかっていた。
「……物が、運べないわね」
リールは馬車が列をなして渋滞している街の門を見下ろし、扇子をパチンと鳴らした。
街の中は完璧に機能し始めている。
だが、街の外は旧時代のままなのだ。
泥だらけの街道、いつ襲ってくるか分からない魔物、地方領主たちが勝手に設けた非効率な関所。
せっかくフェリアで生産した物資も、運ぶ途中で腐るか、野盗に奪われるか、法外な通行税を搾り取られていた。
「湊。あなたの頭の中にある『知識』で、この滞った血流を良くする方法はないかしら?」
湊は羊皮紙に、長い鉄の箱のような絵を描いた。
「俺のいた世界には、『鉄道』と呼ばれる物がありました。決まった軌道の上を走り続ける鉄の乗り物です。……でも、俺にはその動力を作る技術はないし、この世界には鉄も足りない。ただ……その乗り物が止まる『駅』という概念なら、再現できます」
湊は、道の途中に点々と円を描いた。
「駅とは、ただの休憩所じゃありません。そこに行けば、必ず荷物を預ける『倉庫』や、乗り物を替える『交換所』、安全に眠れる『宿』があります。……これを一定の距離ごとに置くんです」
リールの目が、獲物を見つけた猛禽のように細められた。
「……素晴らしいわ、湊。動力なんていらない。その『駅』とやらを作れば、すべての商人、すべての金、すべての情報が、自ずとそこを通らざるを得なくなる。そうね…名前は『アルヴェアル』にしましょう。四つの層に分けるわ」
第一層は防壁と灯火を備えた『防衛区画』
第二層は『物流区画』
第三層は『労働区画』
そして最上層である第四層は、すべての情報を握る『管理区画』。
それは地方の領主すら凌駕する、暴力的なまでの『経済要塞』だった。
「……でもリールさん。それを繋ぐ『道』を造るなんて、いったい何十年かかるか」
「あら。山を砕き、魔物を蹴散らす『最強の盾』なら、つい先日、格安で買い取ったじゃない」
*
アラインカプス郊外の荒れ地。
「……おい、新入り! 手が止まってるぞ! さっさとその岩を砕け!」
「……っ、ああ、分かっている」
かつて世界を救った勇者アピウスは、上半身裸で、巨大な鉄のツルハシを振るっていた。
民衆から「不要な欠陥品」と石を投げられ、英雄としての矜持を粉砕された彼は、リール商会が提示した「負債の返済」という名目で、日雇いの土木作業に従事していた。
「精が出るわね、元・勇者様」
背後からの声に、アピウスは肩を震わせた。
ぬかるんだ泥道にリールが立っていた。
傍らには湊が控えている。
「……私を、笑いに来たのか。私はもう、あなたの邪魔はしない。ただ、この命が尽きるまで、泥を掘るだけだ……」
「笑うわけないじゃない。むしろ、勿体ないと思っているのよ。あなたが絶望したのは、斬るべきものを間違えていたからだわ」
「間違えていただと……?」
「ええ。魔物や魔王をいくら殺しても、人は病気や飢えであっさり死ぬ。……でも、見てちょうだい」
リールが扇子で指し示した先。
そこには、アピウスが昨日まで必死に砕き、平らに均した道を通り、大量の麦を積んだ馬車が、安全に隣村へと向かっていく姿があった。
「あそこに積まれている麦で、今日、五十人の餓死者が減ったわ。……剣で命は救えない。でも、『道』なら確実に命を繋ぐことができる。……アピウス。あなたは『勇者』よ。勇者の使命は魔王や魔物を倒す『矛』じゃないわ。民を守る『最強の盾』よ!」
「最強の……『盾』……?」
「そう、あなたにしかできないことなの。あなたが先頭に立ち『道』を切り開き、民を守りなさい!」
その瞬間、アピウスの濁りきっていた瞳に、強烈な「光」が戻った。
自らの筋肉と労働が明確な成果として世界を救っており、自分がまだ『勇者』であっていいのだという事実に脳を焼かれた、強烈な熱だった。
「おお……おおおおおッ!! そうだ、私にはまだ、守るべき民がいる!!」
アピウスはツルハシを、かつての聖剣のように天へと高く掲げた。
彼から放たれる『魔物避けの聖気』が、圧倒的な威圧感となって周囲の森を震わせる。
「聞け、民たちよ!!」
アピウスは、周囲で呆然としている労働者や現場監督に向かって、腹の底から響き渡る声で叫んだ。
「これより、私が先陣を切る! 魔物も、立ち塞がる岩山も、すべて私が粉砕しよう! あなたたちは私の背中に守られながら、この世界を繋ぐ礎を築くがいい! 我ら『黎明の盾』が、この地に真の救済を拓くのだ!!」
「『黎明の盾』……?」
労働者たちは、突如として熱血リーダーと化したアピウスに戸惑い、顔を見合わせた。
だが次の瞬間、アピウスは巨大な岩盤を凄まじい気迫で粉砕し、森から飛び出してきた魔物を分厚い胸板とツルハシの一撃で易々と弾き飛ばした。
「案ずるな! 私の背後にいれば、怪我一つさせん!!」
泥まみれになりながら、最前線で自分たちを守り、道を拓くその巨大な背中。
旧時代の「矛」としては不要だったかもしれない。
だが、新時代の『盾』として、彼は再び民衆にとって不可欠な存在へと返り咲いたのだ。
「……おい、見たかよ。アピウス様は、俺たちを安全な明日へ導いてくれる……!」
労働者たちの瞳に、かつてと同じ熱狂が宿っていく。
「私に続けぇぇぇぇ!!」
「は、はい! 勇者様!!」
*
「アピウスさん……」
猛進する開拓チームを見下ろしながら、湊は少し引きつった顔で息を吐いた。
「俺、ちょっと心が痛かったのでやる気が戻ってくれてよかったけど……あれで本当によかったんですか」
「ふふっ……」
リールは扇子で口元を隠し、どこまでも艶やかに、そして冷酷に微笑んだ。
「彼は『勇者』でいたかったのよ。彼は勇者のままでいてくれた方が、金以上の働きをする最高に都合のいい歯車になってくれるわ」
「……やりがい搾取だ……」
「腐りきってたアピウスも復活して、指揮も上がり道も早くできる。本当に……最高の『勇者様』だわ」
湊とリールは、狂気の労働に目覚めた勇者の姿を冷徹に見下ろしていた。
資本と現代知識による、静かで、最も残酷な世界征服が、ここに幕を開けた。




