第41話 その共生、循環の理につき
地響きが止まない。
広場の中央から噴き出した「黒い氷の棘」が、地表の石畳を無慈悲に跳ね飛ばし、リールが築いた偽りの平和を内側から爆破していた。
「湊、危ない!!」
エレナが湊の腕を引き、横へと飛び退く。直後、二人がいた場所の地面が凍上によって一メートル近くも盛り上がった。
鉄筋コンクリートの壁は耐えていたが、その下の地盤が液体のようにうねり、基礎を持ち上げている。
湊が誇った『防壁』は、今や巨大なシーソーのように傾き、周囲の民家を圧し潰していた。
「助けて……くれ……。足が、抜けないんだ……!」
瓦礫の山から、一人の男の顔が覗いていた。
昼間、湊に石を投げたあの男だ。
彼は地盤沈下で傾いた『防壁』の庇と、地面から突き出した氷の棘の間に、右足を完全に挟み込まれていた。
男の背後からは、黒い澱みの臭いに誘われた『ビッグベア』が、よだれを垂らして迫っている。
「湊! あの人を助けないと!」
「……助けるんじゃない。『回収』するんだ」
湊の声は、自分でも驚くほど冷えていた。
彼はエレナの手を握り、崩落した瓦礫の隙間に、近くに転がっていた太い金属製の支柱を差し込んだ。
「エレナ、その棒の端を掴んで! 俺の合図に合わせて、魔力を思いっきり下に叩きつけて! 魔力の震えを一点に叩きつけるような感じでいい、この棒を力任せに押し下げるんだ!」
「えっ? でも、そんなことしても、この大きな壁は動かないよ!」
「いいから!! 行くぞ、せーの……ッ!」
湊が全力で体重をかけ、エレナが詠唱と共に魔力の圧力をパイプの端へ叩きつける。
――グ、グギィィィッ!
魔法使い十人の力でも動かないはずの巨大なコンクリートの塊が、不気味な音を立てて、わずかに宙に浮いた。
「い、今だ! 抜け!!」
男が悲鳴を上げながら足を抜き取ると同時に、湊はパイプを放り出した。
凄まじい轟音と共に瓦礫が再び閉じ、背後に迫っていたビッグベアの爪が、間一髪で空を切った。
* * *
やがて、氷の棘に埋め尽くされ、地盤が波打つように崩壊した広場の中央。
リールは、半壊した慈善施設の前で、力なく座り込んでいた。
彼女の誇った施設は、澱みに誘われた魔物たちによって蹂躙され、見る影もない。
「……終わったわ。地盤も、私の商売も、全部……」
湊は、足を引きずる「契約者」を背後に従え、リールを見つめた。
「リールさん。……あんたの商売、地盤沈下まで引き起こしたじゃないか」
「……笑えばいいわ。私、大失敗したのよ」
「笑わないよ。……でも、あんたの組織力はまだ生きている。……今度は、ただ便利さを売るんじゃなくて、この『澱み』を処理して、地盤を固め直すための仕組みを、あんたの力で街の人たちに認めさせてよ」
湊はリールに、泥に汚れた「契約書」――新たな支配の設計図を突きつけた。
「……ふ、ふふ。……いいわ。敗北者のまま終わるのは退屈だもの。……あなたのその冷徹な理屈、私が最高に高く売ってあげるわ、湊」
リールは、湊の差し出した泥だらけの紙を受け取り、立ち上がった。煤けたドレスを払い、彼女の瞳に商人の鋭い光が戻る。
「『契約書』か……。ねえ湊。初めてあなたとした『契約書』の内容、覚えてる?」
「えっ? ええと……石鹸が売れるたびに、僕に銅貨1枚をくれるっていうやつ?」
湊の問いに、リールはくすりと艶やかに笑った。
「ふふっ、惜しいわね。石鹸が『金貨1枚』で売れるごとに、銅貨1枚を払うって言ったのよ。……でも、もうそんな商売も無理。街も工房もこの通りだもの。だから、あなたへの支払いはここまでよ」
「えーっ!? この状況でまさかの踏み倒し!?」
湊の情けない叫びが、静まり返った瓦礫の街に響いた。
「……あなたのその理屈、私が最高に高く売ってあげるわ、湊」
リールは湊の腕を強引に引き、歩き出した。
助けた男が怯えたようにその後を追う。
崩壊した難民街を、二人の足音が踏みしめていく。




