第39話 その効率、淀みの蓄積につき
難民街から、「暑さ」という名の絶望が消え去ってから一週間。
街は、リールの掲げる『ソレイユ・コア』の赤い輝きに満たされていた。
「マスター! 見てくれよ、この明るさを!」
広場を通りかかった一人の男が、湊の姿を見つけるなり破顔して声をかけてきた。
その手には、リール商会が配った最新の魔石が握られている。
「リール商会は炊き出しだけじゃねえ、新しい街灯まで寄付してくれたんだ。あんたの作ったあの細い『道』を通る明かりより、ずっと力強くて涼しいぜ。やっぱり大商会様は太っ腹だな!」
男は湊の答えを待たず、鼻歌まじりに去っていった。
その足取りには、かつての難民としての悲壮感は微塵もない。
彼らにとってリールは、文字通り暗闇を照らし、熱地獄から救い出した「聖母」そのものとなっていた。
だが、湊は一人、街の境界線に立ち、華やぐ街とは対照的な「足元の地面」を見つめていた。
「……おかしい」
「何がだよ、湊。こんなに平和じゃないか。みんな笑ってるし、俺たちの仕事も少しは楽になったんだ、喜ぼうぜ」
隣に立つガトが、不思議そうに首を傾げる。
だが、湊が指差した先――リールの魔石を使っている大型テントの周囲の地面を見て、ガトの顔から余裕が消えた。
真夏だというのに、そこにはどろりとした『黒い霜』がこびり付いていたのだ。
「ガト、これを見てくれ。……部屋を冷やせば、奪った熱はどこかへ捨てなきゃならない。僕の送電網なら、その『熱』を循環させて逃がしていた。でも、あの独立した魔石には、ゴミを捨てる場所がないんだ」
湊は、その黒い霜にそっと指先を近づけた。
触れた瞬間、心臓まで凍りつくような冷たさが走るのと同時に、内側からねっとりとした、「熱」が指先にまとわりついてきた。
それはただの氷ではない。
冷気を生み出した後に残る『なにか』が、行き場を失ったまま地面に沈殿していた。
湊の雷鳴コアは、街の外へ熱を逃がしていた。
だが、ソレイユ・コアには、その『逃げ道』がない。
各テントの足元に溜まり続ける黒い霜。
湊の懸念は、目に見える霜だけではなかった。
彼は鼻をひくつかせ、遠くの森に視線を向けた。
「……エレナ、最近、森の方から変な臭いがしない?」
「森? そうね、言われてみれば……何かが焦げたような臭いがするかも……」
「森……臭い……」
湊は、以前フィーナに言われた、あの残酷な自然の連鎖を思い出していた。
【ボアが減りすぎれば、それらを餌にしていた『ビッグベア』が飢え、人里を襲うようになるでしょう】
(……あの時と同じだ。規模が違うだけで、本質は何も変わっていない)
「リールさんは、目に見えるゴブリンやスライムを片っ端から燃料に変えた。……でも、それらを餌にしていた『上の連中』はどうなる? 餌が消えた上に、あの臭いまで漂ってる。……空腹の獣にとって、今のこの街は、暗闇に灯る巨大な松明と同じだよ」
* * *
「あら、湊。まだそんな陰気な顔をして、私の粗探しをしているの?」
視察に来たリールが、優雅に扇子を揺らしながら湊に声をかける。
彼女の背後には、最新の魔石を積んだ馬車が誇らしげに並んでいた。
「リールさん。あんたのソレイユ・コアは、『ゴミ箱のない家』だ。吸い取ったゴミを足元に溜め込みながら、新しい燃料を注ぎ込み続けている。……この黒い霜が街を飲み込んだら、どうするつもりですか?」
「ふふ、掃除をすればいいだけのこと。そのための新しい道具を開発すれば、また雇用が生まれるわ。……湊、あなたの考える『循環』は、あまりに歩みが遅すぎるのよ。商売は、止まった瞬間に死ぬのよ」
リールは湊の警告を、負け惜しみだと一蹴した。
「……リールさん。あんたは『道』を不要にしたと言ったけど、道っていうのは、ゴミを捨てるための『排水溝』でもあるんだ。……それが詰まった時、何が溢れ出すか、考えたことはありますか?」
リールは答えなかった。
ただ、もう一度だけ、遠くの森の暗闇に目を向けた。
「……掃除の道具が間に合うといいわね。手遅れになる前に……」




