第35話 その交渉、暗闇の礎につき
光を失い、不気味な静寂に包まれた難民街。
先程までの熱狂は嘘のように消え去り、広場には困惑と怒号が渦巻いていた。
「おい、どうなってんだ! 全然涼しくならねえぞ!」
「金返せ! ただの重い鉄くずじゃねえか!」
詰め寄る難民たちを護衛に押し留めさせながら、リールはギリィッと奥歯を噛み締めた。
「……で、どうする気?」
リールは、暗闇の中で泰然と立つ湊を睨みつけた。
「電気を止められたら、私のコアはただのゴミよ。暴動が起きる前にさっさと直しなさい。あなただって、難民たちに暑い思いをさせたくはないでしょう?」
「ええ。だから、今から『交渉』をしましょうと言っているんです」
湊は一歩前に出た。
その瞳は、ただの職人でも正義感に燃える学生でもなく、冷徹な『管理者』のものだった。
「リールさんの数千個のコアを動かすには、今の送電網じゃ細すぎる。拡張工事が必要です。……その費用を、そっちの売り上げから全額負担してください」
「はっ、冗談じゃないわ!」
リールは鼻で笑った。
「私の製品が売れすぎたせいで『道』が決壊したから、道を広げる金を私に出せって? そんなの、電気を管理しているそっちの責任でしょう!」
「なら、このまま放っておきますか? この広場にいる『お客さん』たちは、もうすぐ暴動を起こしますよ」
「っ……!」
痛いところを突かれ、リールは息を呑んだ。
今ここで返金騒ぎになれば、利益が吹き飛ぶどころか商会の信用は完全に地に堕ちる。
「……分かったわ。『拡張費用』、私が出してあげる」
屈辱に顔を歪めながらも、リールは素早く損益を計算し、首を縦に振った。
「それだけじゃありません」
湊の追撃は、そこで終わりではなかった。
「拡張工事に合わせて、難民街の『一番奥』……テントすら張れず、その日暮らしをしている区画まで、送電網を延長してもらいます」
「……は?」
リールは怪訝な顔をした。
「あそこは毎日のパンを買う金すらない、本当の貧困層よ。線を引いたところで、私のコアを買える人間なんて一人もいないわ。そんな『一文にもならない場所』に、どうして私が投資しなければならないの?」
「あんたが『切り捨てた』からです!」
湊の声に、静かな怒りが混じった。
「あんたの商売は、利益の出る多数派を救うために、金のない少数派を切り捨てた。……でも……俺の設計に『切り捨てていい命』なんて存在しない」
湊は、リールに真っ直ぐに指を突きつけた。
「こみ道は、金を持つ人間だけが通る道じゃない。俺たちの送電網を使うなら、隅から隅まで、全ての人が電気を使えるようにするための費用を払ってください!」
数秒の沈黙。
暗闇の中で、リールは扇子で口元を覆い――やがて、フフッと肩を震わせた。
「……恐れ入ったわ。ただの小生意気な子供だと思っていたけれど、あなたは紛れもなくこの街の『支配者』ね」
彼女の目から怒りが消え、代わりに商人としての冷酷な光が戻っていた。
「いいでしょう、一番奥まで線を引いてあげる。費用も全額出すわ」
「……随分あっさりと引き下がりますね」
「商人だもの。……それに、道が広がればもっと馬車が通れるようになる。難民街の奥だろうと、線さえ通っていれば、いつか必ず『私の製品』を買わせることができるわ。……首を絞めるのはあなたよ、湊?」
湊はガトに向かって、小さく頷いた。
「ガト、ギルド本部に合図を。安全装置を復帰させてください!」
「おうっ!」
ガトが空に向かって、火球魔法を打ち上げる。
数分後。
難民街を照らす街灯がパッと瞬き、そして――数千のテントから、一斉に涼しい風が吹き出し始めた。
「おおおおっ!! 動いた! 涼しいぞ!!」
再び沸き起こる大歓声。
光を取り戻した広場で、リールは優雅に踵を返し、去り際に湊の耳元で小さく囁いた。
「いいわ、工事費は出してあげる。……でも、忘れないでね、湊」
彼女の瞳に宿ったのは、憐れみすら混じった、残酷なまでの理知。
「費用は出してあげる。でも……その広い『道』を毎日見守り続けるのはあなたたちよ? 倒れないように気をつけてね、ギルドマスターさん」
リールは満足げに微笑むと、闇の向こうへと消えていった。
去っていく彼女の背中を見送りながら、湊は自分の手が僅かに震えていることに気づいた。
勝ったはずなのに、喉の奥に苦い後味だけが残る。
(……『呪い』だ……)
喜びの声を上げる住民たちの中心で、湊は静かに奥歯を噛み締めた。




