第33話 その蹂躙、資本の魔王につき
公開実験から数日後。
活気に満ちたオルメイの工房を、一人の招かれざる客が訪れた。
「――素晴らしい造形ね。そして何より、あの『安全基準』という発想。シビれたわ」
護衛もつけず、単身で現れたリールだった。
彼女は番頭の無礼を詫びると、優雅に扇子を広げ、湊に真っ直ぐな視線を向けた。
「単刀直入に言うわ。あなたの頭脳と、その『検印の権利』ごと、私の商会で金貨百枚で買い取らせてちょうだい。そうすれば、この街の難民全員に十分な食料と、快適な暮らしを約束するわ」
それは、あまりにも甘美な毒だった。
だが、湊は首を横に振った。
「お断りします。権利を渡せば、規格はまたあなたの都合のいいように捻じ曲げられる。……ルールは、誰かに独占されるためのものじゃない」
その言葉に、リールは僅かに目を伏せた。
怒るでも、笑うでもなく、ただ少しだけ寂しそうな顔を作り、パチンと扇子を閉じた。
「そう。……なら、仕方ないわね。『諦める』わ」
「え……?」
「あなたたち職人の誇りに、敬意を表するわ。この市場からは、手を引かせてもらう」
「は、はい……」
「……さようなら、湊。これからは私のやり方で、この街を救ってあげる」
彼女は深くお辞儀をし、静かに工房を去っていった。
巨大商会が、折れた。
その事実に、工房は割れんばかりの歓喜に包まれた。
* * *
それからの数週間、湊たちは文字通り寝る間も惜しんで働き続けた。
ガトがミリ単位で炎を操り銀を焼き、エレナが耳鳴りのするような高周波で絶縁層を定着させ、オルメイがそれを組み上げる。
極限の職人技で作られる『雷鳴コア』は、一日に五十個を作るのが限界だった。
だが、広場に持っていくと、コアは毎日あっという間に完売した。
「すごいぞ、今日も即完売だ!」
「これでまた五十のテントが安全になったな!」
ガトとエレナが煤まみれの顔で笑い合う。
その姿を見て、湊も胸をなでおろしていた。
自分たちの手で、この街を確実に救っている。
その確かな手応えがあった。
……だが、湊の胸の奥には、小さな「違和感」がトゲのように刺さったままだった。
毎日完売しているはずなのに、難民街からは相変わらず「暑い、死にそうだ」という悲鳴が絶えない。
そして、毎朝コアを求めて並ぶ行列は、減るどころか日を追うごとに膨れ上がっているのだ。
(いくら難民の数が多いからって、こんなに普及のペースが遅いものか……?)
その違和感の正体を、湊は最悪の形で知ることになる。
* * *
ある朝。
湊たちが「今日も完売させるぞ」と荷車を引いて広場に向かうと、そこには異様な光景が広がっていた。
凄まじい熱気と、歓声。
広場の中央には、撤退したはずの『リール商会』の巨大なテントが張られていた。
そして、その前に山のように積み上げられていたのは――。
「なっ……なんだあれは!?」
それは、湊たちが作った美しいコアとは似ても似つかない、分厚くて重そうな「不格好な鉄の塊」だった。
だが、その側面にははっきりと、湊たちが定めた『安全の検印』が刻み込まれていたのだ。
「一つ銅貨三枚! さあ、安全で涼しい新型コアだよ!」
商会の男が叫ぶ値段を聞いて、湊は息を呑んだ。
それは、湊たちが限界まで切り詰めて設定した価格の、さらに「十分の一」というタダ同然の値段だった。
難民たちは歓喜の声を上げ、我先にとリール商会のコアに群がっていく。
「……どういう、ことだ」
呆然と立ち尽くす湊の背後から、楽しげな声が響いた。
「おはよう、湊。どうしたの?随分と驚いているようね」
彼女は、自社のコアを奪い合うように買っていく難民たちを、まるで羽虫でも見るかのような冷たい目で見下ろしていた。
「嘘だろ……あんたは手を引くって」
「嘘はついていないわ。『あの時の私』は諦めたの。……でもね、私の雇った『従業員』たちは諦めなかったみたいよ」
「……ど、どういうことですか?」
湊の脳裏に、雷が落ちた。
毎日、自分たちのコアを即座に買っていった人々。
彼らの顔を、湊は一人も覚えていなかった。
「まさか……!」
「並んで買っていたのは、私が雇った人間よ。あなたのコアは……私の倉庫にあるわ」
湊の血の気が引いていく。
「一個売るたびに大赤字よ。でもね、湊。私にはその赤字に数ヶ月耐えられる『資本』がある。あなたたちのギルドに、その体力はあるかしら?」
「…………ッ」
湊の横で、ガトが握りしめた拳を震わせ、エレナが絶望に瞳を揺らした。
自分たちが指先を焼き、耳鳴りに耐えて作り上げた『真心』は、一度も誰かのテントを冷やすことがなかった。
湊は、言葉を失った。
「……それにしても、不思議だと思わない?……私がどうやって……あなたの定めた『基準』をクリアしたのかを」




