第25話 その再会、無垢な洗浄につき
アラインカプスの街は、静まり返っていた。
かつて活気に溢れていた市場は瓦礫に埋もれ、湊が誇りに思っていた鉄筋コンクリートの外壁は、見る影もなく崩れ去っている。
「……湊、いつまでそうしているつもり?」
背後から、リールの冷徹な声が響いた。
彼女は煤で汚れた服を、何事もなかったかのように新しいものに着替え、手帳を片手に立っていた。
「瓦礫の撤去、負傷者の収容、冬に向けた備蓄の再計算……やることは山積みよ。あなたの知恵が必要なの。どうすれば良いかみんなで相談するわよ。」
湊は、力なく首を振った。
「……もう、何も言いたくない。僕が知恵を出せば出すほど、誰かが傷つくんだ。ガトも、領主さんも、街の人たちも……僕の知識が、エレナをあんな目に遭わせたんだ」
「でも、あなたの知恵で生き延びた人もいるわ。あなたが今動かなければ、残された人たちは飢えて死ぬ。……それも『知識のせい』にするつもりかしら?」
「…………」
リールは小さく鼻で笑い、踵を返した。
その足音はどこまでも正確で、迷いがない。
「先に行ってるわね」
(ここまで……か。)
リールの足音が遠ざかり、再び静寂が訪れる。
湊は、廃屋の隅に横たえられたエレナの元へ歩み寄った。
エレナの身体からは、不規則な青白い電火がパチパチと放たれ続けていた。
湊が震える手で彼女の頬に触れようとした瞬間、バチリ、と鋭い衝撃が走り、指先が焼ける。
「……っ!」
触れることすら許されない。
彼女の肌は、黒い煤と、煮詰まった魔力回復薬の残滓、そして過負荷で焼けた皮脂が混ざり合い、無惨に汚れていた。
そこにあるのは、ただ人を拒絶し、放電を繰り返す壊れた装置だった。
「ごめんね、エレナ……。こんなに汚して……。せめて、最後くらい……」
湊は震える手で、石鹸を取り出した。
冷たい水に布を浸し、石鹸をたっぷりと泡立てる。
白い泡が、湊の指先で柔らかく膨らんでいく。
指先を焼かれる痛みを無視して、湊は彼女の腕に触れた。
バチバチと火花が散り、布が焦げる。
それでも湊は手を止めなかった。
彼女の腕を、顔を、首筋を、石鹸の泡で包み込み、丁寧に、優しく拭い始める。
「……すぐ、綺麗にするからね。……痛くないよ、大丈夫だから」
バチバチと耳障りだった放電音が、次第に静まっていく。
湊が最後の一拭きを終え、彼女の顔を清めた瞬間――。
部屋を支配していた不気味な光が、スッと消えた。
「……えっ……」
エレナの呼吸が深く、穏やかなものに変わる。
閉ざされていた彼女の瞼が、ゆっくりと、震えながら持ち上がった。
「……み…な…と……?」
弱々しい、だが確かな声。
湊は、反射的に彼女の手を握った。
今度は、電撃は走らない。
ただ、柔らかくて、少しだけ冷たい、一人の少女の温もりがそこにあった。
「……エ、エレナ! ……よかった……!」
湊は、彼女の手を自分の頬に押し当て、子供のように泣きじゃくった。
石鹸の泡が、黒く焼きついた汚れを静かに洗い流していく。
それが何だったのか、湊にはわからない。
ただ。
少女を覆っていた不気味な放電だけが、静かに消えていった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第25話をもちまして、第1部「アラインカプス文明開化編」が完結となります。
湊がもたらした現代の知恵は、街を豊かにし、鉄筋コンクリートの防壁で人々を守るはずでした。
しかし、その知恵は兵器へと姿を変え、皮肉にも彼が守りたかったものを自らの手で粉砕する結果を招きました。
絶望した湊を救ったのが、彼がこの世界で最初に作った、最も素朴な『石鹸』であったことは、非常に思い入れのある展開となりました。
実は、エレナの暴走を石鹸が止められたのには、一応理屈があります。
暴走した魔力は、回復薬や汚れと混ざり合い、彼女の体表に“帯電した不純物”として残留していました。
石鹸はそれを水ごと洗い流し、さらに泡立った石鹸水が魔力を逃がすアースの役割を果たしたことで、行き場を失ったエネルギーが放散されたというイメージです。
当初本文で理屈を記載していたのですが、読み返していると説明が邪魔になってきたので後書きの場を借り補足させていただきます。
「破壊」は終わりましたが、街の形も、人々の心も、もう以前と同じではありません。
引き続き見守っていただければ幸いです。




