第22話 その代償、傾く天秤の檻につき
ヴァレー領の市場。
「畑が耕せねえ……」
男は、刃の欠けた鍬を握りしめた。
「……また『リール商会』の替え刃が届かなかった。どうすんだよ、これじゃ農具の修理もできやしねえ」
「裏ルートで回ってる分は、金貨三枚だってよ。……俺たちの半年分の稼ぎが、たった一枚の鉄の板に消えていくんだ」
領民たちの目は濁り、その不満の矛先は、領地を豊かにできない無能な領主へと向けられ始めていた。
領主館の窓から、ヴァレー領主は街の静かな「死」を見下ろしていた。
「……奴ら、戦わずして我が領を喰らうつもりか」
震える手で握りしめた報告書。
それは、魔法学校から届いた「新解釈」に関するものだった。
* * *
同じ頃、ヴァレー領魔法学校。
「――ですから、磁力を使って鉄を引っ張れるなら、重いものを動かす道具にも使えるはずなんです! 」
壇上のエレナが小石ほどの鉄塊を磁力で引いて見せると、居並ぶ老教授たちが一斉に身を乗り出した。
「エレナ君。この研究は、我が領の……いや、人類の歴史を変える。君は今日から『宮廷魔導技師』だ。専用の塔と、必要なだけの予算を与えよう」
「本当ですか!? 私、頑張ります! これで、みんなを助ける道具をたくさん作れますよね!」
数日後。
エレナには約束通り、豪華な調度品に囲まれた研究塔が与えられた。
だが、その扉の外には常に十数名の「領主直属の兵」が立ち、外部との接触は一切禁じられた。
「……エレナ様、これは安全のためです。あなたの叡智は、今や国家の宝なのですから」
恭しく告げる兵士の言葉を信じ、エレナは一人、湊に教わった磁力の計算式を羊皮紙に書き込んでいく。
* * *
対照的に、アラインカプス領の空気はどこまでも穏やかだった。
「湊さん、見てください! コンクリートを混ぜた壁、もうこんなに高く積み上がりましたよ!」
拠点の建設現場では、魔法の炉で温められた鉄の延べ棒を加工し、湊の記憶にある「鉄筋コンクリート」を模した強固な防壁が築かれていた。
火の魔法使いたちは、自分の魔力が街の安全を守る礎になっていることに誇りを感じ、額の汗を拭って笑い合っている。
「すごいね。これなら、どんな魔物が来ても安心だよ」
「……湊。ヴァレー領が、アラインカプス製の全商品の『取引禁止』を宣言してきたわ」
「えっ? あんなに便利だって喜んでたのに、どうして?」
「わからないわ。……これからどうしましょう……」
(ふふっ、……ようやく気付いたようね)
扇子で隠したリールの微笑みは、沈みゆく夕日のように美しい。
* * *
湊がアラインカプスの壁を見上げている頃。
ヴァレー領の研究塔では、領主がエレナの背後で、冷徹な命令を下していた。
「いいか、エレナ。もっとだ。……お前の研究だけが、我らの未来だ」
「は、はい……領主様。みんなのために、頑張ります」
湊からもらった石鹸で洗ったエレナの清廉な瞳は、明るい未来だけを信じていた。




