第21話 その来訪、雷姫の日常につき
アラインカプスの関所に、一台の乗り合い馬車が到着した。
降り立ったのは、魔法学校の豪奢なローブの下に、動きやすい革の軽鎧を着込んだ少女だった。
「湊ーっ! 約束通り遊びに来たよ!」
ぶんぶんと大きく手を振るエレナに、出迎えに来ていた湊も笑顔で手を振り返した。
「エレナ!いらっしゃい、遠かったでしょ」
「ううん、平気! それより、お手紙に書いてあったあれ、本当にもらえるの!?」
期待に満ちた瞳で見つめられ、湊は苦笑しながら、小さな木箱を手渡した。
中に入っているのは、丁寧に切り分けられた淡い乳白色の固形物――アラインカプス特産の石鹸だ。
「水場で試してみる?」
湊に促され、エレナは水場に駆け寄った。
冷たい水で石鹸を擦ると、ふわりと花の香りが広がり、きめ細やかな泡が両手を包み込む。
「わあ……っ! すごい、すごいよ湊! いい匂いがするし、お水で流しただけで手がすべすべになってる!」
彼女は自分のローブの下の軽鎧を見下ろし、少しだけ寂しそうに笑った。
「いいなぁ、湊は。こんな風に、人を笑顔にするものを作れて」
「エレナだって魔法使いなんだから、すごいじゃないか」
「そんなことないよ。……水魔法なら飲み水を出せるし、土魔法なら家も建てられる。でも……私の雷は、壊すことしかできないの」
彼女は濡れた手をハンカチで拭きながら、ぽつりとこぼした。
「だから私、卒業したら冒険者になるしかないんだ。本当は戦うのなんて怖いし、痛いのも嫌なんだけど……それしか、自分の生きていく道がないから」
エレナは、濡れた指先をぎゅっと握りしめた。
湊は少し考え込み、やがて「ちょっと、見せたいものがあるんだ」と彼女をオルメイの工房へ誘った。
* * *
工房の中では、絶え間なくカンカンと鉄を打つ音が響いていた。
そこにはオルメイと一人の青年の姿があった。
エレナが驚いたのは、部屋の奥に設置された見慣れない石の炉だった。
そこには一人の若い魔法使いが座り込み、真剣な、しかしどこか誇らしげな表情で、石の炉に向けてじっと魔力を送り続けている。
「あ、湊さん! 見てくださいよ、今日も俺の火、途切れてませんよ!」
若者が声をかけると、炉の中の炎が心地よい音を立てて燃えた。
エレナは目を丸くした。
「あなた、どうしてこんなことを……? 魔力がもったいなくないの?」
「もったいない? とんでもない!」
若者はにかっと笑って、自分の胸を張った。
「この炉、俺みたいな弱い火でも、ずっと同じ熱を出し続けられるんです!」
熱気に上気した顔をほころばせ、ガトがエレナへ向かって熱っぽく語る。
額には脂汗が滲み、呼吸も少し荒い。
それでも、炉を見つめる瞳だけは誇らしげだった。
「おいガト。無駄口ばっか叩いてねえで、ちゃんと見てろよ。」
オルメイの野太い怒声が工房に響く。
ガトは慌てて煤けた袖で額をぬぐうと、居住まいを正して再び炉へ意識を集中させた。
「はい!」
「……。盗めるもんなら、今のうちに盗んでおけ。お前も職人の端くれならな」
「えっ……はい!師匠!!」
「魔法を、燃やし続ける……。一瞬の爆発じゃなくて、魔力を注ぎ続けることで……」
「そういうこと。雷だって、工夫次第で絶対に生活の役に立つはずだよ」
工房の隅に移動し、湊は羊皮紙に図解を書きながら、学校の理科の授業で習った知識を引っ張り出した。
「雷……つまり電気を、鉄の周りにぐるぐると流すと、見えない力で鉄を引っ張ったり弾いたりする『磁石』になるんだ。その力を使えば、重いものを動かすことだってできるはずだよ」
「鉄を、引っ張る……?」
「うん。魔法は戦うためだけのものじゃないんだ」
湊の言葉に、エレナの瞳にパッと光が宿った。
「……私にも、誰かの役に立てるものが、作れるかもしれない」
「うん。……これ、あの炉に使ってる『魔力を整えて保つ術式』のメモ。もしよかったら、参考にしてよ」
「ありがとう湊!! 私、学校に戻ったら、絶対に雷の新しい使い方を研究してみる!」
エレナはメモを胸に強く抱きしめ、満面の笑みを浮かべた。
* * *
夕暮れ時。
石鹸とメモを大事そうにカバンにしまい、エレナは何度も振り返って手を振りながら、ヴァレー領へと帰っていった。
見送る湊の背後から、リールが静かに歩み寄ってきた。
「湊、あの子と仲良さそうにしてたのに、あんなの渡してよかったの?」
「えっ? でも、すごく喜んでましたよ」
湊は無邪気な笑顔で答えた。
「エレナ、自分の魔法が戦いにしか使えないって悩んでたから。……あの術式と磁石の知識があれば、いつか彼女が、世界を便利にするすごい道具を作ってくれるかもしれませんよ」
「……そう。」
リールは扇子で口元を隠したまま、夕闇へ消えていく馬車を静かに見送った。
「……ふふ」
リールの水色の瞳が、どこか嬉しそうに細められる。
(あなたも結局、『才能』を正しく配置し始めているじゃない)
少なくとも――彼女は、そう信じていた。




