表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その知恵、世界の礎(いしずえ)につき  作者: カミツキ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/4

第2話 その熱狂、渇望につき

「……嘘だろ。これがこの街一番の宿なのか?」


アラインカプスの宿屋の一室で、俺は絶句していた。

案内された部屋は薄暗くて埃っぽい。何より耐えられなかったのは、自分の体から漂う、逃走劇でかいた汗と泥の混じった不快な臭いだった。


「ナノ、風呂はどこだ? 湯船に浸かりたいんだけど」

「フロ? ……ああ、身体を清める儀式のことか。そんなもの、大きな神殿か貴族の館にしかないぞ。ほら、これで拭け」


差し出されたのはボロ布と冷めた水の桶。この世界の住人は、表面の汚れを拭うだけで済ませているらしい。


「いや、無理! 汚れを拭くだけじゃ脂が落ちないんだ。……なあナノ、せめてお湯を沸かして、大きな桶に入って浴びるくらいはできないのか?」

「何を言っている。薪も水も貴重なんだぞ。汚れを拭く以上の水を使えるのは、大きな神殿か貴族の館くらいだ。……嫌なら、雨でも降るのを待つんだな」


この世界の「当たり前」を突きつけられ、俺はベッドの端に座り込んだ。現代の快適さを知っている俺には、この不潔さは死ぬより辛い。このまま、一生ベタベタした体のまま過ごすのか? そんなのは御免だ。



「……ナノ。火と土を扱える場所を教えてくれ。俺、このままじゃ正気でいられない」

「……ついてこい。偏屈だが、腕のいい知り合いがいる」



街の端にある煤けた工房


「おい、オルメイ! いるか?」

ナノが声をかけると、奥から横幅が異様に広い、頑固そうなドワーフが顔を出した。

「なんだ、ナノか。また剣でも折ったのか?」

「今日は連れを紹介しに来たんだ。……湊、こいつはオルメイ。火の扱いにうるさいドワーフだ」


俺は一歩前に出て、オルメイさんに厚みのあるレンガの試作を頼み込んだ。ドワーフのプライドを刺激された彼は、「やってやろうじゃねえか」と不敵に笑い、粘土を捏ね始めた。


「よし、焼き上がるまで時間がかかる。適当に時間を潰してきな」

オルメイさんの言葉に、ナノが俺を促した。

「湊、少し『解体屋』へ付き合え。今日狩ったワイルドボアを解体してもらうんだ。」


たどり着いたのは、血と獣の匂いが漂う活気ある一角だった。

「おい、カルスさんはいるか!」

ナノが声をかけると、奥から大きなナイフを持った大男が出てきた。

「おお、ナノか。また大物を仕留めたな」

「ああ。……それとカルスさん、こいつは湊だ。わけあって私が面倒を見ている」


「初めまして、汐見湊です。しばらくこの街でお世話になります」

「湊、か。丁寧な挨拶だな。俺はカルス。こっちで仕分けをしてるのが娘のイベリーだ」


紹介された先を見て、俺は思わず目を瞬かせた。

無骨な解体場には不釣り合いなほど、その少女は可憐だった。

背中まで届く艶やかな紫の長髪を後ろで緩く束ね、白い肌には少しばかり返り血が飛んでいる。俺と同じか、少し下くらいの年齢だろうか。

伏せられた睫毛が長く、おとなしそうな印象だが、肉を捌く手つきは迷いなく正確だった。


「……あ、どうも。イベリーです」

彼女は少し人見知りなのか、手を休めずに小さく会釈した。その手元には、廃棄される予定の真っ白な脂身が山積みになっている。



(真っ白な脂……待てよ。ワイルドボア……猪……あの脂身!)



俺の頭の中で、バラバラだった知識が一つに繋がった。



「なぁナノ、そのボアの脂身、少し分けてほしいんだが」

「脂身? そんなもの、ギトギトして食えたもんじゃないぞ」

「そうだよ。欲しけりゃ持っていきな。……おっとそうだ、イベリー。お前、ちょうどいいところへ」


カルスさんが、仕分けをしていた娘を呼び止めた。

「ちょうどオルメイさんのところに、研ぎ直してもらった包丁の代金を届けなきゃいけなかったんだ。湊さんたちについて行って、渡してきてくれ」


「えっ……。はい、わかりました。……あの、湊さん。よろしくお願いします」

 人見知りのイベリーが、小さな声で頭を下げる。こうして、バケツ一杯の脂身とイベリーを連れて、俺たちは再び工房へと戻った。


数時間後。工房の隅で、俺はイベリーが「何に使うんですか?」と不思議そうに見守る中、ボアの脂と木灰を鍋で煮詰めていた。ちょうどその時、窯から石のように重厚な「分厚い試作レンガ」が取り出された。


「……信じられん。本当に焼けやがった。だが湊、この重い塊……どうやって固定するんだ? 積み上げたら、重みですぐに崩れちまうぞ」

オルメイさんは困惑していた。厚いレンガを自立させる積み方も、強固な接着方法も、この世界にはまだ存在しないのだ。


「え? 適当に糊みたいなやつで……。」

「バカ言え! お前の作ったこの『厚い塊』は重すぎるんだ。漆喰が固まる前に次のを乗せたら、重みで全部はみ出しちまう。……いつも通りのやり方じゃ、こんなもんで建物なんて作れねえよ」


俺は言葉を詰まらせた。

(……待てよ。動画で見たことあるぞ。砂と水、それに『グレーの粉』を混ぜて、ガチガチに固めていたやつ……)

だが、そのグレーの粉が何なのか、どう作るのか、俺には思い出せなかった。


「……鉄の鍋を据えれば最高だと思ったんだけど、前途多難だな」

「テツ? なんだそれは。新しい青銅の混ぜ方か? ……湊、お前は面白いが夢見すぎだぜ」


「あはは、……接着方法については、ちょっと考えさせてよ。でも、今日はお風呂はお預けだ」



俺は誤魔化すように、完成したばかりのクリーム状の液体を木皿に取った。

「ま、フロは無理でも、こいつの効果だけは試してくれ!」


半信半疑のまま、ナノがボアの返り血で汚れた手を桶の水に浸し、それを塗り込む。

「……ん? なんだこれ。脂なのに、白くなった?」

 冷たい水の中で、茶色かった獣脂が、見たこともない「真っ白な泡」へと姿を変えた。


「なっ……!? なんだこの泡は! 雪のように白いぞ!?」

ナノの驚愕の声に、横で見ていたイベリーが息を呑む。

水で手を流すと、頑固な汚れも臭いも完全に消え去り、驚くほど清潔になったナノの手が現れた。


「……落ちている。脂の臭いも、ベタつきも一つもない。魔法も使わずにこれほど落ちるなんて……」


ナノとオルメイが呆然とする中、俺はそっとイベリーを見た。

彼女は、自分の家で捨てられていた脂身が、これほど美しく、価値のあるものに変わった瞬間を、食い入るように見つめていた。


「あはは、俺の故郷じゃ常識だよ。」


風呂はまだ先だけど、俺の「ありふれた知識」がこの世界を驚かせた。


(俺が、この世界の歴史を進めてやるんだ)

俺の心は、得体の知れない全能感に満ち溢れていた。

読んでいただきありがとうございます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ