第1話 その刹那、異世界につき
初投稿です。
退屈、だった。
窓の外、校庭を走るサッカー部の声も、黒板を叩くチョークの音も、俺にとっては遠い世界の出来事のように思えた。
汐見湊。それが俺の名前。どこにでもいる、少し刺激に飢えた高校生。
(あーあ……異世界にでも行けねーかなぁ)
そんな使い古された妄想を抱きながら、俺は教科書を枕にまどろみの中へと沈んでいった。
ふと、頬を撫でる風の冷たさに目が覚めた。
「……ん、冷たっ。エアコン効きすぎか?」
目を開けた俺は、絶句した。
天井はない。黒板もない。あるのは、抜けるような青空と、見たこともない巨木がそびえ立つ森の中だった。
「……まじか。嘘だろ?」
心臓の鼓動が早くなる。異世界転生。さっきまで妄想していたことが、今ここにある。
こういう時は、お約束の「あれ」があるはずだ。
「神様!? スキルとか、ステータスとか、ないの!?」
……返事はない。
ならば、と俺は拳を突き出した。
「ステータス・オープン!……ファイア! 爆裂魔法! 出ろ!!」
静寂。鳥のさえずりが虚しく響く。
魔法も、チートスキルも、神様の手厚いサポートも、どうやら俺には用意されていないらしい。
だが、絶望する暇はなかった。
「グガァァァッ!!」
背後から、腐った肉のような臭いと共に、巨体が迫る。
緑色の醜悪な怪物。オークだ。
「うわああああっ!?」
俺はなりふり掛まわず走り出した。小枝が顔を打ち、足がもつれる。
「ひ、ひぃぃっ……誰か! 助けてくれ!!」
行き止まりの巨木の根。オークが棍棒を振り上げたその瞬間、一閃の銀光が走った。
――ガキィィィン!!
オークの剛腕を弾き飛ばしたのは、一人の女戦士だった。
燃えるような赤い髪に、機能美を感じさせる軽装の鎧。彼女は流れるような動作で剣を振るい、オークを瞬時に仕留めてみせた。
「……怪我はないか? 運のいい男だ」
彼女は剣の血を払い、ナノ・ウィプスと名乗った。
ここはアラインカプス領。俺が聞いたこともない場所だ。
呆然としている俺の前で、ナノが地面に落ちた「何か」を拾い上げた。
「これは? お前のものか?」
それは、逃げる最中にポケットから滑り落ちた、俺の学生証だった。
「あ、学生証……」
「がくせいしょう……?」
「そう、学生証! こう、これを機械にスライドさせて『ぴっ』てやって入るやつだよ。登下校の記録とか……」
必死に説明するが、ナノは眉間に皺を寄せ、怪訝な顔をする。
「機械? スライド? ぴっ……? 何を言っているんだ、お前は」
「(あ……ここは異世界だもんな。そんなの通じるわけないか……!)……ご、ごめん。なんでもないんだ」
俺が弱々しく笑うと、ナノは肩をすくめた。
「ふむ……まぁいい。こんなところで武器も持たず一人でいると危ないぞ。私の国まですぐそこなんだ。同行してやる」
「ありがとー! 助かるよー! でも、何も持ってないから、なんのお礼もできなくて……」
命の恩人に何もできないのは申し訳なかった。だが、ナノは俺の学生証を眺めながら言った。
「礼などよい。……うーん、では、この『がくせいしょう』とやらをもらってもいいか?」
「え? そんなものでいいの?」
「ああ。この素材の滑らかさに、この寸分狂わぬ精巧な形。なにより、ここにお前そっくりの似顔絵が描かれている。いい土産になる」
「(写真も知らないのか……。まぁ俺の写真が載ってるからちょっと嫌だけど、ID認証する場所もここにはないし、いいか)そんなものでいいなら、あげるよ!」
ナノはそれを大切そうに、布に包んで懐にしまった。
「交渉成立だ。感謝する。」
彼女に連れられて歩き出す俺。
森を抜け、視界が開けた。
丘の下に広がるのは、石造りの壁と、古びた街並み――アラインカプス。
「……あれが、私の国だ」
ナノが誇らしげに顎をしゃくった。
だが、現代を知る俺の目には、それはあまりにも「不便」な光景に映った。
(マジか……。あんな重そうな荷車、まだ牛に引かせてるのか? それにあの舗装もされていない砂利道、凸凹すぎて台車が可哀想だろ)
ふと、街の門の前で、衛兵たちが大きな石を持ち上げるのに苦労しているのが見えた。何人もの男たちが、顔を真っ赤にして綱を引いている。滑車すら使っていないようだ。
「なぁ、ナノ。あんなの、もっと楽に持ち上げる方法、いくらでもあるぞ?」
「楽に? 湊、何を言っている。あれだけの巨石、屈強な男が十人は必要だ」
「いやいや、道具をちょっと工夫するだけだって。俺の故郷じゃ、子供でも知ってる理屈さ」
俺が自信満々に笑うと、ナノは目を丸くして俺を見た。
その驚いた顔を見ていると、なんだか無性に楽しみになってきた。
(ハッ、こりゃ決まりだな。魔法はないみたいだけど、俺の『知恵』があれば、この国をいくらでも面白くしてやれる……。俺が、この世界の主役になってやるよ)
俺は、期待に胸を膨らませながら、凸凹の坂道を軽快に駆け下りていった。




