第17話 その赤熱、時代の背骨につき
新商業区の生産拠点は、今や二十四時間止まることのない巨大な「心臓」と化していた。
巨大窯からは、昼夜を問わず猛烈な熱気が噴き出し、レンガの隙間からは陽炎が立ち上っている。
だが、その心臓部の傍らで、オルメイは忌々しそうに地面へ唾を吐いた。
「クソが。……湊、見てみろ。もう限界だ」
オルメイが指差したのは、濃縮スープを煮込んでいた特製の青銅釜だった。
高価な青銅で作られたその釜は、窯の凄まじい熱量に耐えきれず、底が飴細工のように歪み、痛々しい亀裂が入っている。
「やっぱり、青銅じゃダメか……」
「ああ。だが、これ以上の『器』なんてこの世にねえ。あの重くて黒い石も、この窯が完成した時に真っ先に試したが……溶けやしねえんだ。どんなに弟子たちに『皮ふいご』を引かせても、一瞬熱くなるだけで、すぐに温度が下がっちまう」
オルメイは悔しげに、牛の皮を繋ぎ合わせた巨大な「皮ふいご」を睨みつけた。
皮ふいごは、風を送るたびに一瞬だけ呼吸を止める。
そのわずかな途切れで、炉の熱が逃げてしまうのだ。
「湊さん、見てるともどかしくなっちゃいます。みんなあんなに力一杯腕を動かしているのに、半分は空気を吸い込むための『お休み』なんですもん。あの袋を膨らませている間も、ずっと風が出せればいいのに」
「……お休み、か」
湊は、作業場の隅に転がっていた頑丈な木の板を拾い上げた。
「オルメイさん。皮の袋じゃなくて、丈夫な『木の箱』で風を送ることはできませんか? その方が熱にも強いし、中に板を入れてスライドさせれば、空気を力一杯押し出せそうです」
「箱だと? ……待てよ、中にぴったりはまる板を仕込んで、それを棒で押し引きすりゃあ、確かに袋よりも強い風が送れるな」
オルメイが顎をさすり、職人の思考を走らせる。
だが、イベリーがすぐに首を振って懸念を口にした。
「でもオルメイさん、板を押し出す時はいいですけど、戻す時に、せっかくの火を箱の中に吸い込んじゃいませんか?」
「……確かに。引く時は逆に吸い込んじまう。これじゃあ逆効果だ」
イベリーの鋭い指摘に、オルメイが唸る。
「……だったら、『一方通行の小さな扉』を付けたらどうかな。外からは開くけど、中からは絶対に開かない扉です。それを箱の両側につけて……」
湊は地面に、箱の側面に板がついた簡単な図を描いた。
「この板の扉が、引く時は外の空気を吸い込んで、押す時は勝手に閉じる。それを工夫して配置すれば、引いても押しても、どっちに動かしても風が火の方へ飛んでいくはずです」
「……吸う時も、吐く時もか! 湊、お前さんは……!」
木箱の中で、板が動くたびに、取り付けられた小さな板扉がパタパタと音を立てた。
引けば空気を吸い、押せば閉じ、今度は別の穴から炉へ向かって風を吐き出す。
* * *
数日後。
完成したばかりの巨大な「木の箱」から、轟々という地響きのような風が送り込まれ、窯の温度は未知の領域へと達した。
底部が開放され、ドロドロと光る真紅の奔流が流れ出した瞬間、湊はその熱量に圧倒され、思わず後ずさりした。
「……なんだこれ。真っ黒じゃないか」
流れ出した液体は、表面にどろりとした黒いカスが大量に浮き上がっていた。
オルメイが長い鉄の棒を構えて顔をしかめる。
だが、その表面を凝視していたイベリーが、熱風から顔を背けながら叫んだ。
「オルメイさん、その表面に浮いてるの、お肉を煮込む時の『アク』と同じじゃないんですかね? もしかしたら、それを丁寧に取り除くと変わるかもしれません!」
「アクだと? ……なるほど、理屈は同じか!」
オルメイは熱を遮る厚手の革手袋をはめ直し、長い鉄の掻き棒を使い、溶けた金属の表面をなぞりながら不純物だけを器用に別の溝へと掃き出した。
黒いカスを掻き出すたび、鉄の色が変わっていく。
濁っていた表面が、次第に白く光り始めた。
さらに数日後。
冷え固まった「鉄のインゴット」を前に、湊は言葉を失っていた。
「……湊さん、見てください。磨いたらこんなに綺麗になりましたよ」
イベリーが誇らしげに指差す。
その黒光りする金属をオルメイが叩くと、これまで聞いたこともないような、高く、澄んだ金属音が響き渡った。
「これなら……釜も壊れないし、建物の補強もできる。街の背骨が、これでずっと丈夫になりますよ!」
だが、その様子を遠巻きに眺めていたリールは違った。
彼女は、完成した鉄をそっとなぞった。
(……青銅の時代が、終わる)
リールの背中に、わずかな戦慄が走る。
(……これだけで、他領の職人は終わる)
湊がこちらを振り返った瞬間、リールはいつもの微笑みを貼り付けた。
「本当に素晴らしいわ、湊。あなたの優しさが、またこの街を救うための『盾』になってくれたのね」
広場には、鉄で補強された車輪を持つ重馬車がならんでいた。
「さあ、ヴァレー領へ私たちの真心を届けに行きましょうか。」
鉄の車輪を軋ませながら、重馬車は山道へと消えていく。




