第12話 その拡大、代償につき
大工房の生産力は、リールの想像を遥かに超えていた。
湊がもたらした知識と、人夫たちの「整い」への執念が合わさり、石鹸はかつてないスピードで量産されていく。
それらは領主館を通じて貴族たちの間で「至宝」として扱われ、金貨五百枚という巨額の投資も、瞬く間に回収できる目処が立ち始めていた。
しかし、急激すぎる成功は、同時に歪みを生み出していた。
「……油が、底を突きかけているわ!」
リールは帳簿を睨み、苦々しく吐き捨てた。
原材料であるワイルドボアの脂の供給が、生産スピードに全く追いつかなくなっていたのだ。
近隣の村々にボアの討伐依頼を乱発しているが、今度は別の問題が浮上する。
「リールさん、これ以上の乱獲は危険です」
フィーネが、いつになく厳しい表情で告げた。
「ボアが減りすぎれば、それらを餌にしていた『ビッグベア』が飢え、人里を襲うようになるでしょう。それにボアは、新しい芽を出す土を掘り返し、森の多様性を守る役割も持っています。彼らがいなくなれば、森そのものが死んでしまいます」
リールは「ビッグベアの襲撃」という経営リスクに顔をしかめた。
だが、さらに問題は重なる。
急いで狩らせたボアの解体が追いつかず、貴重な肉が腐り始めていたのだ。
そこで湊が、沈んだ空気を変えるべく提案をした。
「リールさん、俺が作ったあの『乾燥室』を、肉の保存に使わせてもらえませんか?あそこの熱と、『香る木』から出る煙を合わせれば、肉を腐らせずに長期間保存できるのですが……フィーナさん、何か知っていたりしますか?」
湊の問いかけに、フィーナは少し考え込んで口を開いた。
「香る木……。このあたりだと、『ファーガス』でしょうか。あの木なら、燃やすととても良い香りがします」
湊はすぐさま、第一乾燥室の隅でファーガスの枝を燻らせ、熱した石の側で解体したボアの肉を吊るし始めた。
数日後、乾燥室から漂ってきたのは、食欲を激しくそそる、香ばしくも力強い芳醇な匂いだった。
出来上がった肉を口にしたリールは、一瞬目を見開いた後、不敵な笑みを浮かべた。
「いいわね、しばらくはこの肉を人夫たちに提供しましょう」
「えっ!?提供!?てっきり売るのかと思ってました」
湊が驚いて声を上げると、リールはさも当然という顔で頷く。
「折角来てくれてるのよ?まずは『真心』を提供しないと……ね。」
リールが心中で何か計算を巡らせていると、工房の入り口からシビラが血相を変えて飛び込んできた。
「リールさん、湊さん、大変!川が……川が変なことになってるわ!」
「シビラ?どうしたのよ、そんなに慌てて」
リールたちがシビラに連れられて外へ出ると、澄んでいたはずの川面に、不気味な白い泡の塊がいくつも浮かび、水面がぬるぬるとした粘り気を帯びていた。
「……しまった。排水のことを後回しにしたせいで、川を汚してしまった……」
湊は激しく後悔し、その場に膝をついた。
「すみません、俺のせいです。現代の知識があるなんて調子に乗って、肝心な排水も考えずに……。公害だ。俺、全然ダメですね……」
情けなく俯く湊の前に、リールがゆっくりと歩み寄った。
彼女は湊の隣に腰を下ろすと、汚れた川を見つめたまま、冷淡に、けれど確かな力強さで言った。
「あんた、いつまでそんな顔してるのよ。商売に失敗はつきもの。大事なのは、その損失をどう補うかでしょ。それにね、あんたはもう自分一人の体じゃないのよ。ここで働いている人夫たちの生活も、この工房の未来も、全部あんたの腕にかかってる。立ち止まる暇なんてないはずでしょ」
「でも、リールさん、僕は……」
「いい? 私はあんたに金貨五百枚を注ぎ込んだの。回収は始まってるけど、私はただ金が戻ればいいなんて思ってないわ。あんたが描いたこの『景色』に投資したのよ。あんたが勝手に絶望して匙を投げたら、私の期待が全部パーじゃない。……それに」
リールはふいっと顔を背け、小さく付け加えた。
「……さっきの肉、美味しかったわよ。あんなもの作れるヤツが、たかが泡くらいで負けてんじゃないわよ。さっさと立ち上がって、私の投資に見合う『次の一手』を出しなさい」
突き放すようでいて、そこには湊の知識への絶対的な信頼があった。
「…………そうですね。リールさんの期待、無駄にはさせません」
湊は顔を上げ、仲間の顔を見回した。
イベリーは「石鹸作りと同じ濾過」を、フィーナは森に落ちている『堅い木の実』がオイルを出すことを教えてくれた。
「オルメイさん!相談に乗ってください!」
湊は大急ぎで職人のオルメイのもとへ走り、地面に棒で拙い図を描きながら必死にアイデアを伝えた。
オルメイはそれをじっと眺め、太い指で顎を擦る。
「……ほう。回る力を縦の動きに変えて、石の重みでブッ叩くってわけか。絞り出す方は川布を絞る感じだな……『くさび』をぶち込んでハンマーで叩けば十分だな。ちょうど水車のハンマーがあるんだ、そいつで横からも叩かせてやろう。よし、やってやるぞ!」
湊はイベリーの案を元に、石製の三段階の沈殿槽を排水路に設置。
そこへオルメイが用意した砂と炭を敷き詰め、脂を濾し取る『濾過槽』を突貫で組み上げた。
湊の案を元に、オルメイは水車の力で巨大な石槌を振り下ろす装置を急造した。
轟音と共に木の実の殻が砕かれ、砕かれた実は、さらに頑丈なくさび式の圧搾機へ送り込まれていく。
重い木枠へ袋詰めした木の実を押し込み、太いくさびを打ち込む。
石槌がそれを何度も叩きつけるたび、木枠全体が軋み――
――黄金色のオイルを搾り出すのだ――
グオオオォ、と水車が以前よりも重低音を響かせて唸る。
スタンプミルが動き出した瞬間、大工房に耳をつんざくような衝撃音が鳴り響いた。
石の槌が地面を叩き、くさびを打ち込む「ガツン! ガツン!」という音が、工房の空気をビリビリと震わせる。
「こりゃうるせえな……! おい湊、ぼうっとしてんじゃねえ、何かねえのか!」
「『ルブリカント・ミスト』」
フィーナが、澄んだ声で呪文を唱えた。
彼女の手から放たれたのは、淡い光を帯びた微細な霧。
その霧は、動き続ける圧搾機の、特に木の結合部やくさびが当たる場所を包み込んでいく。
瞬時にして、あれほど響き渡っていた爆音が、まるで雪の中に閉じ込められたかのように完全に消え去った。
無音
圧搾機は動いている。
くさびも叩かれている。
樋からは、不純物を除かれた黄金色の植物油が、キラキラと輝きながら外の桶へと滴り落ちていく。
だが、音だけが存在しない。
「……?な、何が起きたんですか?」
湊が呆然と声を漏らした。隣に立つフィーナも、また目を見開いていた。
「……私の魔法で、音の振動を霧に吸収させたのですが。通常なら、この魔法は数分も経てば魔力が霧散して解除されるはずです。でも、何かが違う……」
フィーナは、動く圧搾機をじっと見つめ、驚愕に震える声を上げた。
「……湊様、この機械、『くさび式』だと言いましたね?」
「え、ええ。木枠の中にくさびを打ち込んで圧力を……」
「……音が出ないのは、音の出口が物理的に封じられたからかもしれません……こんなの初めて見ました……」
フィーネの解説に、湊は言葉を失った。
何を言っているのか理解できぬまま。
通常、空中に霧散するはずの魔法が、くさび式の凄まじい「締め付け」によって機械内部に閉じ込められ、循環し続けている。
凄まじい圧力で密着した『木と木』の隙間にまで入り込んだ直後、さらにハンマーで締め付けられるのだ。
魔力の霧は、外に出る『出口』を完全に失い、木と木の結合部を静寂の魔力で固着させられた。
解除される術を失った静寂は、そのまま大工房の心臓部に定着した。
――圧搾機は永遠に、そして静かに動き続けることとなったのだ――
下流の川も、沈殿槽の効果で徐々に透明度を取り戻していく。
リールは不敵に笑い、静まり返った大工房の、確かな「仕事の気配」に耳を傾けるのだった。
第12話、お読みいただきありがとうございます。
今回登場した圧搾設備は、現実でいう「スタンプミル(水車式の粉砕機)」をイメージしています。
また、排水設備の方は「グリストラップ(油脂分離槽)」に近い構造です。
ただし、この世界では魔法や素材の性質も混ざっているので、あくまでそれっぽい異世界技術として読んでもらえれば嬉しいです。




