第10話 その熱波、野望の産湯につき
大工房の稼働初日。
イベリーの閃きから生まれた巨大水車が唸りを上げ、領主館の権利で引かれた水路の水が勢いよく木製のギアを回す。
それに連動して、窯の中では大量の石鹸のタネが自動で、かつ均一に攪拌されていた。
「すごいです……! これまでの何十倍、いえ、それ以上の速さで仕上がっていきます!」
イベリーが歓声を上げるが、現場監督である湊の顔には焦りが滲んでいた。
「だめです、止めてください! 一旦水車からギアを外して! 窯の火も落として!」
湊の必死の呼びかけに、慌てて人夫たちが動力を切り離す。
原因は「熱」だった。
オルメイが焼き上げた分厚いレンガは熱を逃がさないという点で極めて優秀すぎた。
火を落としても窯の温度は異常なまでに上昇し続け、中の石鹸がボコボコと激しく泡立ち、今にも吹きこぼれそうになっていたのだ。
「このままだと窯が熱で割れるか、中身が全部ダメになってしまいます……!」
焦りと、窯から発せられる猛烈な熱気でフラフラになった湊は、たまらず工房の横を流れる水路へ駆け寄り、頭から冷たい水をかぶった。
「ぷはぁっ……! 熱い、死にそう……どうすればいいんだ……」
びしょ濡れのまま頭を抱える湊の背後に、のんきな足音が近づいてくる。
「湊さん、お疲れですか? また『ヒール』かけましょうか?」
「や、やめてください! 今熱いのは俺じゃなくて、あの窯なんですよ!」
身構える湊は、半ばすがるように、シビラに現状の愚痴をこぼした。
「レンガが熱を溜め込みすぎて、全然温度が下がらないんです。どうにかして早く熱を逃がす仕組みを作らないと、工房ごと吹き飛びますよ……」
深刻な顔で悩む湊に対し、シビラは水路と巨大な窯を交互に見比べて、小首を傾げた。
「そうですか? じゃあ、そのお水、あの熱そうな窯にもかけてあげたらどうです?」
「え?」
「湊さんみたいに水浴びさせれば、冷えるんじゃないですか?」
魔法で何でも解決してしまう彼女らしい、あまりにも単純で物理的な一言。
だが、その言葉が湊の脳内に強烈な雷を落とした。
(水浴び……熱源に水を当てて冷ます……?)
湊の脳裏に、自室にあった『パソコン』の姿がフラッシュバックした。
高負荷の処理を行うCPUが発する異常な熱。
それを空気ではなく、冷却液を循環させて冷ますシステム。
「……水冷式か!!」
湊の目に、再び光が宿った。
湊はすぐさま、窯の様子を渋い顔で睨んでいたオルメイの元へ駆け寄った。
* * *
「オルメイさん! 青銅で細長い『管』って作れませんか!?」
「管だァ? 中が空洞の金属なんて、どうやって打つんだ。俺は鍛冶屋であって神様じゃねえぞ」
オルメイは呆れたように鼻を鳴らした。
「弱ったな……窯の周りに水を通して、強制的に熱を奪いたかったんですけど……」
湊が悔しそうに頭を抱えると、オルメイは顎の髭を撫でながら窯の外壁を見つめた。
「水を通すだけなら……青銅の板を曲げて、『樋』みてえな半円の形にするくらいならすぐできるぞ。だが、それじゃ壁に押し当てても水が漏れちまうだろうがな」
「……それです!!」
湊は弾かれたように顔を上げた。
「その曲げた板を窯の外壁に押し当てて、隙間を俺の『灰色の泥』で完全に塞ぐんです! そうすれば、壁と板の間に水を通す『即席の管』になります!」
「なるほどな……泥で塞ぐ前提なら、俺の仕事は板をひん曲げるだけで済むってわけだ。面白え、やってみようじゃねえか!」
オルメイがニヤリと笑うと、すぐさまありったけの青銅の板が運び込まれた。
(シビラさん、あなたは本当に天才です……!)
心の中で無邪気な魔法使いに深く感謝しながら、湊は人夫たちに向かって声を張った。
* * *
「すみません、誰かこの青銅の板を窯の壁に押し当てるのを手伝ってください! あと、灰色の泥の準備もお願いします!」
湊とオルメイは人夫たちと連携し、窯の分厚いレンガの外壁に沿って青銅の板を這わせ、泥で密閉する仕組みを突貫工事で組み上げた。
管の代わりに作られた即席の水冷システム。
そこに水路から引いた冷水を流し込むと、結果は劇的だった。
青銅を通る冷水が窯の熱を強制的に奪い、温度はピタリと理想的な状態に安定したのである。
だが、ここで新たな問題が発生した。
窯の熱を奪った結果、即席の管の出口からは「沸き上がった大量の熱湯」が絶え間なく吐き出されることになったのだ。
「……この熱湯、そのまま川に流したら生態系が壊れてしまいますね」
湊は真剣な顔で吐き出される熱湯を見つめた。
「何より、もったいない」
その瞬間、彼の目は「風呂を愛する現代日本人」のものへと切り替わっていた。
「皆さん、余っている石材を部屋の隅に四角く積んでもらえませんか! 隙間は泥で完全に塞ぎます! 一滴も水が漏れないように、お願いします!」
凑の指示により、大工房の一角に謎の「石造りの囲い」が爆速で組み上げられた。
そこに吐き出される熱湯を注ぎ込み、水路の冷水で温度を調整すれば――見事な「お湯」の完成である。
* * *
その日の夜。
稼働状況を確認するため、リールが隈の消えない顔で大工房へやってきた。
工房内には、完璧な品質で仕上がった石鹸の山が次々と積み上げられており、量産体制はこれ以上ないほど順調だった。
だが、現場に湊の姿がない。
「湊はどうしたの?」
リールが尋ねると、イベリーは少し顔を赤くして目を逸らした。
「湊さんなら、あちらの『窯冷ましの水溜め』の様子を見ると言って……」
リールがいぶかしみながら工房の奥へ進むと、もうもうと湯気が立ち込める石造りの立派な囲いがあった。
その中で、頭に皮布を乗せ、この世のすべての疲れから解放されたような顔で「はぁぁぁ……」と極楽の息を吐く、半裸の湊の姿があった。
「……湊。あんた、工房で、何やってるの?」
地を這うようなリールの冷たい怒声。
しかし、湊は全く動じず、湯船につかったまま真顔で答えた。
「リールさん。これは窯が熱で割れるのを防ぐための、熱逃がしの仕組みです。このお湯の逃げ場がないと、大工房が吹き飛びますよ」
いけしゃあしゃあと正当性を主張すると、湊はさらに言葉を続けた。
「リールさんもどうですか? この数日の徹夜の疲れ、全部消えますよ」
「……っ、ふざけないでよ!」
リールは顔を赤くして怒鳴りつつも、実際に窯の熱が完全に安定し、大量の石鹸が仕上がっている事実を前に、ぐうの音も出なかった。
(この男、自分の道楽のために工房の危機すら利用したわね……!)
得体の知れない湊の執念に呆れ果てながらも、これで「一ヶ月の試用期間」を乗り切るための完璧な量産体制と、湊の休息環境が整った。
巨大な熱源、水車の動力、そして「即席の水冷風呂」。
全てが噛み合った石鹸大工房の、これが真の完成であった。




