第8話 いるはずのない男
港町コークエ。
そこは「鉄錆の町ハル」の重苦しい煤煙とは無縁の、眩しい日差しと潮の香りに満ちた活気あふれる街だった。
町中を行き交う馬車、叫ぶような物売りの声、そして道端に並ぶ屋台から漂う魚介の焼ける匂い。
だが、その華やかさとは裏腹に、アルテアはどこか落ち着かない様子で周囲を見回していた。
その落ち着きのない相方にミーナが思わず声をかける。
「……アルテア、背筋が伸びすぎ。あと、その鋭い目つきもやめて。今の私たちは『ちょっと訳ありの旅の姉妹』なんだから」
「わ、分かっている……」
なおもぎこちないアルテアに、ミーナが苦笑しながら、彼女の腕を引いて路地裏の衣類店へと滑り込んだ。
騎士団時代の質実剛健な旅装束では、この街では浮いてしまう。
二人はまず、身を隠すための衣服を整えることにした。
「……このような布地の薄い服を着るのか? 防御力が皆無だが……」
「戦いに行くわけじゃないんだから! ほら、この深緑のチュニックとか、アルテアの髪色に似合うと思うよ」
ミーナは手際よくアルテアに服をあてがっていく。鏡の前で、ひらひらした裾や刺繍の入った服を押し付けられ、アルテアはまるで未知の魔導具を突きつけられた新兵のように固まっていた。
「ミーナ、このリボンは何のためにあるんだ? 敵に掴まれる隙になるのではないか?」
「それはおしゃれなの! あーもう、じっとしてて。アルテア、ここはあんまり深く考えずに私に任せて。あとその目も自然に隠さなきゃね……」
結局、ミーナの強引なコーディネートにより、アルテアは落ち着いた色合いの旅人の服に、深いフード付きのケープを纏うことになった。
身なりを整えた二人は、次に市場へと繰り出した。
市場を散策しながら、露店で食べ物を手際よく買っていくミーナ。
傭兵団という職業柄、彼女は色んな土地や町を訪れている。
若い頃から王都での訓練の日々という閉鎖された毎日を過ごしてきたアルテアとは、旅慣れという点では遥かに経験値が上だった。
「ほら、これ食べてみて。コークエ名物の揚げ魚。熱いから気をつけてね」
「ふむ……。……っ、熱い! しかし、これは……美味だな。王都の晩餐会で出されるものとは、また違う力強さを感じる」
口の周りに少し油をつけながら、真剣な顔で揚げ魚を咀嚼するアルテア。そんな「世間知らずなお姉ちゃん」の口元を、ミーナは「はいはい」と布で拭ってやる。
「聞き込みも私に任せてね。アルテアが話しかけたら、みんな尋問されてると思っちゃうから」
「……善処しよう。すまないな、ミーナ」
ミーナが露店商と世間話を装いながら情報を引き出していく間、アルテアはミーナの背後で荷物持ちを装い、鋭く周囲を警戒していた。
――その時だった。
市場の喧騒を突き抜けて、規則正しい軍靴の音がアルテアの耳に届いた。
アルテアの体が、無意識に厳戒態勢へと切り替わる。
フードの隙間から鋭い視線を走らせた先。
四人の兵士を引き連れ、威圧的な、しかしどこか焦燥を孕んだ足取りで広場を横切る男がいた。
整えられた金髪、揺るぎない騎士の立ち振る舞い。その胸元には、王立騎士団の副団長であることを示す勲章が鈍く光っている。
(ゼノス副団長……何故この町に? 王都にいるのではないのか?)
アルテアの心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
かつて自分の右腕として騎士団を支えていた男。
あの暗殺疑惑の際、苦渋に満ちた表情で自分を取り囲む兵たちを指揮し、公爵の指示に黙って従った男だ。
彼がなぜ、自分を弁護してくれなかったのか。
弁明しようとする自分を、なぜ騎士団から突き放したのか。
アルテアにはその理由は分からない。
ただ信頼していた副官に背を向けられたという事実だけが、今も胸に刺さっている。
「アルテア、どうしたの?」
ミーナが異変に気づき、小声で尋ねる。アルテアはミーナの肩をそっと掴み、首を横に振った。
「……王国騎士団の副団長だ。王都にいるはずの彼がこの町にいる」
「っ! じゃあ、やっぱりこの町には何か……」
「ああ。その可能性はかなり高くなった……」
ゼノスの一団は、立ち止まることなく港の北側――公爵が接収したと言われる古い砦の方向へと向かっていく。
その横顔は、かつての毅然としたものとは違い、拭いきれない疲労と迷いが滲んでいるように見えた。
「声をかけるの?」
ミーナの問いに、アルテアは低く、確かな声で答えた。
「いや……今はまだ、その時ではない。奴らがどこへ向かい、何を隠しているのか。突き止めるぞ」
二人は雑踏に紛れ、音もなく、かつて右腕だった男の後を追い始めた。
コークエの潮風が、一気に冷たく感じられた。




