第2話 裏切りの咆哮
夜の帳が降りた宿場町「リミット」は、不気味なほど静まり返っていた。
家々の窓から漏れる灯火は疎らで、濡れた石畳が月光を鈍く跳ね返している。
アルテアとミーナは、人気のない路地裏を影のように進んでいた。
「……あそこよ」
ミーナが小声で指し示したのは、町の外れにある古びた酒場だった。
二人が辺りを警戒しながら店内に入ると、そこには三人の男女が卓を囲んでいた。三人はすぐにミーナの姿に気付き、驚きの表情を向ける。
大柄な体躯を革鎧に包んだザックス、鋭い目つきで細身の青年ロイ、そして赤い髪をポニーテールにまとめた弓使いのカレンだ。
「……ミーナ? なんでお前がこんな所に?」
ザックスの問いに答えず、ミーナは三人に店を出るように告げる。そしてミーナたちと外に出て、人気のない路地裏へと五人は入っていった。
周りに人がいないことを確認して、ミーナは震える声で、だが正確にアルテアと出会った経緯とファビアンの反乱を伝えた。
三人共、苦々しい表情に変わり、
「……バカな、ファビアンの野郎ついにやりやがったか」
ロイが吐き捨てるように言った。その声には驚きよりも、どこか「やはりか」という諦念が混じっていた。
「私たちはバルト団長を信じている。あの人のやり方は甘かったかもしれないけれど、それが『赤狼の牙』の誇りだったはずよ。ファビアンのやり方はギャングや山賊と変わらない」
カレンが力強く声を上げる。
ザックスは静かにミーナに声をかける。
「……分かった。ミーナ。俺たちはあんたに付いていくぜ。心配すんな。団長は絶対に生きている」
ザックスの言葉に、ミーナは深く頷いた。彼女の隣で黙って気配を消していたアルテアを、三人は複雑な表情で見つめる。
「……騎士様。あんたのせいで団がめちゃくちゃだ。だが、あんたを逃がすために団長が体を張ったってんなら、俺たちに異論はねえ。今はまず生き延びることを優先する」
五人は速やかにその場を離れ、町の北門を目指した。
しかし町外れの広場に差し掛かったところで、アルテアが鋭く足を止めた。
「……止まれ。伏兵だ」
アルテアの警告と同時に、周囲の民家の屋根や物陰から松明を持った男たちが次々と姿を現した。
その数およそ十。すべて『赤狼の牙』の団員たちだ。
そして正面の松明の炎に照らされ、顔の傷跡を歪ませたファビアンが、悠然と歩み寄ってきた。
「ミーナ。まさか自分から包囲網の中に飛び込んでくるとはな……」
「ファビアンさん! 兄さんは……バルト兄さんはどうしたの!?」
ミーナの叫びが夜空に響く。
ファビアンは鼻で笑い、肩をすくめた。
「安心しろ。いないが別の場所で生かしてある。先代団長の息子だ、無下には扱わんよ。……だが、それもお前の態度次第だ」
ファビアンは一歩踏み出し、アルテアを指差した。
「賞金首をこちらへ渡せ。そうすれば、バルトの命は保証してやる。悪い話じゃないだろう? 元はと言えば、その女さえいなければ誰も傷つかずに済んだんだ」
ミーナの体が小刻みに震え始める。兄の命と、目の前の女性。
究極の選択を迫られ、ミーナが言葉を失ったその時。
アルテアが静かにミーナの背後に寄り添い、その耳元で冷徹な観察眼に基づいた言葉を囁いた。
「……応じてはならない、ミーナ。奴は嘘をついている」
「えっ……?」
「本当に奴がバルトを人質として掌握しているのなら、必ず目の前に連れてきて見せるはずだ。その方が交渉は確実だからな。ここに連れてきていないということは、バルトは既に奴の手の内にいないということだ」
アルテアの翠と緋の瞳が、暗闇の中でファビアンを射抜く。
「あの男の言葉に、一抹の真実も感じられん。信じるな」
その言葉は暗闇に迷うミーナにとって、一筋の光となった。
「……そうね。兄さんなら、簡単に捕まったままにはならない。ファビアンさん、あんたの取引には乗らないわ!」
ミーナの言葉にファビアンの表情が歪む。そして腰の剣に手が伸びる。
「……交渉決裂か。ならば……力尽くで奪うまでだ!」
ファビアンが剣を抜き放ち、合図を送る。
団員たちが一斉に距離を詰めてくる。
カレンが矢を放ち、ザックスが巨大な斧を振り回して前線を維持するが、いかんせん多勢に無勢だ。
「ミーナ、道を拓け!」
アルテアが叫ぶ。
ミーナは杖を強く握りしめ、その魔術を行使する。彼女の視線の先にある空気が、恐ろしい密度で凝縮されていく。
刹那。
透明な風の衝撃波が、目に見えるほどの歪みを伴って広場を駆け抜けた。
爆発に似た轟音が響き、最前列にいた団員たちが木の葉のように吹き飛ばされる。
ファビアンも咄嗟に身を屈めたが、その威力に数メートル後退し、膝をついた。
「今よ! 走って!」
立ち込める土煙の中を、五人は全力で駆け抜ける。
アルテアは衰弱した体を引きずりながらも、ミーナの魔術で混乱する団員たちの隙を縫うように進む。
ロイとザックスが殿を務め、迫る追っ手を払い除けた。
町を出て、深い森の入り口まで辿り着いた時。
背後の町から地響きのような、ファビアンの絶叫が響き渡った。
「それがお前の答えだな、ミーナ!! 分かった……もうバルトの命は保証しねえ! 次に会う時は、兄の首を抱いて泣くがいい!!」
その声は森の木々に反響し、いつまでもミーナの耳を突き刺した。
彼女の足が、目に見えて止まりかける。
顔色は土色になり、瞳に絶望の色が広がる。
「兄さん……私のせいで……」
その時、隣を走っていたロイが、彼女の腕を荒っぽく掴んで叱咤した。
「惑わされるな、ミーナ! 団長があの程度の野郎に簡単に殺されるかよ! ありゃ負け犬の遠吠えだ。団長は絶対に生き延びてるはずだぜ」
「……ロイ」
「俺も同意見だ」
ザックスが重々しく頷く。
「バルトはしぶとい男だ。俺たちがここで立ち止まったら、それこそファビアンの思うツボだぞ」
ミーナは溢れそうになる涙を必死に堪え、前を見据えた。
「……そうね。信じるわ。兄さんを信じて、私たちは私たちのすべきことをする」
彼女は前方を指差した。
「この先にある町『ハル』を目指すわ。あそこにはファビアンも知らない団の隠れ家がある。……それにアルテアさんの装備も整えなきゃいけないしね」
ミーナの声に、アルテアは静かに頷いた。
逃亡生活で衣服はボロボロで、剣もない無手の状態。これではとても戦うなどとは言えない。
「……ハルだな。案内を頼む」
五人の影は、深い森の中へと消えていった。
ルーバス公爵という巨悪。そして組織を乗っ取ったファビアン。
二つの陰謀と裏切りに翻弄されながらも、銀髪の騎士と風の魔術師は、闇夜の中へ踏み出した。




