第19話 反逆者の宣戦布告
旧王宮への潜入作戦が、ベルガの圧倒的な力の妨害によって瓦解してから、二日の時間が流れた。
王都の外へ抜ける地下運河は、地上に広がる光の都の影であり、吹き溜まりだ。
剥落した石壁には湿った苔が張り付き、饐えた水の臭気が鼻を突く。
この静寂と悪臭が支配する闇の中に、一人の猟犬が潜んでいた。
賞金稼ぎの男、グレイヴである。
彼は水路の分岐点にどっしりと腰を下ろし、暗視に慣れた瞳で水面を睨みつけていた。
アルテアに刻まれた足首の傷が、時折、脈打つように疼く。それが彼の飢えた狩猟本能をさらに尖らせていた。
「……ネズミどもめ。いつまで泥水を啜っていられるかな」
グレイヴは低い声で毒づいた。
この二日間、彼は一睡もせずにこの水路を監視している。
騎士団や私兵団は地上の検問を強化しているが、グレイヴのような狡猾な男は知っている。
深手を負い、正攻法を失った者が選ぶのは、常に最も汚く、最も確実な逃げ道であることを。
遠くから、微かな水音が聞こえた。
波紋を立て、ゆっくりと近づいてくるのは一隻の小さな荷舟だ。
数個の頑丈そうな木箱を積み上げ、一人の船頭が深く笠を被って竿を操っている。
グレイヴは口角を歪ませ、ゆっくりと立ち上がった。彼の背負う大剣が、鞘の中でカチリと音を立てる。
「……止まれ」
その声は、水路の壁に反響して不気味な重低音となった。船頭はびくりと肩を揺らし、慌てて竿を止める。
「な、何でしょうか、旦那。私はただの荷運びで……」
「黙れ。この二日間、ここを通る舟はすべて検めさせてもらっている」
グレイヴは舟に飛び乗り、その重量で舟が大きく揺れた。船頭は怯えたように身を縮めている。
「上の騎士団に密輸の片棒を担いでるって通報されたくなければ、その箱を開けろ。……さもなくば、箱ごと貴様を真っ二つにする」
「わ、分かりました……開けます、開けますから」
船頭が震える手で、最も大きな木箱の釘を抜きにかかる。
グレイヴは鼻を鳴らした。この二日間で止めた舟は、これで五隻目だ。
これまで中身は腐った干物や、出所不明の密造酒だった。
だが、この舟から漂う微かな薬草の匂いと、船頭の妙に洗練された身のこなしは、彼の直感に警報を鳴らしていた。
木箱の蓋が、ゆっくりと持ち上がる。
中には布に包まれた人影のようなものが見えた。
「見つけたぞ、アルテア――!」
グレイヴが歓喜に瞳を輝かせ、箱の中身を掴もうとしたその瞬間。
布の下で、赤黒い魔導光が爆発的に膨れ上がった。
「なっ!?」
ドォォォォンッ!!
鼓膜を震わせる爆音と共に、衝撃波が狭い水路を駆け抜けた。
火薬と魔力が混合された特殊な爆破トラップ。
至近距離でそれを受けたグレイヴは、体を軽々と吹き飛ばされ、ぬめる石壁に激しく叩きつけられた。
爆煙が渦巻く中、怯えていたはずの船頭が、流れるような動作で笠と外套をかなぐり捨てた。
現れたのは、鋭い眼光を放つサギリであった。
「ちっ……これしきで死ぬタマじゃないか」
サギリはグレイブに向かって毒づくと、爆発で穴の開いた舟を蹴り、足場の狭い水路沿いを一目散に駆け出した。
その速さはまさに脱兎の如く。
壁からずり落ちたグレイヴは、口に血を滲ませながら、焦げた手で大剣を掴んだ。
視界が衝撃の余波で揺れていた。
「クソっ!……囮か! 舐めやがって……ガキどもがッ!」
彼の咆哮が地下運河に空虚に響き渡ったが、すでにサギリの姿は闇の向こうへ消えていた。
◇◇
一方、その地下の爆音から数分前の地上。
王都の外縁に位置する巨大な西門では、厳戒態勢の検問が行われていた。
「次だ、止まれ!」
鋼鉄の鎧を纏った騎士が、一台の質素な馬車を止める。
御者台に座っているのは、使い古された外套を纏った若者テオだ。
彼はあらかじめ用意しておいた「薬草商」の通行証を差し出し、騎士団員に話し掛ける。
「えっと……積み荷はファランの街まで届けなければならない大事な薬です」
「薬草商か。……荷台を調べさせてもらう」
騎士が乱暴に荷台の覆いを捲り上げる。
そこには巨大な水瓶が三つ、並んでいた。騎士は腰の剣を抜き、その柄で水瓶の側面を叩く。
「中身は何だ。人が隠れるには十分な大きさだな」
「と、とんでもない! 中は貴重な薬水なんです。不用意に開けると薬効が飛んでしまう……」
「黙れ。検めるぞ」
騎士が無理やり水瓶の蓋をこじ開ける。
瓶の中には、波打つ水が満ちていた。
だがその水は薄く緑色に濁り、薬草が水面に浮いていた。
騎士は水面に浮いた薬草を手で掬い、水瓶の中に目を凝らす。
濁った水のせいで底まで確認出来なかったが、水泡などが浮いてこないので、騎士は人は入っていないと判断する。
その時だった。
ズゥゥゥン……!!
地響きのような振動が足元から伝わり、馬車全体が軽く揺れた。
「な、何だ!? 爆発か!?」
「あそこから煙が出ているぞ!!」
門周辺の騎士団員たちが一斉に色めき立った。
サギリが仕掛けた囮が、完璧なタイミングで作動したのだ。
「隊長! 街の地下で何かしらが爆発した模様です!」
「何だと!? 総員、現場へ急げ! 門の警備は最小限で構わん、アルテアが現れた可能性がある!!」
門を守っていた精鋭たちの半分以上が、地下へと駆け出していく。
テオの馬車を検問をしていた騎士も、目の前の緑色の水瓶に興味を失った。
「チッ……さっさと行け! 邪魔だ!」
「は、はい! ありがとうございます!」
テオはすぐに馬車を走らせた。
巨大な門扉が閉まる直前、滑り込むようにして王都の巨大な壁を抜けて行った。
◇◇◇
街道へ出て、王都の城壁が十分に小さくなるまで、テオは馬を急がせた。
周囲に人の気配がない、深い森の入り口。
そこでようやく一旦馬車を止め、テオは大きく息を吐きながら、荷台に飛び乗った。
「……アルテアさん、ミーナさん! もう、大丈夫です。外に出ました!」
テオが水瓶の蓋を次々と開ける。
緑色の水面から、二人の女性が同時に顔を出した。
「ぷはっ……! ……助かった」
アルテアが濡れた髪をかき上げ、深く息を吸い込む。
その隣でミーナも肩で息をしながら、水面に浮かぶ小さな風の球体を霧散させていた。
ミーナが即興で編み出した魔術『風の肺』。
水中に潜る二人の頭部を薄い風の膜で覆い、瓶の中の限られた空気を循環させ、水圧を分散させる。さらにテオが入れた薬草が、外からの視線を完璧に遮断していたのだ。
テオがアルテアとミーナに手ぬぐいを渡しながら興奮気味に話す。
「ミーナ……すごいよ。本当に、水の中で息ができるなんて」
「……風魔術の応用。でも、テオの薬草がなかったら、透けて見えてたと思う」
ミーナはびしょ濡れの顔で、少しだけ微笑み、テオを見た。
テオは顔を真っ赤にしながら、慌てて二人に追加の乾いた手ぬぐいを差し出す。
「さあ、早く拭いてください! ……サギリさんとの合流地点は、すぐそこです。彼女なら地下運河を抜けて、きっと先に着いているはずです」
アルテアは水瓶から抜け出しながら王都の方角を振り返った。
黒煙が上がるその都には、まだ救い出すべき王子と、打倒すべき宿敵がいる。
「……私たちは、生き延びた。待っていてください、エリオス殿下……必ず私がそこから救い出してみせます」
それは絶望から這い上がった反逆者が王都へ向けて放つ、宣戦布告のようでもあった。
馬車はの街道を、静かに、しかし力強く進み始めた。
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