ぱぱ、まま、せかいのぜんぶ、ごちそうさま!(3)
コンビニ弁当みたいな愛にはもう飽きちゃった。
冷凍食品みたいにカチコチに凍った男の人たちも、カップラーメンみたいにお湯を入れたら三分でできあがりの即席の優しさも、もういらない。舌が痺れるような化学調味料の味は、美羽の繊細な胃壁を荒らすだけ。
美羽が欲しいのは、もっとこう、大地の恵みをたっぷり吸い込んだオーガニックで、無農薬で、太陽の光を浴びて育った永遠の愛なの。
タカシくんは、最初は甘かったけど、最後の方は湿気たポテトチップスみたいにフニャフニャで、噛めば噛むほど悲しい味がした。ポイッてした時、心が痛まなかったのは、そこに美羽を満たしてくれるきらめきがもう残っていなかったからだ。
だから今夜、美羽は下北沢に立っている。
ここは「夢」という名の、一番栄養価の高い星屑が空気中に舞っている街。古着屋の匂いと、クレープの甘い匂いと、若者たちが発散する「自分は特別なんだ」っていう、青臭くて、でもとびっきり純粋な希望の香りが充満している。
スゥーッ、ハァーッ。深呼吸すると、スカスカだった美羽の胸の中に、ピンク色の空気が満ちていくのがわかる。
ここならある。ここなら見つかる。美羽の、底なしに寂しい魂のポケットを、いっぱいに満たしてくれる「本物の愛」が。
──ジャラーン。
音が聞こえた。
鼓膜じゃなくて、もっと奥の、心臓の鈴をチリンと鳴らすような、澄んだ音。
駅前の広場。人通りの多い階段の下。
アコースティックギターを抱えて歌っている男の子がいる。
カズヤくん、っていうらしい。
痩せてて、髪はボサボサだけど、その喉から放たれる歌声は、混じりけのないプラチナの輝きを放っている。
『──君がいない世界じゃ、息をするのも忘れちまう──』
うわあ、すごい。キラキラしてる。ピカピカしてる。魂が燃えてる。焦げ付く寸前の、一番熱い命の灯火だ。
あれに触れたら、きっと美羽の冷え切った体も、ポカポカに暖まる気がする。
でもね、もっと素敵なのは、彼の隣にいる、女の子。
名前はたぶん、サキちゃん。
彼女は楽器を持たず、ただカズヤくんの横で、道ゆく人に頭を下げたり、彼が汗をかいたらタオルを渡したりしている。
その目が、すごい。
カズヤくんのことを「世界で一番のヒーロー」だと思ってる目だ。
献身。純愛。自己犠牲。
あまーいミルクみたいな、濃厚で、白くて、優しい愛の波動が、彼女から溢れ出して、カズヤくんを包み込んでいる。
──ドクン。
美羽の胸が、ぎゅぅっと締め付けられた。
いいなあ。羨ましいなあ。あんな風に愛し合ってるんだ。あんな風に、お互いのことしか見えていないんだ。
あれは「完璧な世界」だ。
カズヤくんという「夢」と、サキちゃんという「愛」が一つになって、透明なガラスドームの中で守られている。あの中はきっと、すごく温かいんだろうな。寂しくないんだろうな。
美羽も、あの中に入りたい。
ガラスドームの外側で、一人ぼっちで震えているのはもう嫌だ。美羽もあそこで、二人に挟まれて、トロトロに溶け合いたい。
混ぜて。ねえ、美羽も混ぜてよ。二人の間に流れてるそのキラキラした矢印、美羽にもちょうだい? 美羽も愛されたい。カズヤくんに歌ってほしいし、サキちゃんに守ってほしい。
三位一体。
二人よりも三人の方が、愛の総量は増えるでしょ? 絶対もっと幸せになれるよ。
想像するだけで、脳髄が痺れて、涙が出そうなくらい切なくなる。
ライブが終わった。
パチパチパチ、とまばらな拍手。通行人のほとんどは素通りしていく。彼らの輝きに気づかない人たち。でも、美羽は違う。美羽は寂しがり屋の天才だから、あの中に眠る「本当の優しさ」を見つけられる。
「あのっ……!」
美羽は走り出した。
嘘じゃないよ。本当に、心が震えたんだもん。
ポロポロと、大粒の涙をこぼしながら、美羽はカズヤくんの目の前で立ち尽くす。
「う、歌……すっごく、感動しました……!」
「えっ?」
カズヤくんが驚いて目を丸くする。サキちゃんが優しく微笑む。
美羽は、カズヤくんの手を両手でギュッと握りしめる。冷たい彼の手を、美羽の体温で温めてあげる。
「美羽ね、今日すごく辛いことがあって……もうダメだって、死んじゃおうかなって思ってたの。でも、お兄さんの歌が聞こえてきて……『一人じゃないよ』って言われた気がして……魔法みたいだった!」
美羽の精一杯の告白。
カズヤくんの瞳が揺れる。サキちゃんの目が潤む。
通じた。美羽の心の叫びが、二人の優しい魂に共鳴したんだ。
「そ、そんな……俺の歌で……」
「よかったねカズヤ。届いてるんだよ」
「うん……ありがとう。そう言ってもらえると、俺も救われるよ」
ああ、なんて優しい世界。
二人の心のドアが開いて、美羽を招き入れてくれる気配がする。
嬉しい。温かい。
美羽は嬉しさのあまり、もっと激しく泣いてしまった。
「ううっ、うわぁぁぁん! よかったぁ、生きててよかったぁ!」
美羽はサキちゃんにも抱きつく。
サキちゃんは優しく抱きしめ返してくれた。お母さんみたいな匂い。安心する匂い。この人たちは、美羽を拒絶しない。美羽を受け入れてくれる。
「……あ」
泣き止んで、赤くなった鼻をすする。
お腹の虫が、グゥと鳴いた。
恥ずかしい。でも、これが美羽の正直な体。愛に触れたら、お腹が空くのは当たり前だもん。
「あはは、美羽、お腹空いちゃった。ごめんなさい」
「ふふっ、ううん、可愛いよ」
サキちゃんが笑う。
「ねえ、もしよかったら、このあとご飯行かない? 私たち、これから打ち上げに行くんだけど。一緒に行こ?」
わあ、招待状だ!
ガラスドームの中への招待状!
「いく! いきたい! お姉さんとお兄さんと、もっと一緒にいたい!」
赤提灯が揺れる、狭い居酒屋。
でも、今の美羽にとっては、ここが天国だ。
四人掛けのテーブル席。
美羽は、自然とカズヤくんの隣に座った。だって、近くで彼の鼓動を感じたいんだもん。
サキちゃんが対面でニコニコしてる。
三人の食卓。家族みたい。
「カズヤくん、あーん!」
美羽は枝豆を指で摘んで、カズヤくんの口元に運ぶ。
おままごとみたい。楽しいな。
「えっ、ちょっ、恥ずかしいよ!」
「いいじゃんいいじゃん! 美羽を救ってくれたお礼! ほら、あーん!」
「も、もう……あーん」
パクッ。
食べた。
美羽の指先に、カズヤくんの唇の感触が残る。
つながった。美羽とカズヤくんが、一つになった。
「サキちゃんもあーんしてあげる! ほら、唐揚げ!」
次はサキちゃんにも。
美羽は平等だよ。二人とも大好きなんだもん。
嬉しい。
料理の味以上に、この空間が甘い。二人がお互いに向け合っていた視線の中に、今、美羽がいる。
カズヤくんが笑う時、美羽を見てくれる。
サキちゃんが話す時、美羽に話しかけてくれる。
シェアだね。
幸せのシェアハピ!
二人だけで完結していた世界が広がって、美羽の場所ができたんだ。
美羽、ここにいていいんだね。邪魔者じゃないよね? 三人で一つの「大好き」だよね?
「えっ、美羽ちゃん、帰りたくないの?」
深夜一時。店を出た路上で、美羽は小さくうずくまる。
帰りたくない。あの一人ぼっちの冷たい世界に戻りたくない。
「うん……おうち、遠いの。それに、帰っても誰もいないの。真っ暗で、寒くて……」
カズヤくんとサキちゃんが顔を見合わせる。
困らせちゃったかな? でも、離れたくないの。
二人は優しいから、美羽の手を離さないでいてくれる。
「……よかったら、うち来る? 狭いけど、朝までなら」
「いいの? やったぁ! お泊まり会だぁ! 美羽、すごく嬉しい!」
美羽はスキップする。
二人のアパートへ。夢の続きへ。
部屋に入ると、そこは宝箱みたいだった。
六畳一間。二人の生活の匂い。汗とお味噌汁と、希望の匂い。クラクラするほど愛が詰まってる。
美羽は深呼吸する。ああ、ここが美羽の本当のお家だったらいいのに。
「お布団敷くね。美羽ちゃん、一枚しかないから、カズヤのと私のをくっつけるけど」
サキちゃんが布団を並べる。
美羽は迷わず、その二つの布団の真ん中に転がった。
「美羽、ここ! カズヤくんとサキちゃんの間で寝る!」
「ええっ、狭くない?」
「ううん、狭いのがいいの! サンドイッチみたいに挟まれたいの! ギューってされたいの!」
美羽は手足をバタバタさせて甘える。
二人は「しょうがないなぁ」って笑って、美羽の両サイドに横になる。
電気を消す。
真っ暗な部屋。
右側にはカズヤくんの体温。左側にはサキちゃんの匂い。
──トクトク、トクトク。
二人の心臓の音が、ステレオで聞こえる。
右から夢、左から愛。
二つの温かい波が、真ん中の美羽を包み込んでくれる。
最高。
天国みたい。
今、美羽は世界の中心で守られている。カズヤくんの体温も、サキちゃんの優しさも、全部美羽に触れている。
美羽は、二人の手を布団の中でこっそり握った。
カズヤくんの左手と、サキちゃんの右手。
三人で手を繋いでるみたい。
ねえ、このまま時が止まればいいのに。
美羽は、この温かい場所から一歩も動きたくない。
この二人の間にある「愛」を、美羽も一緒に吸い込んで生きていきたい。
美羽がここにいることで、何かが少しずつズレていくなんて、考えもしない。ただ純粋に、美羽はこの幸せな絵本の一部になりたかっただけ。
「カズヤくん、サキちゃん、だぁいすき。ずっと三人でいようね」
美羽は甘い声で囁く。お腹の奥がポカポカする。満たされていく。
二人分の愛を独り占めしているような背徳感と幸福感に包まれて、美羽はとろけるように瞼を閉じた。
おやすみなさい。
明日も、明後日も、いっぱい愛してね。




