ぱぱ、まま、せかいのぜんぶ、ごちそうさま!(2)
お家なんていらない。
だって、東京は巨大なバイキング会場だもの。
屋根も壁も、エアコンも冷蔵庫も、誰か持ってる人が「美羽ちゃん、どうぞ」って差し出してくれる。美羽はただ、そこにちょこんと座って、可愛く「ありがとう」って言うだけでいいの。
だって美羽は、世界で一番かわいい生き物だから。
存在しているだけで社会貢献。呼吸しているだけでファンサービス。だから、みんなが美羽に貢ぐのは、消費税を払うのと同じくらい当たり前の義務なんだよ?
タカシくん。24歳。
システムエンジニアっていう、難しそうなお仕事をしてる人。最初は公園で拾ってくれたの。「大丈夫?」って声をかけてくれた時の顔、ちょっと怯えてて、捨て犬を見るみたいな優しい目をしてた。
ああ、この人は栄養たっぷりだなって、美羽の直感がビビッときたんだ。
「……み、美羽ちゃん? これ、どうしたの?」
タカシくんが、震える声で言った。
お仕事から帰ってきたタカシくんの顔が、青を通り越して真っ白になってる。床には、プラスチックの破片がいっぱい散らばってる。
キラキラしてて綺麗。
さっきまで、タカシくんの棚に飾ってあった、女の子のお人形さんたちだ。髪の毛がピンクだったり、スカートが短かったりするやつ。フィギュアっていうんだっけ?
「あ、タカシくんおかえりぃ! あのね、美羽がお掃除してあげたの!」
美羽はソファの上で、ポテトチップスを食べながらニッコリ笑う。
タカシくんは膝から崩れ落ちて、首が取れたお人形を拾い上げてる。涙目になってる。変なの。おもちゃだよ? 美羽という生身の天使がここにいるのに。
「なんで……これ、限定品で……高かったのに……」
「だってぇ、その子たち、美羽のことジロジロ見てくるんだもん。目つきが悪くて怖かったの。美羽、タカシくんのお部屋でゆっくりしたかったのに、その子たちが『出てけ』って言うの。だから、やっつけたの!」
美羽はプゥっと頬を膨らませる。嘘じゃないよ。本当に視線を感じたんだもん。
この部屋の主役は美羽なの。お姫様は一人でいいの。他の偽物は、退場してもらわなきゃいけないルールでしょ?
「そんな……ひどいよ……」
「えっ、ひどい? 美羽がひどいの? タカシくん、美羽よりお人形が大事なの?」
美羽の心臓がドクンと跳ねる。
不安。恐怖。見捨てられる。不安。
世界が急に暗くなる。タカシくんが敵に見える。美羽をいじめる悪魔に見える。
「タカシくんがひどいんだよ! 美羽はお留守番して、寂しくて、怖くて震えてたのに! タカシくんのために悪いお人形を退治してあげたのに! なんで怒るの!? なんでありがとうって言わないの!?」
美羽はポテチの袋を投げつける。中身が花吹雪みたいに舞い散る。
わあんと泣き出すと、タカシくんは慌てて駆け寄ってくる。
「ご、ごめん! ごめんね美羽ちゃん! 僕が悪かった! 寂しかったんだよね、怖かったんだよね!」
タカシくんが抱きしめてくる。
よしよし、って頭を撫でてくる。あったかい。
美羽はタカシくんの胸の中で、舌を出す。
怒ってごめんね。でも、これはしつけだから。タカシくんの中で、フィギュアよりも、仕事よりも、自分の命よりも、美羽の優先順位を上げてもらわないと困るの。
美羽は、一番じゃなきゃ嫌なの。
オンリーワンでナンバーワンの宝石じゃなきゃ、輝けないんだから。
それからの一週間は、最高のフルコースだった。
タカシくんは会社をお休みした。美羽が「行かないで」って泣くと、困った顔をして、でも電話で「体調不良で」って嘘をついてくれた。
優しい。甘い。とろけるような自己犠牲の味。
美羽たちは一日中、カーテンを閉め切った部屋で過ごす。
美羽はタカシくんのスマホで、ゲームの課金をする。
ポチッ、ポチッ。
魔法石を買うたびに、タカシくんの銀行口座からお金が消えていく。
でもその代わりに、画面の中の美羽のアバターはどんどんキラキラしたドレスに着替えていく。
「あ、また課金したの……? 今月、もう五万……」
「だめ? 美羽、可愛くなりたかったの。タカシくんのために、一番可愛い美羽でいたかったの。美羽がボロボロの服着てたら、タカシくん嫌でしょ?」
「う、うん……そうだね。美羽ちゃんには可愛い服が似合うよ」
タカシくんの顔色が、日に日に土色になっていく。目の下にクマができて、頬がこけていく。冷蔵庫の中身が空っぽになっても、美羽が「アイス食べたい」って言えば、夜中でもコンビニに走ってくれる。
美羽は、タカシくんの愛をストローでちゅーちゅー吸っている気分。
美味しいなあ。
タカシくんの愛が、美羽の中に流れ込んでくる。タカシくんがやつれればやつれるほど、美羽の肌はツヤツヤになる。髪はサラサラになる。
これこそが愛だよね!
タカシくんは今、人生で一番輝いてるよ。だって、美羽という天使の栄養になれてるんだもん。
でもある夜、タカシくんが泣いた。
ベッドの中で、美羽を抱きしめながら、子供みたいにしゃくりあげた。
「もう……無理だよ……仕事行かなきゃクビになる……お金もない……でも、美羽ちゃんがいないと死んじゃいそう……どうすればいいんだ……」
涙が美羽の肩を濡らす。
熱い涙。しょっぱい味。
──あ、重い。
美羽は天井のシミを見つめながら思った。
タカシくんの体温が、今はただの「生ぬるい沼」みたいに感じる。ジメジメしてて、暗くて、カビ臭い。
美羽はもっとキラキラしたものが欲しいのに。ダイヤモンドみたいな硬質な輝きが欲しいのに、今のタカシくんは、雨に濡れたダンボールみたいにグズグズだ。
エネルギー切れだね。バッテリーがもう空っぽだ。
美羽の中で、スイッチが切り替わる音がした。
スッ、と感情が引いていく。
さっきまで「大好き」って思ってた気持ちが、急速冷凍されて粉々になる。
「ねえ、タカシくん。泣かないでよ。うるさいなあ」
美羽はタカシくんの腕を解いて、ベッドから起き上がった。
タカシくんが、びっくりした顔で見上げてくる。涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃ。汚い。美しくない。
「え……美羽ちゃん?」
「美羽、トイレ」
美羽はリビングに行くふりをして、玄関に向かった。
靴を履く。
タカシくんの財布が棚に置いてある。中を見る。千円札が二枚だけ。
しけてるなあ。
でも、ジュース代くらいにはなるか。美羽はそれを抜き取って、ポケットに入れた。
「美羽ちゃん? どこ行くの?」
寝室からタカシくんの声がする。
這うようにして出てくる気配がする。
ゾンビみたい。怖い。逃げなきゃ。
美羽はドアノブに手をかけた。
「ごちそうさまでしたぁ!」
美羽は小さな声で呟いて、ドアを開けた。
外の空気が美味しい。
夜風が、カビ臭い部屋の匂いを吹き飛ばしてくれる。
タカシくん、いっぱいご馳走してくれてありがとう。
フィギュアを壊させてくれて、課金させてくれて、お仕事サボってくれて、ありがとう。
おかげで美羽、少しだけお腹いっぱいになったよ。
でも、もうタカシくんには何も残ってないね。
搾りカスだね。
美羽は振り返らなかった。
背後で「美羽ちゃぁぁぁん!」という絶叫が聞こえた気がしたけど、それは遠くの犬の遠吠えみたいに響いただけ。
関係ないもん。
美羽は自由な小鳥だもん。
鳥かごの餌がなくなったら、次の餌場を探しに行くのは、生き物として当然の権利でしょ?
美羽は夜の街をスキップする。
次はどこに行こうかな?
もっと豪華で、もっと長持ちして、もっと美羽を輝かせてくれるビュッフェはどこにあるのかな?
お腹がグーっと鳴る。
ああ、生きてるって素晴らしい!
世界中が、美羽のために用意された食卓なんだから。




