リアル・タイム・アタック(4)
緊急クエスト発生! 緊急クエスト発生!
ミッション名「聖女からの逃走」、難易度インフェルノ、失敗条件は社会的BANおよび物理的な刺突! おい運営ふざけんな、このゲームにホラー要素の実装なんて聞いてねえぞ! 俺のスマホ画面に表示された「俺とマドカの後ろ姿」の写真は、心霊写真よりも数百倍タチが悪い呪いのアイテムだ。やっぱGPS? 探偵? それとも野生の勘? いや待て、今は原因解析をしてる場合じゃない、回避行動だ、フレーム単位の回避行動を取らないと死ぬ! 俺はベッドから跳ね起きる。萎えきったイチモツをパンツにねじ込み、ズボンを履く。「え、ちょ、なになに? 急に萎えるとかマジありえないんですけど」とマドカが不満げに声を上げるが知ったことか! 「ごめん、マジでヤバい、店が燃えた(大嘘)」と意味不明な言い訳を叫びながらシャツのボタンを掛け違えたまま羽織る。マドカが「はぁ? 時間返せよこのインポ野郎」と罵声を浴びせてくるが、その罵倒すら今は心地よいBGMだ、だって彼女はすでにただのNPC、この場を凌げばリセット可能なデータに過ぎないんだからな! 俺は財布から渋沢を二枚引っこ抜き、「これで勘弁してくれ、詫び石だ!」とベッドに投げつける。課金アイテムによる強制スキップ! マドカが「ラッキー、じゃあ帰るわ」と即座に掌を返す。リアルマネー最強! 物理演算エンジン万歳!
靴を履き、ドアノブに手をかける。待て、落ち着け。廊下に敵がいる可能性がある。ドアスコープを覗く。魚眼レンズの向こう、薄暗い廊下には誰もいない。よし、クリア。俺は音もなくドアを開け、非常階段へとダッシュする。エレベーターは使うな、あれは閉鎖空間だ、鉢合わせたら逃げ場がない。非常階段の重い鉄扉を押し開けると、生ぬるい夜風とゴミの臭いが鼻をつく。歌舞伎町の裏側、室外機が唸る狭い路地を見下ろしながら、俺は階段を駆け下りる。カンカンカンカン! 足音が心臓の鼓動とシンクロする。脳内コメント欄は「逃げろw」「後ろ!」「これ死亡フラグだろ」と大盛りあがりだが、俺は死なない、絶対に死なない! だってまだ、ターゲット4の女子大生とも、ターゲット5の人妻ともヤってないんだぞ! 俺のライフはまだ残機99あるんだよ! こんなところでゲームオーバーになってたまるか!
裏口から路地へ飛び出す。雨が強くなっている。アスファルトに叩きつけられる雨粒が、ネオンを反射して毒々しく光る。俺は傘も差さずに人混みへと紛れ込む。ドン・キホーテの黄色い看板が、地獄の入り口の標識に見える。とりあえず距離を取るんだ。安地だったはずの代々木上原はもう汚染エリアだ、あそこには戻れない。じゃあどこへ行く? アイリのホテルに戻るか? いや、あそこも危険だ。実家? 遠すぎる。ネカフェ? みみっちい。……そうだ、ターゲット4「ユイ(20)」の家だ! まだ会ったこともないが、吉祥寺に一人暮らししているという情報をプロフィールで確認済みだ! 今から「終電逃した、泊めて(はぁと)」と爆撃すれば、ワンチャンいけるんじゃないか? この極限状態でも新規開拓を模索する俺の強欲さ、もはや神の領域だろ! 震える指でスマホを操作しようとした、その瞬間。
ブブブブッ。
着信。
『カスミ』。
ヒイィッ! 出た! ネメシス-T型! 青鬼! なんでこのタイミングで鳴るんだよ、お前は俺の視界をジャックしてるのか? 拒否ボタンを押そうとする指が止まる。もしここで拒否したら? 「逃げた」と判定されて、さらに追跡モードのAIが強化されるんじゃないか? 逆に、出て「誤魔化す」ことで、警戒レベルを下げられるかもしれない。これは賭けだ。イチかバチかのダイスロール。俺は深呼吸し、震える声帯を「平常運転モード」に調整して、通話ボタンをスワイプした。
「……もしもし?」
『あ、ヒロトくん? お疲れ様』
声が、優しい。
あまりにも、いつも通りの、慈愛に満ちた聖女の声。
バックグラウンドノイズに、雨音と、歌舞伎町特有の喧騒が混じっているのを除けば。
「お、おう、お疲れ。どうした? 急に」
『ううん、会社に泊まるんだよね? 大変だなぁと思って』
「そ、そうなんだよ、今ちょっと抜け出してコンビニ来たところでさ……」
『そっか。……ねえ、後ろ向いて?』
心臓が止まった。
物理的に、一拍、止まった。
後ろ?
俺は今、靖国通り沿いの歩道を早歩きしている。周囲には何百人もの他人。
恐る恐る、スローモーションのように首を回す。
雨と傘の波。
その向こう、十メートルほど後方。
コンビニの軒先に、白いコートを着た女が立っていた。
スマホを耳に当て、無表情で、正確に俺の背中を見つめている。
目が合った。
距離があるはずなのに、彼女の瞳のハイライトが消えていることだけが、4K解像度で認識できた。
『見つけた』
受話器から聞こえる声と、口の動きが完全にシンクロする。
リップシンク完璧かよ! なんでこんなとこだけ技術力高いんだよ!
「うわああああああああ!」
俺は絶叫し、スマホを耳から引き剥がし、全力疾走を開始した。
逃げろ! 逃げろ! エンカウント回避! 交渉決裂! 問答無用!
あいつはもう聖女じゃない、バグって敵対化した元味方NPCだ! 一番タチが悪いやつだ!
俺は通行人の肩にぶつかり、「おいコラ!」と怒鳴られながらも止まらない。信号無視? 知るか! 車に轢かれる確率と、あいつに捕まって刺される確率、どっちが高いと思ってるんだ!
雨で濡れた路面で滑りそうになるスニーカー。息が上がる。肺が焼けるように熱い。
でも、俺の目は死んでない。
すれ違うミニスカートの女の太腿を、この極限状態でも無意識に目で追っている自分に気づいて笑いが込み上げてくる。
「あの子、レベル高いな」「今の巨乳、揺れたな」
バカだ! 俺は真正のバカだ! 死ぬかもしれない恐怖の中でなお、新しい女への興味が尽きない! これはもう呪いだ、強欲という名のシステムに組み込まれた逃れられないプログラムだ!
タクシー乗り場が見える。行列ができている。待ってられない。俺は列の先頭に割り込み、乗車しようとしていたサラリーマンを「嫁が産気づいたんです!」と嘘八百で押しのけ、強引に後部座席に滑り込んだ。「だ、出してくれ! どこでもいい、ここから一番遠い場所へ!」運転手がギョッとするが、俺の鬼気迫る表情に押されてアクセルを踏む。車が走り出す。リアウィンドウから後ろを見る。白いコートの女は、追いかけてこない。ただ、雨の中に立ち尽くし、遠ざかるタクシーをじっと見送っている。
スマホを耳に当てたまま。
その姿が、雨に濡れて滲んでいく。
助かった……のか?
俺はシートに沈み込み、荒い呼吸を整える。
脳内コメント欄は「神回避w」「いや詰んでるだろ」「嫁が産気づいたは草」と祭り状態だ。
スマホを見る。通話は切れている。
だが、LINEの通知が一件。
『逃がさないから』
スタンプなし。絵文字なし。
恐怖で指が震える。
でも、その震えが止まると同時に、俺の中でムクムクと鎌首をもたげる感情があった。
「……じゃあ、捕まる前に、もう一回ヤレるんじゃね?」
懲りてない。全く懲りてない。
だって、今はフリーだ。カスミの監視網を突破したんだ。一時的に。
このタクシーの行き先は未定。つまり、無限の可能性がある。
俺は震える指で『Tinder』を開く。タップ、タップ、タップ。「今すぐ会える?」
スワイプ、スワイプ、スワイプ! 右、右、右! 恐怖を性欲で上書きしろ! 死の恐怖すらもスパイスに変えて、俺はこの東京という広大なフィールドで、最後の一秒まで「攻略」を続けてやるんだ!
バグった聖女が包丁持って追いかけてこようが、俺の股間の羅針盤は、いつだって新しい穴を指しているんだよッ!




