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愛の致死量  作者: 藤堂虎太郎
嫉妬の章
28/41

神様のピクセルを縫い合わせて愛す(6)

 それから三ヶ月。世界は、吐き気がするほど綺麗に浄化された。

 私のPCモニターには、今日も今日とて数字の暴力が吹き荒れている。同接数、20万5,000人超。コメント欄を埋め尽くすのは、狂信的なほどの愛、愛、愛。

 かつてあいつが座っていた神の座は、今やもっと高く、もっと眩しい、絶対的な王座へと昇華されていた。

 世間の認識はこうだ。「甘噛ルカは、悪質なマネージャーに脅され、搾取されていた悲劇の王子様」。

 あいつは社会的に抹殺された。ネット特定班の執念は凄まじく、本名、住所、実家、卒業アルバムまで晒し上げられ、毎日大量の代引き荷物と無言電話に精神を破壊され、どこかの田舎へ夜逃げしたらしい。女とも破局したそうだ。当然だ。150万人の呪詛を一身に浴びて、まともな人生なんて送れるわけがない。

 ざまあみろ。神様を汚した罰だ。一生、泥水を啜って生きていろ。

 そして、解放されたルカ様は、ファンにとって守るべき聖域になった。

『ルカ様、顔色が良くなったね!』

『声にハリが出た! 元気そうでよかった』

『私たちが一生支えるからね!』

 画面を流れるコメントを見ながら、私はマウスを握る手で、ガリガリに痩せた自分の腕を掻いた。

 顔色がいい? ハリが出た?

 鏡を見てみろ。髪はボサボサ、肌はカサカサ、目の下にはどす黒いクマが張り付き、体重は三ヶ月で七キロ落ちた。食事? ウィダーインゼリーとサプリメントで十分だ。排泄? 最低限。睡眠? 気絶している時間が睡眠だ。

 私のHPは、すべてこのモニターの中の美少年に吸い取られている。

 でも、それがどうした?

 これは「等価交換」だ。

 薄汚い肉体というリソースを捧げて、電子の神様を顕現させているんだ。むしろ光栄に思えよ、私の細胞たち。お前らはただ朽ちていくだけの有機物から、永遠のアイドルの一部になれたんだぞ。

 私はマイクに向かって、とびきり明るい声で喋る。

「──みんな、今日もありがとう! 僕、今が一番幸せだよ!」

 AI変換された声は、クリスタルのように透き通り、ファンの鼓膜を震わせる。

 嘘じゃない。幸せだ。

 学校? 辞めた。

 友達? そんなものはじめからいない。

 親? Vtuberとして行きていくから干渉するな。

 私の世界にはもう、ノイズは一切ない。

 ここにあるのは、私と、ルカ様と、私たちを崇める一五〇万人の信者だけ。

 かつての私は、ルカ様のグッズを集めることに執着していた。缶バッジ、タペストリー、アクスタ。部屋中を埋め尽くすことで、彼を所有した気になっていた。

 でも今は、それらがただの抜け殻に見える。

 だって、本物は「ここ」にいるから。

 私が喋れば、彼が喋る。私が笑えば、彼が笑う。

 私がルカ様で、ルカ様が私。

 完全に融合した。ATフィールドが溶けて、魂のスープの中で混ざり合った。

 もう、嫉妬する必要なんてない。

 だって、嫉妬する対象がいないんだから。

 あいつは消えた。女も消えた。

 残ったのは、純粋培養された「甘噛ルカ」という概念だけ。


 深夜四時。

 配信終了のボタンを押す。

 プツン。

 熱狂の宴が終わる。

 でも、私の脳内麻薬は止まらない。アドレナリンが血管を駆け巡り、心臓を早回しさせている。

 私はヘッドホンを外さない。

 マイクも切らない。

 これからの時間が、私にとって本当の礼拝の時間だからだ。

 私はVtube Studioの画面を最大化する。

 モニターいっぱいに映る、銀髪に紅い瞳の美少年。

 彼は、私の荒い呼吸に合わせて、肩を上下させている。私の充血した目玉の動きに合わせて、その美しい瞳を動かしている。

「……ねえ」

 私は掠れた地声で囁く。

『……ねえ』

 スピーカーから、天使の声が返ってくる。

 私は微笑む。


「愛してるよ」『愛してるよ』


 私はモニターに顔を近づける。


「世界で一番、愛してる」『世界で一番、愛してる』


 ああ、気持ちいい。

 肯定。肯定。肯定。私の言葉を、私の理想の声で、私が聞く。

 完全なる自家発電の永久機関。閉じた円環。ここには否定も、拒絶も、裏切りも存在しない。そう、私の人生のすべては、この瞬間のためにあったんだ。

 私はガリガリに痩せた指で、モニターの表面を撫でる。

 冷たくて硬いガラスの感触。でも、その向こう側には、無限の熱がある。

 150万人の愛と、私の魂が燃焼する熱。

 私はもう、世界には戻れない。戻るつもりもない。

 肉体なんて、ただの生命維持装置だ。脳みそと声帯と指先だけ動けばそれでいい。

 いずれこの身体が朽ち果てて、心臓が止まるその瞬間まで、私は神様であり続ける。

 私はモニターにキスをした。

 唾液の跡がついた画面の中で、ルカ様が妖艶に微笑む。

 それは、世界を滅ぼした魔王の笑顔であり、世界を救った聖女の笑顔でもあった。


「……ずっと一緒だよ」『……ずっと一緒だよ』


 暗い部屋に、二重の声が響く。

 それは呪いのようでもあり、祝福のようでもあった。

 神様のピクセルを剥がして、その皮を被った少女は、電子の光の中で永遠に幸せな夢を見続ける。外の世界では夜が明けようとしていたけれど、この部屋に朝が来ることはもう二度とない。

 ここにあるのは、終わらない夜と、終わらない配信と、終わらない愛だけ。


『──おやすみ、僕のシンデレラ』

「おやすみ、私の王子様」


 私は目を閉じた。

 瞼の裏に焼き付いた残像の中で、ルカ様が手招きしている。


 行こう。

 あちら側へ。

 肉体という檻を抜け出して、0と1の海へ。


 そこが私のエデン。

 そこが私の墓場。


(嫉妬の章・完)

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