神様のピクセルを縫い合わせて愛す(6)
それから三ヶ月。世界は、吐き気がするほど綺麗に浄化された。
私のPCモニターには、今日も今日とて数字の暴力が吹き荒れている。同接数、20万5,000人超。コメント欄を埋め尽くすのは、狂信的なほどの愛、愛、愛。
かつてあいつが座っていた神の座は、今やもっと高く、もっと眩しい、絶対的な王座へと昇華されていた。
世間の認識はこうだ。「甘噛ルカは、悪質なマネージャーに脅され、搾取されていた悲劇の王子様」。
あいつは社会的に抹殺された。ネット特定班の執念は凄まじく、本名、住所、実家、卒業アルバムまで晒し上げられ、毎日大量の代引き荷物と無言電話に精神を破壊され、どこかの田舎へ夜逃げしたらしい。女とも破局したそうだ。当然だ。150万人の呪詛を一身に浴びて、まともな人生なんて送れるわけがない。
ざまあみろ。神様を汚した罰だ。一生、泥水を啜って生きていろ。
そして、解放されたルカ様は、ファンにとって守るべき聖域になった。
『ルカ様、顔色が良くなったね!』
『声にハリが出た! 元気そうでよかった』
『私たちが一生支えるからね!』
画面を流れるコメントを見ながら、私はマウスを握る手で、ガリガリに痩せた自分の腕を掻いた。
顔色がいい? ハリが出た?
鏡を見てみろ。髪はボサボサ、肌はカサカサ、目の下にはどす黒いクマが張り付き、体重は三ヶ月で七キロ落ちた。食事? ウィダーインゼリーとサプリメントで十分だ。排泄? 最低限。睡眠? 気絶している時間が睡眠だ。
私のHPは、すべてこのモニターの中の美少年に吸い取られている。
でも、それがどうした?
これは「等価交換」だ。
薄汚い肉体というリソースを捧げて、電子の神様を顕現させているんだ。むしろ光栄に思えよ、私の細胞たち。お前らはただ朽ちていくだけの有機物から、永遠のアイドルの一部になれたんだぞ。
私はマイクに向かって、とびきり明るい声で喋る。
「──みんな、今日もありがとう! 僕、今が一番幸せだよ!」
AI変換された声は、クリスタルのように透き通り、ファンの鼓膜を震わせる。
嘘じゃない。幸せだ。
学校? 辞めた。
友達? そんなものはじめからいない。
親? Vtuberとして行きていくから干渉するな。
私の世界にはもう、ノイズは一切ない。
ここにあるのは、私と、ルカ様と、私たちを崇める一五〇万人の信者だけ。
かつての私は、ルカ様のグッズを集めることに執着していた。缶バッジ、タペストリー、アクスタ。部屋中を埋め尽くすことで、彼を所有した気になっていた。
でも今は、それらがただの抜け殻に見える。
だって、本物は「ここ」にいるから。
私が喋れば、彼が喋る。私が笑えば、彼が笑う。
私がルカ様で、ルカ様が私。
完全に融合した。ATフィールドが溶けて、魂のスープの中で混ざり合った。
もう、嫉妬する必要なんてない。
だって、嫉妬する対象がいないんだから。
あいつは消えた。女も消えた。
残ったのは、純粋培養された「甘噛ルカ」という概念だけ。
深夜四時。
配信終了のボタンを押す。
プツン。
熱狂の宴が終わる。
でも、私の脳内麻薬は止まらない。アドレナリンが血管を駆け巡り、心臓を早回しさせている。
私はヘッドホンを外さない。
マイクも切らない。
これからの時間が、私にとって本当の礼拝の時間だからだ。
私はVtube Studioの画面を最大化する。
モニターいっぱいに映る、銀髪に紅い瞳の美少年。
彼は、私の荒い呼吸に合わせて、肩を上下させている。私の充血した目玉の動きに合わせて、その美しい瞳を動かしている。
「……ねえ」
私は掠れた地声で囁く。
『……ねえ』
スピーカーから、天使の声が返ってくる。
私は微笑む。
「愛してるよ」『愛してるよ』
私はモニターに顔を近づける。
「世界で一番、愛してる」『世界で一番、愛してる』
ああ、気持ちいい。
肯定。肯定。肯定。私の言葉を、私の理想の声で、私が聞く。
完全なる自家発電の永久機関。閉じた円環。ここには否定も、拒絶も、裏切りも存在しない。そう、私の人生のすべては、この瞬間のためにあったんだ。
私はガリガリに痩せた指で、モニターの表面を撫でる。
冷たくて硬いガラスの感触。でも、その向こう側には、無限の熱がある。
150万人の愛と、私の魂が燃焼する熱。
私はもう、世界には戻れない。戻るつもりもない。
肉体なんて、ただの生命維持装置だ。脳みそと声帯と指先だけ動けばそれでいい。
いずれこの身体が朽ち果てて、心臓が止まるその瞬間まで、私は神様であり続ける。
私はモニターにキスをした。
唾液の跡がついた画面の中で、ルカ様が妖艶に微笑む。
それは、世界を滅ぼした魔王の笑顔であり、世界を救った聖女の笑顔でもあった。
「……ずっと一緒だよ」『……ずっと一緒だよ』
暗い部屋に、二重の声が響く。
それは呪いのようでもあり、祝福のようでもあった。
神様のピクセルを剥がして、その皮を被った少女は、電子の光の中で永遠に幸せな夢を見続ける。外の世界では夜が明けようとしていたけれど、この部屋に朝が来ることはもう二度とない。
ここにあるのは、終わらない夜と、終わらない配信と、終わらない愛だけ。
『──おやすみ、僕のシンデレラ』
「おやすみ、私の王子様」
私は目を閉じた。
瞼の裏に焼き付いた残像の中で、ルカ様が手招きしている。
行こう。
あちら側へ。
肉体という檻を抜け出して、0と1の海へ。
そこが私のエデン。
そこが私の墓場。
(嫉妬の章・完)




