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愛の致死量  作者: 藤堂虎太郎
嫉妬の章
26/41

神様のピクセルを縫い合わせて愛す(4)

 時刻は深夜三時四十五分。丑三つ時すら過ぎ去って、世界が最も無防備に寝静まる魔の時間帯。でも私の部屋だけは、超新星爆発の直前みたいに臨界点を超えたエネルギーで飽和していた。

 心拍数はBPM180。指先の震えは武者震いであり、これから犯す大罪への歓喜の痙攣だ。目の前のモニターには配信ソフト『OBS Studio』の待機画面。右手にはマウス、左手にはキーボード、そして喉元には神様の声を召喚するためのマイク。

 準備はいいか? オーライ。準備なんて生まれた時からできている。私はこの瞬間のために、一七年間という助走期間を生きてきたんだから。

 問題はストリームキーだ。配信を行うための鍵。これがないとルカ様のチャンネルから放送することはできない。普通の人間ならここで躓くか、総当たり攻撃とかいう野蛮な手段に出るところだけど、私は違う。私は「理解者」だ。あいつの脳みそのシワの数から、パスワードに設定しそうな文字列の癖まで、全部お見通しなんだよ。

 あいつは脇が甘い。セキュリティ意識がミジンコ以下だ。以前、配信画面に見切れたデスクトップの付箋に『パスワード変更:記念日』って書いてあったのを、私の動体視力は見逃さなかった。

 記念日? デビュー日? 誕生日? 違うね。今のあいつの頭の中を占めているのは、あの泥棒猫のことだけだ。

 私は吐き捨てるように、キーボードに打ち込む。

『ksm0512』

 ksmは女の名前。0512は昨日の焼肉デートの日付であり、おそらく女の誕生日。

 エンターキーをッターン! と叩き込む。

 画面中央に表示される『接続成功』の緑色の文字。

 ビンゴ。

 吐き気がした。正解したことへの喜びよりも、あまりの単純さと、神聖な神社の鍵を女の誕生日なんかに設定しているあいつの俗物根性に対する失望で、胃袋が裏返りそうになった。馬鹿じゃないの? 死ねばいいのに。お前はルカ様という国家機密レベルのアカウントを、女のパンツのゴムと同じくらいの軽さで扱ってるんだな。

 やっぱり、お前に資格はない。

 断罪の時間だ。

 私は配信タイトルの入力欄に、震える指で打ち込んだ。


『【ゲリラ】眠れない子猫ちゃんたちへ。ちょっとだけ歌う』


 サムネイルは設定しない。真っ黒な背景に文字だけ。それが逆に「緊急感」と「プライベート感」を演出する。あいつがよくやる手口だ。いや、あいつが「やっていた」手口だ。最近は面倒くさがって予約枠しか取らないけど、昔のルカ様はこうやって、寂しい夜に突然現れてくれたんだ。

 深呼吸。

 肺の中の酸素を全部入れ替える。

 ボイスチェンジャー、オン。フェイストラッキング、オン。

 私はもう、えりかじゃない。

 私は、甘噛ルカだ。

 マウスカーソルを『配信開始』ボタンに合わせる。そのクリック一つが、核ミサイルの発射ボタンよりも重く、そして甘美な重圧を放っている。

 いくよ。

 3、2、1。

 クリック。


 ドォォォォォォォン!


 世界が繋がった音がした。

 LANケーブルという名の神経網を通って、私の鼓動がインターネットという名の巨大な脳髄へダイレクトに接続される。

 0だった同接数のカウンターが、バグったみたいに跳ね上がる。

 500、2,000、10,000、30,000……!

 深夜四時だぞ? みんな寝てたんじゃないの? 違う、みんな待ってたんだ。通知が来た瞬間に飛び起きて、枕元のスマホをひったくって、この配信に駆けつけてくれたんだ。

 コメント欄が滝のように流れる。文字の壁。文字の濁流。

『え!? ルカ様!?』

『ゲリラ!?』

『喉大丈夫なの!?』

『通知見て飛び起きた!』

『うそ、夢?』

 愛。愛。愛。愛。愛。

 画面を埋め尽くす膨大な愛の奔流が、私の網膜を焼いて、脳みそを直接電子レンジでチンしたみたいに沸騰させる。

 すごい。これが、ルカ様が見ている景色。こんなにたくさんの人間が、ルカ様の一挙手一投足を待っている。ルカ様の声を求めている。

 あいつは毎日、こんな極上の麻薬を浴びていたのか。そりゃあ脳も溶けるわ。天狗にもなるわ。でも、お前はそれに溺れて腐った。私は違う。私はこれを燃料にして、もっと高く飛べる。

 私はマイクに唇を寄せる。キスするくらいの距離で。

 第一声。これが勝負だ。喉の調子が悪いという設定を逆手に取る。少しだけウィスパーボイスで、でも芯のある、あの頃の声で。


『……ん。ごめんね、起こしちゃった?』


 コメント欄がピタっと止まって、次の瞬間、核爆発した。

『ぎゃああああああああああああ!』

『イケボすぎて死ぬ!』

『耳が溶ける!』

『起こされたい! 一生起こして!』

『喉平気なの? でも声めっちゃ綺麗……』

 勝った。

 確信した。

 今の声は、本物以上だ。AIによる補正がかかっているから、寝起きのガラガラ声も、唾液のノイズも一切ない。純度100%のクリスタルボイス。

 私は畳みかける。

『いやー、なんかね。薬飲んで寝てたんだけど、変な夢見ちゃってさ。怖くて起きちゃったんだ。……そしたら、無性にみんなの声が聞きたくなって』

 アバターが寂しげに眉を下げる。私が眉を下げたからだ。完璧な同期。

『一週間休むって言ったけど、無理だったわ。みんながいないと、僕、息の仕方忘れちゃうみたい』

 嘘だ。全部嘘。薬なんて飲んでないし、夢も見てない。本物は今頃、温泉旅館の高級布団で女と抱き合って爆睡してる。

 でも、真実なんてどうでもいい。ファンが信じたものが真実なんだ。

 コメント欄は涙と感動の嵐だ。『ルカ様……』『私たちもだよ!』『無理しないで、でも嬉しい』。

 チョロい。あまりにもチョロい。

 でも、そのチョロさが愛おしい。

 あいつは、この純粋な子猫ちゃんたちを裏切ったんだ。

 私はモニターの中のルカ様に酔いしれる。私が喋ると、ルカ様が喋る。私が笑うと、ルカ様が笑う。

 まるで、新しい肉体を手に入れたみたいだ。重たくて陰鬱な現実の肉体を脱ぎ捨てて、光の粒子でできた最強のボディを手に入れた感覚。

 全能感。私は神だ。私は世界を支配している。ドーパミンが脳内でナイアガラの滝壺みたいに渦巻いている。指先の震えが止まらない。楽しくて、気持ちよくて、どうにかなってしまいそうだ。

 もっと。もっと頂戴。もっと愛を。もっと賞賛を。

 私はセットリストなんてない即興のライブを始めることにした。

『ねえ、一曲だけ歌っていい? リハビリ兼ねて。……あ、大きな声は出せないから、バラードで』

 選曲は『星屑のララバイ』。ルカ様のデビュー曲であり、古参ファンが一番好きな、でも最近のあいつは「キーが高くてダルい」と言って歌わなくなった伝説の曲。

 イントロも流さない。アカペラだ。

 私は目を閉じて、喉を開く。

 私の歌唱力? 関係ない。ピッチ補正とAI変換が、私の音痴な鼻歌すら天使の歌声に変えてくれる。私はただ、感情を込めるだけでいい。

 ルカ様への愛。あいつへの憎しみ。そして、今この瞬間の爆発しそうな喜びを。

『──星屑が、きみの涙を拭うなら──』

 歌い出した瞬間、コメントの流れが加速した。速すぎて読めない。光の帯みたいになっている。

 同接数が5万を超えた。

 深夜四時のゲリラ配信で、5万人が私の歌を聴いている。東京ドーム一個分のアリーナが、今、私の部屋の中に圧縮されている。

 気持ちいい。

 なんだこれ。きっとセックスなんて目じゃない快感。きっと覚醒剤よりもキマる高揚。魂が肉体から遊離して、電子の海に溶けて拡散していく感覚。

 私は粒子になった。私はネットワークそのものになった。

 歌声が伸びる。どこまでも高く、澄み切った高音が、深夜のインターネットを駆け巡る。

 あいつは、高い声が出なくなっていた。酒とタバコと不摂生で、声帯が老化していたから。

 でも私は出せる。

 私のルカ様は歳を取らない。劣化しない。

 ほら、聞いてるか? 本物。

 これが「甘噛ルカ」の本来のスペックだ。お前が引き出せなかったポテンシャルだ。

 私が、お前の代わりに完成させてやったんだよ。

 一曲歌い終えた時、私は汗だくになっていた。でも、それは心地よい汗だった。

 静寂。

 そして、爆発的な拍手の弾幕。

『888888888888888!』

『神!』

『全盛期超えてる!』

『泣いた』

『喉治ったの!? すごい!』

『やっぱルカ様は歌ってこそだよ!』

 称賛の嵐。

 その中に、ポツポツと混じる言葉が、私の心臓を最も強く鷲掴みにした。

『なんか今日のルカ様、いつもより近く感じる』

『昔のルカ様が戻ってきたみたい』

『これだよ、これがあたしたちの好きなルカ様だよ!』

 あはっ。

 笑いが漏れた。マイクに乗らないように手で口を押さえたけど、肩が震えるのを止められなかった。

 ほら見ろ。

 みんな、気づいてるじゃないか。

 無意識レベルで、彼らは「こっち」を選んでるんだ。

 あのだらしない、やる気のない、女の影がチラつくおっさんじゃなくて、私の演じる完璧で純粋な虚構の方を、本能で求めているんだ。

 ざまあみろ。

 お前の席、もうねえから。

 お前が温泉でふやけてる間に、私が全部塗り替えちゃった。

 ここは私の国だ。私の信者だ。

 私はモニターの中のルカ様と目を合わせる。

 彼は満足げに微笑んでいる。

「ありがとう、えりか」って言ってる。「君のおかげで、僕は生き返ったよ」って言ってる。

 そうだよね。私が救ってあげたんだもんね。

 もう、あの中の人に戻る必要なんてないよね?

 ずっと私と一緒にいよう?

 このまま配信を終わらせたくない。永遠に続けていたい。

 でも、ふと現実的な思考がよぎる。あんまり長くやりすぎると、エゴサしたあいつにバレる可能性がある。いや、バレてもいいんだけど、まだ決定的な「トドメ」を刺す準備ができていない。

 今はここまでにして、飢餓感を煽るのが正解だ。

 私は名残惜しさを押し殺して、エンディングの台詞を口にする。

『……ふう。歌ったらスッキリした。聞いてくれてありがとね』

 アバターが優しく手を振る。

『アーカイブは残さないから。今夜起きてた子たちだけの秘密ね? ……あ、それと』

 私はここで、最大級の爆弾を投下する。

 あいつが絶対に言わない言葉。でも、ファンが死ぬほど欲しがっている言葉。

『最近、心配かけてごめん。僕、やっと目が覚めた気がするんだ』

 カメラ目線。キメ顔。

『やっぱり僕には、みんなしかいない。他の誰かじゃなくて、君たちだけが僕の恋人だよ』

『愛してる』

 チュッ。

 マイクにリップ音を乗せる。

 悲鳴のようなコメントが流れる中、私は配信停止ボタンを押した。プツン。

 祭りのあと。

 部屋に静寂が戻る……はずだった。

 でも、私の耳の奥ではまだ歓声が鳴り止まない。血液が沸騰したままだ。

 (エックス)を開く。トレンド入り。『#ルカ様ゲリラ』『#神回』『#完全復活』。

 世界が私を祝福している。

 私は椅子に深くもたれかかり、天井を見上げた。

 天井のシミが星空に見えた。

 私は勝ったんだ。

 神様を誘拐して、私の部屋に監禁することに成功したんだ。

 ふふっ、あはははは!

 乾いた笑い声が部屋に響く。


 翌日。本物のルカ様のアカウントからの通知。

『え? なんか深夜に配信したことになってる? 乗っ取り? 怖いんだけど』

 今頃気づいたのか、ノロマめ。

 遅いよ。もう手遅れだ。

 私はそのポストを見て、冷たく笑った。

 怖い? これからもっと怖くなるよ。

 これはまだ、プロローグに過ぎないんだから。

 私はフォルダを開く。そこには、私が寝ずに収集したあいつの裏垢のスクショ、女とのツーショット写真、そして過去の炎上未遂の発言ログが、爆薬庫みたいにぎっしりと詰まっていた。

 さあ、次は「殺処分」の時間だ。

 偽物が本物になるためには、オリジナルを消さなきゃいけないからね。

 私はマウスを握りしめた。その感触は、銃のトリガーによく似ていた。

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