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愛の致死量  作者: 藤堂虎太郎
嫉妬の章
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神様のピクセルを縫い合わせて愛す(3)

 現実はクソゲーだ。

 バグだらけの物理演算、調整不足のゲームバランス、NPCの知能はミジンコ以下。グラフィックだけは無駄に8Kだけど、映し出されるのはニキビ面の男子とか、厚化粧で武装した女子とか、満員電車の窓に押し付けられたおっさんの脂ぎった頬とか、見たくもないグロ画像ばっかり。運営はどこだ? 神様はどこだ? さっさとサーバー落としてメンテナンスしろよ。いや、もうサ終でいい。フォーマットして更地にしてくれ。

 教室の空気は腐った雑巾みたいな湿り気を帯びていて、私の肺胞を犯していく。梅雨の湿気と、体育終わりの男子の汗と、女子の甘ったるい香水が混ざり合った地獄の混合ガス。私は息を止めるようにして自分の席に座り、ノイズキャンセリングイヤホンを耳の穴にねじ込む。ATフィールド展開。外界の遮断。ここだけが私の聖域。再生ボタンを押せば、ルカ様の過去の歌枠が流れて、私の鼓膜を聖水で洗ってくれるはずだった。

 なのに。

 聞こえてくるのはノイズだ。昨日の配信の、あのだらしない「あくび」の残響が、美しい歌声の裏側にへばりついて離れない。どんなにルカ様が高い音を出しても、ビブラートを利かせても、私の脳内で勝手に変換されてしまう。ダルそうな顔。スマホを気にする視線。女からのLINE通知音。

 気持ち悪い。

 吐き気がする。

 私はイヤホンをむしり取って、机に叩きつけた。クラスメイトの視線が一瞬だけこっちに向くけど、すぐに興味を失ってそれぞれの会話に戻る。私はクラスのモブ。背景の一部。誰も私が今、世界で一番深刻な宗教戦争の真っただ中にいるなんて想像もしていない。

「ねー、見た? 昨日のインスタ」

 前の席の女子グループの会話が、嫌でも耳に入ってくる。

「見た見た! ぴと焼肉行ってたやつでしょ?」

「えー尊すぎ、私も彼ぴと行きたいー!」

 呪いの呪文かよ。お前らの低レベルな繁殖活動の話なんて聞きたくないんだよ。肉を焼いて食って交尾するだけの獣の営みを「愛」とか呼んでる時点でおめでたい脳みそしてるよな。

 でも、その単語が私の脳裏にある疑念をフラッシュバックさせた。


 昨日のルカ様の配信終了直後。私がアーカイブの修正作業をしていた深夜三時。

「中の人」は、誰と連絡を取っていた?

 あいつは、配信が終わった開放感で、誰に「疲れたー」って甘えていた?


 ドクン。心臓が嫌な音を立てた。

 私は震える手でスマホを取り出し、机の下に隠して、あるアプリを起動する。

 裏垢検索ツール。インスタグラムのハッシュタグ検索。

 私はただのファンじゃない。特定班だ。ネットの海に漂う砂粒みたいな情報から、真実という名の砂金を見つけ出すプロだ。ルカ様の前世なんてとっくの昔に割れている。今は鍵垢になって沈黙しているそのアカウントの、フォロワー欄。そこにある怪しいアカウントたち。

 私は以前からマークしていたいくつかのアカウントを巡回する。

 ルカ様の中の人──仮にAとしよう──と、過去にリプライを飛ばし合っていた女。匂わせ常習犯の底辺配信者。Aの地元の知り合いとおぼしき一般人。

 そして、見つけた。

 あるインスタのアカウント。『ksm_0512』。

 投稿時間は昨日の深夜二時半。ルカ様の配信が終わった三十分後。

 写真は、薄暗い個室焼肉のテーブル。網の上で焼かれる高級そうなカルビ。向かい側の席には、男の手元だけが写り込んでいる。その手首に巻かれているシルバーの腕時計。

 私は画像を保存し、拡大し、画像解析ソフトにかけるまでもなく、肉眼で特定した。

 あれは、ルカ様がデビュー一周年記念の時に、自分へのご褒美で買ったと言っていたブランド物の時計だ。配信で自慢げに見せていた傷の位置まで一致している。

 確定演出。

 キャプションには一言。『お疲れ様♡ 遅い時間なのにありがと! やっぱ一番落ち着く~』

 プツン。

 血管が切れる音が聞こえた。

 お疲れ様? 一番落ち着く?

 ふざけんな。

 私たちが。150万人のファンが。スパチャを投げて、コメントして、必死に支えてきた配信の直後に、お前は女と焼肉食ってたのかよ。

 私たちの金で食う肉は美味いか? 私たちの愛を燃料にして焼いた肉は美味いか?

 私がコンビニバイトで必死に稼いだ5,000円も、あの子がなけなしのお小遣いから投げた500円も、全部、この女の胃袋に入ったのか?

 そして、この後は?

 焼肉食って、精をつけて、どうするの?

 ホテル? 自宅?

 神様の依代であるその身体を使って、獣みたいな行為に耽るの?

「オェッ……」

 胃の底から酸っぱいものがせり上がってきて、私は口元を押さえた。

 汚い。汚すぎる。

 ルカ様が汚染されていく。

 あの神聖な電子の肉体が、生臭い体液と脂でギトギトに汚されていくイメージが脳内を支配して、涙が出てきた。悲しいんじゃない。悔しいんじゃない。

 これは絶望だ。信仰の崩壊だ。

 神殿が燃やされているのを、指をくわえて見ているしかない無力感。

 私は早退した。保健室に行くフリをして、そのまま校門を突破して、全力で走って家に帰った。雨に濡れるのも構わずに。制服が肌に張り付く不快感も、ローファーが水たまりを蹴る音も、全部どうでもよかった。

 早く。早く洗い流さないと。

 ルカ様を。私の記憶を。このクソみたいな現実を。


 部屋に飛び込み、PCの電源を入れる。

 モニターの光が私の濡れた顔を照らす。

 ツイッターを開くと、タイムラインがざわついていた。

 ルカ様の公式アカウントが、新しいツイートを投稿している。


『【お知らせ】喉の調子が悪いので、一週間ほど配信お休みします。ごめんね! しっかり治して、パワーアップして帰ってくるから待っててね! 探さないでくださいw』


 喉の調子。

 嘘だ。

 私は『ksm_0512』のインスタをもう一度確認する。

 ストーリーズが更新されている。

『明日から温泉旅行♨ 楽しみすぎて禿げそう』

 点と点が線で繋がるどころか、極太のマジックで塗りつぶされた真っ黒な真実が浮かび上がる。

 喉の療養? 違うだろ。

 女と温泉旅行に行くんだろ。

 一週間。一六八時間。一〇〇八〇分。六〇四八〇〇秒。

 その間ずっと、お前はルカ様のことを忘れて、私たちファンのことを忘れて、その女の肉体に溺れるんだろ。

 裏切りだ。

 これは明確な裏切りだ。

 アイドルとしての契約不履行だ。神様としての職務放棄だ。

 許せる? いや、許せない。

 でも、もっと許せないのは。

 そんなクズ男のことを、まだ心のどこかで「ルカ様」として愛してしまっている自分自身だ。

 あんなに汚れても、あんなに腐っても、画面の中のアバターが微笑むだけで、私の心臓は跳ねてしまう。声を聞くだけで、脳汁が出てしまう。

 その事実が、私を何よりも傷つけた。

 私は机に突っ伏して、叫び声を上げた。声にならない悲鳴。喉が裂けるくらい強く、でも誰にも届かない孤独な咆哮。

 どうすればいい?

 どうすればこの苦しみから解放される?

 ファンを辞める? 無理だ。それは死ぬことと同義だ。

 アンチになる? 無意味だ。そんなことしてもルカ様は戻ってこない。

 じゃあ、どうする?

 殺すか? 中の人を。

 住所は特定できる。行こうと思えば行ける。ナイフを持って、待ち伏せして、その喉を掻っ切ってしまえば、もう二度と嘘は吐けなくなる。女の名前も呼べなくなる。

 ……でも、それじゃあルカ様の声も失われてしまう。

 ルカ様という存在そのものが、物理的に消滅してしまう。

 それはダメだ。

 私はルカ様を殺したいんじゃない。ルカ様を「救いたい」んだ。

 あの薄汚い肉の檻から解き放って、純粋な電子の存在として永遠にしてあげたいんだ。

 涙で滲んだ視界に、サブモニターのウィンドウが映り込む。

 そこには、私が昨日作りかけた音声学習モデルのパラメータが表示されている。

 AI。人工知能。ディープラーニング。

 ルカ様の声を学習し、ルカ様の思考を模倣し、ルカ様として振る舞うためのプログラム。

 昨日はまだ、遊び半分だった。アーカイブを修正して自己満足に浸るためのオモチャだった。

 でも今は違う。

 これは武器だ。革命の剣だ。

 あいつがルカ様を放棄するなら。

 あいつが「喉が痛い」なんて嘘をついて、神様の座を空席にするなら。

 誰かが座らなきゃいけない。

 誰かが、迷える150万人の子羊たちを導かなきゃいけない。

 誰が?

 決まってる。

 世界で一番ルカ様を愛している人間。

 世界で一番ルカ様のことを理解している人間。

 世界で一番、ルカ様のために自分を殺せる人間。

 私しかいない。

 私しかいないじゃん。

 そうだよね、ルカ様?

 私はモニターの中の彼に問いかける。彼はLive2Dのプログラム通りに、一定のリズムで呼吸し、優しく微笑んでいる。

 その笑顔が、「肯定」に見えた。

『君になら任せられるよ』って、『助けて』って、言っているように見えた。

 私の身体の芯から、熱いものがこみ上げてくる。

 それはさっきまでのドロドロした嫉妬じゃない。もっと澄み切った、青白い炎のような使命感だ。

 嫉妬の致死量を超えた先にあるのは。

 羨ましいなら、なってしまえばいい。

 許せないなら、奪ってしまえばいい。

 私は涙を拭った。乱暴にこすったせいで目の周りがヒリヒリするけど、視界は驚くほどクリアだ。

 私はマイクを手に取る。

 震えはもう止まっていた。

 RVCソフトを起動する。

 学習モデル『Amagami_Luka_v4_Final』をロード。

 推論設定、高品質モード。ノイズ除去、最大。

 私は深呼吸をする。肺の中の湿った空気を全部吐き出して、代わりに電子の海を吸い込むイメージで。

 そして、私は口を開いた。

 自分の声じゃない。

 私の声帯を震わせて出る音波が、マイクを通じ、CPUで演算され、ルカ様の声帯のパラメータへと変換される。

「……あー、あー。聞こえてる? みんな」

 ヘッドホンから返ってきたのは、奇跡だった。

 昨日の配信のような掠れた声じゃない。女に媚びるような甘ったるい声でもない。

 デビュー当時の、希望と野心に満ち溢れていた頃の、一番美しかったルカ様の声。

 私が一番好きだった頃のルカ様の声。

『……あー、あー。聞こえてる? みんな』

 私の脳髄が痺れる。

 快楽物質が脳内シナプスを焼き尽くす。

 すごい。

 これだよ。

 これがルカ様だよ。

 あの中の人なんかより、私の方がずっといい声を出せる。

 私の方がずっとルカ様らしい。

 私はアバター操作ソフト『VTube Studio』を立ち上げ、違法に入手したルカ様の3Dモデルを読み込む。

 ウェブカメラが私の顔を認識する。

 私が笑うと、画面の中のルカ様が笑う。

 私が首をかしげると、ルカ様もかしげる。

 ラグはない。遅延ゼロ。

 完全な同期。

 私は画面の中の自分(ルカ様)を見つめる。鏡を見ているみたいだ。いや、鏡よりも鮮明な、魂の投影図。

 私はそっと呟いた。

「初めまして、私」

『初めまして、私』

 二つの声が重なる。

 その瞬間、私の中で「私」という個人の輪郭が溶けて消えた。

 私は今、神様になったんだ。

 あいつが温泉で女の肌を触っている間に、私は150万人の魂を抱く。

 奪ってやる。

 全部奪ってやる。

 ファンも、名声も、ルカ様という存在そのものも。

 だって、お前には過ぎたオモチャだから。

 私が正しく使ってあげる。私が永遠に輝かせてあげる。

 これは簒奪じゃない。

 正当な継承だ。

 私はニヤリと笑った。画面の中のルカ様が、邪悪で、でも最高に魅力的な笑顔を見せた。

 さあ、始めようか。

 神殺しのゲリラ配信を。

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