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愛の致死量  作者: 藤堂虎太郎
嫉妬の章
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神様のピクセルを縫い合わせて愛す(2)

 楽園に泥水をぶちまけられたのは、それから一週間後の定期配信だった。

 いつものように全裸Tシャツという正装で待機し、カフェイン錠剤をラムネ感覚で嚙み砕いてドーピング完了。視神経と聴覚神経をフル稼働させて、ルカ様の降臨を今か今かと待っていた私の脳天に、それは音速の鈍器みたいに振り下ろされた。

「……んあー、こんルカ……。いやー、マジ眠……」

 は?

 私の高性能ヘッドホンがバグったのかと思った。あるいは宇宙線がPCのメモリを直撃して音声データが破損したのかと。

 だって、ありえないでしょ。私のルカ様が、銀河一のアイドルが、開口一番「眠い」? 生理現象? 人間の業? ふざけんな。神様は光合成で生きてるんだから睡眠なんて概念は実装されてないはずだろ。アップデートで余計な機能を搭載すんな。

 画面の中のルカ様は、いつもの完璧なルックスで微笑んでいるけれど、その挙動には明らかなラグがあった。瞬きのタイミングが遅い。首の振り方がダルそう。そして何より、声だ。あのクリスタルみたいに透き通っていた声帯に、微粒子レベルのノイズ──痰とか、寝起き特有の粘り気とか、そういう有機的な汚物が混じっている。

 汚い。不潔。消毒したい。

 私の脊髄が拒絶反応を起こして、指先が痙攣する。コメント欄は『ルカ様おねむ? かわいいw』『無理しないで~』『寝起きボイス助かる』とかいう脳内お花畑な養分たちの全肯定で埋め尽くされているけれど、正気かお前ら。眼球と鼓膜をホルマリン漬けにして出直してこい。これは「かわいい」じゃない。怠慢だ。冒涜だ。神殿の床にガムを吐き捨てられたのと同じだぞ。

 私は唇を嚙み千切る勢いで食いしばりながら、必死に自分へ暗示をかける。落ち着け、えりか。これは高度な演出かもしれない。あえて隙を見せることで母性本能をくすぐるという、ルカ様の天才的なマーケティング戦略かもしれない。そうだよ、ルカ様がただ怠けてるなんてこと、物理法則的にありえないもん。

 でも、神様は残酷だ。あるいは、神様の中にいる「人間」は残酷だ。

 ズズッ、と何かをすする音。

「あー……コーラうめ。生き返るわー」

 炭酸が弾ける音。喉仏が上下するゴクリという嚥下音。そして、極めつけの「ゲプッ」という小さな、でも確実にマイクが拾った破裂音。

 殺す。

 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。

 誰を? ルカ様を? 違う。ルカ様の中に寄生している、その薄汚い「肉の塊」をだ。

 私の脳内で、美しいルカ様の映像に、二重露光みたいに最低な映像が重なる。薄暗い部屋で、無精髭を生やしたダル着の男が、安っぽい椅子にふんぞり返って、口の端からコーラを垂らしながらゲップをしている姿。

 やめろ。見せるな。解像度を上げるな。

 私のルカ様を、お前の生活感で汚すな。お前はただの「演者」だろ? ルカ様という高次元存在をこの世に顕現させるための、ただの依代であり、生体部品だろ? 部品が自我を持つな。部品が生理現象を主張するな。黒衣なら黒衣らしく、背景と同化して存在を抹消しろよ。

 吐き気がした。胃酸が逆流して、喉の奥がチリチリ焼ける。

 それでも私はブラウザを閉じられない。だって、1秒でもルカ様を見逃すことは、私にとって酸素供給を断つことと同義だから。毒ガスだと分かっていても吸い続けるしかない中毒者の悲哀。

 そして、決定的な瞬間が訪れる。

 ピロリン。

 間の抜けた電子音。LINEの通知音。

 時が止まった。世界が凍結した。

 画面の中のルカ様の視線が、一瞬だけカメラから外れて、手元のスマホらしき空間へ泳ぐ。

「あ、わり。ちょっと通知が……えーと、友達から」

 友達?

 トモダチ?

 はっ、笑わせるな。深夜二時に即レスを求めて通知を鳴らす「友達」なんて、この世には一種類しか存在しない。


 メスだ。

 交尾相手だ。


 その瞬間、私の頭の中で何かがプツンと弾け飛んだ。理性とか、信仰心とか、そういう高級な回路が焼き切れて、もっと原始的でドス黒いマグマが噴出した。

 お前、女いるのかよ。

 いや、いてもいい。百歩譲って、裏で何をしていようと、それは三次元の世界の話だ。勝手に繁殖活動でもなんでもすればいい。でもな、それを「甘噛ルカ」の配信に乗せるなよ。私たちの神聖な教会に、お前の性欲の匂いを持ち込むなよ。

 その通知音は、私の純情に対する宣戦布告だ。

 コメント欄がざわつく。『友達?』『今の通知音なに?』『カノジョ?w』。馬鹿な信者たちでも気づき始めてる。空気が変わる。魔法が解けていく。

 私はマウスを握りしめすぎて、プラスチックの筐体がミシミシと悲鳴を上げた。

 許さない。

 私のルカ様を、お前みたいな三流の男が私物化することは許さない。

 お前には荷が重いんだよ。その神の衣を着る資格がない。脱げ。今すぐ脱げ。皮を剝いで、中身を焼却炉に放り込んでやりたい。

 私は配信画面を最小化した。もう見ていられない。これ以上見たら、私はモニターをバットで粉砕して、そのガラス片で自分の手首を切ってしまいそうだから。

 代わりに私が立ち上げたのは、動画編集ソフト『Adobe Premiere Pro』と、波形編集の最終兵器『iZotope RX』。

 これが私のメス。これが私の聖剣。

 私は、さっきまでの配信の録画データ──汚染されたデータ──を読み込む。タイムライン上に展開される、ルカ様の声の波形。

 ここだ。ここが腐ってる。

 私は外科医のような冷徹な手つきで、波形を拡大する。

 あくびの音。カット。

 水を飲む音。カット。

 通知音。スペクトル修復ツールで完全に除去。

 気だるげな語尾。ピッチシフターで半音上げて、元気を注入。

 息継ぎのノイズ。ディエッサーで滑らかに研磨。

 カチカチカチカチカチカチッ!

 私の指は高速でリズムを刻む。それは怒りのドラムビートであり、鎮魂の祈りだ。

 汚い部分を全部削ぎ落として、磨いて、洗って、漂白する。

 ほら、綺麗になった。

 私のルカ様が帰ってきた。

 編集された音声データを再生する。


『──こんルカ! いやー、マジ最高……。コーラうめ、生き返るわー。あ、わり。ちょっと通知が……でも無視! 今はみんなとの時間が大事だからね!』


 完璧。

 継ぎ接ぎだらけのフランケンシュタインだけど、オリジナルよりもずっと「本物」らしい。

 私はヘッドホンから流れる、私が再構築したルカ様の声に聴き惚れる。

 これだよ。これがルカ様だよ。

 あの中の人がサボっている仕事を、私が代わりにやってあげたんだ。私がルカ様を救ってあげたんだ。

 ヘッドホンの中で、ルカ様が完璧な声で私に囁く。

 でも、編集画面のタイムラインを見つめる私の目は、どんどん冷えていく。

 これは死体だ。

 どんなに綺麗に化粧をしても、これは過去の切り貼りで作ったゾンビだ。生きていない。私に反応してくれない。

 画面の向こうのルカ様は、あんなに近くにいるのに、永遠に遠い。

 その距離が、その断絶が、私を狂わせる。

 悔しい。

 悔しい悔しい悔しい悔しい。

 ルカ様の「ガワ」はこんなに美しいのに、なんで中身があんなポンコツなの?

 なんで神様は、よりにもよってあんな男を選んだの?

 間違ってる。

 キャスティングミスだ。

 モニターの青白い光が、私の歪んだ顔を鏡のように映し出していた。そこにあるのは、純粋なファンの顔じゃない。飢えた獣の顔だ。

 まだ足りない。

 アーカイブを修正するだけじゃ、私の渇きは癒えない。

 もっと根本的な、システムそのもののバグを修正しないと気が済まない。

 私の心臓の奥底で、ドロリとした黒いタールみたいな感情が、ボコボコと沸き立っていた。

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