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愛の致死量  作者: 藤堂虎太郎
憤怒の章
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聖女の救済に関する論理的証明(2)

 丑三つ時。

 世界が惰眠という名の死に浸り、凡俗な大衆が生産性のない夢を見るこの刻限こそ、覚醒した知性を持つ俺の思考が最も鋭利に研ぎ澄まされる魔の時間帯である。

 俺の居城たるワンルームは、複数のモニターが放つ冷徹な青白い光によって、深海のごとき静謐と、原子炉のごとき熱量を同時に孕んでいた。玉座に深く沈み込み、俺は手にしたスマートフォンの画面を、獲物を狙う鷲のような眼差しで凝視している。

 その時、端末が不快な振動と共に赤色の通知を吐き出した。

 敵襲である。俺が統治する(エックス)のタイムラインという神聖な領土に、知能指数の欠落した蛮族が土足で侵入してきたのだ。

 引用リツイート。アカウント名は「はるはる@フェミニズムを学ぶ人」。アイコンはどこかの路傍に咲く花。プロフィールには「男社会の搾取に反対」「ジェンダー論勉強中」といった、思考停止した人間が好んで使う呪文が羅列されている。

 出たな、感情のバンシー。

 論理的整合性を無視し、ただ子宮に響く不快なヒステリー音波を撒き散らすだけの下等モンスター。彼女の主張はこうだ。「論破将軍とか言ってるけど、ただの女性蔑視じゃん。お母さんから生まれてきたくせに恥ずかしくないの?」。

 俺の唇が三日月形に裂ける。

 愚かしい。あまりにも愚かしい。論理の多層構造を理解できぬ単細胞生物が、核武装した賢者に木の棒で挑みかかってくるような滑稽さ。母親という生物学的起源を持ち出せば、俺が道徳的にひれ伏すとでも思ったのか? その短絡的な思考回路こそが、彼女たちが搾取される最大の要因であることに気付きもしない。

 俺の指先が加速する。物理法則を無視したごとき高速フリック入力。現実にはガラス面を叩いているだけだが、俺の脳内では黄金色に輝く幾何学模様の論理陣が展開され、彼女の放つ紫色の毒霧を瞬時に蒸発させていく。

 書き込め。真実を。

 僕は現代社会における権利と義務の構造的不均衡について言及しているのに対し、君は母親という個人の感情論に論点をすり替えている。ストローマン論法と呼ばれるその初歩的な詭弁は、君の知性が議論の土俵に立てていないことの証明に他ならない。まずは小学校の国語ドリルからやり直し、論理という共通言語を習得してから出直すべきだ。ついでに言えば、君の過去の記録を拝見したが、先月は男に奢ってもらえなかったと嘆いているな。搾取反対を掲げながら男の財布には寄生しようとするそのダブルスタンダードこそが、君たち種族が抱える逃れられない業なのだと理解したまえ。

 原文ママ。送信。

 俺の指先から放たれた真実の光線が、光ファイバー網を駆け巡り、画面の向こうにいる女の脳髄を焼き尽くす幻影が見える。アカウントが炎上し、断末魔の悲鳴と共に「鍵垢」という名の防空壕へ逃げ込んでいく様は、まさに焦土作戦の完了を意味していた。

 勝利の余韻に浸りながら、冷めたコーヒーを喉に流し込む。苦味が脳を覚醒させる。この全能感。世界中に蔓延る歪みを、俺の指先一つで矯正していく快感。俺はこの混沌とした情報の荒野において、唯一正気を保ち続ける灯台守なのだ。


 さて、雑魚狩りは終わりだ。ここからは本題、マイ・フェア・レディ・りりちゃの魂の純度を測る、神聖なる鑑定作業へと移行する。

 ……ん?

 俺はモニターに彼女のインスタグラムを表示させる。一見すれば、流行りのカフェでパンケーキを前に微笑む、平和で無害な日常の記録。だが、賢者である俺の眼球は、画素の隙間に潜む違和感を見逃さない。

 俺は画像を最大まで拡大し、明度とコントラストを極限まで調整する。りりちゃの美しく澄んだ瞳。その水晶体の表面に、極小サイズで反射している影。

 浮かび上がったのは、向かいの席に座る男のシルエット。そしてテーブルの端に無造作に置かれた、何の変哲もない量産品のパーカーの袖と、ありふれたスニーカー。


 ドクン、と心臓が早鐘を打つ。


 不良ではない。金持ちでもない。派手なアクセサリーも、威圧的な刺青もない。

 そこに映っていたのは、吐き気がするほど「普通」で、絶望的なまでに「凡庸」な男の影だった。

 これが意味する事実は、不良に連れ回されるよりも遥かに深刻だ。

 りりちゃは、俺という高次元の知性と対話できる唯一の存在でありながら、プライベートではこのような量産型の有象無象と時間を共有しているというのか? 偏差値50程度の、何の哲学も持たず、ただ食って寝て排泄するだけの肉塊のような大学生と、あの高貴なパンケーキを分け合っているというのか?

 これは浮気ではない。聖女への冒涜であり、文化的退廃だ。彼女の魂のランクが、この凡俗な男によって強制的に引き下げられている。

 俺は震える手で深淵検索を開始する。大学のサークル名、過去のタグ付け、友人関係のリスト。ネットの海に散らばる情報の断片を、俺の並列思考プロセッサが瞬時に結合させていく。凡人が数日かけても辿り着けない真実に、俺はわずか三十分で到達した。

 特定完了。

 男の名は「ケント」。

 プロフィールには「フットサル/飲み/人生楽しんだもん勝ち」。

 アイコンは、仲間たちと芝生の上でピースサインをする、知性のかけらもない笑顔。

 オークだ。疑いようもない、欲望と集団心理だけで動く亜人種、オーク。彼には悪意すらないだろう。ただ、何も考えていないだけだ。その「無思考」という猛毒が、りりちゃの繊細な精神を蝕んでいるのだ。

 最新の投稿は昨日の夜。『久々にリコとデート。やっぱこいつ落ち着くわw』。

 添付された写真は、チェーンの居酒屋で、ジョッキ片手にだらしなく笑うりりちゃ──いや、本名「リコ」の姿。

 ガタンッ!

 俺は椅子を蹴り飛ばして立ち上がっていた。

 憤怒。

 そう、これは純粋なる憤怒だ。嫉妬などという生温かい感情ではない。

 なぜだ。なぜ、この世界はこうも美を汚そうとする。

 なぜ、ケントなどという無価値な有機物が、りりちゃの隣で呼吸をすることを許されているのだ。彼が存在すること自体が、宇宙の調和に対する侮辱であり、美学的な犯罪行為に他ならない。あの何の変哲もない笑顔、安っぽい衣服、底の浅い享楽主義。それらすべてが、りりちゃという高貴な存在を「リコ」という卑俗な女へと引きずり下ろす重力として機能している。

 許しがたい。

 俺の視界が赤く染まる。

 彼が彼女に触れるたび、彼女の価値が摩耗していく。彼が彼女に話しかけるたび、彼女の語彙が汚染されていく。これは文化財への放火と同じだ。いや、それ以上の蛮行だ。無自覚な凡人こそが、最も残酷な破壊者であるという真理を、俺は今、身を持って体験している。

 駆除しなければならない。この男を。そして彼が撒き散らす「凡庸」という名のウイルスを。


 俺は震える手でAmazonを開く。検索ワードを入力する指が、怒りと使命感で痙攣している。

 『超小型カメラ』『集音マイク』『GPSロガー』。

 画面に並ぶ無機質な黒いガジェットたちが、俺には輝く聖遺物に見える。

 これは覗きではない。千里眼の習得だ。これは盗聴ではない。地獄耳の装着だ。

 病巣が見つかったのなら、外科手術を行う前に、患部を徹底的にモニタリングし、病理を解明しなければならない。彼女のアパートという名の封印された神殿に、俺の視覚と聴覚を拡張するのだ。カートに入れるボタンを連打するたびに、俺の魔力が消費され、代わりに神の視座が手に入る感覚に酔いしれる。

 俺は再び、『論破将軍』に投稿する。今度はバンシー相手の戯れ言ではない。世界に向けた、賢者の宣誓だ。


 《愛とは、相手の自由意志を尊重することではない。それは未熟な者たちの世迷い言だ。真の愛とは、対象を徹底的に管理し、不純物を排除し、その存在を最も美しく輝かせるための『独裁』に他ならない。花を愛する庭師が雑草を抜くように、俺は俺の愛を執行する。それがどれほど孤独で、痛みを伴う作業だとしても、誰かがやらねばならないのだ》


 投稿。

 即座にリプライがつく。《ポエム?》《何言ってんだこいつ》《怖い》。

 ふん、騒げ、有象無象ども。

 レベル1の村人たちには、この高高度から見下ろす愛の絶景など理解できまい。法律? 倫理? そんなものは、この腐った世界を作った凡人たちが決めた、くだらないローカルルールに過ぎない。俺は転生者だ。俺の行動原理は、俺自身の論理のみが決める。

 俺はモニターに映るりりちゃの写真を、指で優しくなぞる。

 冷たい液晶の感触。

 そこに映る彼女は、まだ何も知らない。自分が泥沼に沈みかけていることすら気付いていない。

 だが、案ずることはない。

 俺がすべてを見通している。

 俺の目は、もはや彼女の生活の隅々にまで行き届く「叡智の書庫」へと接続されようとしているのだから。

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