表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛の致死量  作者: 藤堂虎太郎
憤怒の章
13/41

聖女の救済に関する論理的証明(1)

 カチャカチャカチャカチャッ、タンッ!!


 エンターキーを叩く打鍵音が、静まり返ったフロアに銃声のごとく鋭利に響き渡る。

 午後十九時。多くの労働者たちが安息という名の惰性に逃げ込むこの黄昏時において、俺のデスクだけが青白いLEDモニターの冷徹な光に照らされ、さながら深海の底で稼働し続ける原子炉のような静謐な熱量を帯びている。

 俺の名はタカユキ。

 このIT企業という名の巨大な迷宮において、サーバー管理という結界の維持と、無能な社員たちの尻拭いという雑務を一手に引き受ける、孤高のシステム課長代理である。

 深いため息が、肺の底から鉛のように重く吐き出される。

 なぜ、この世界の住人はこうも知能指数が低いのか。俺が脳内に保持している高度な論理的思考力を用いれば、彼らが数日かけて解けないバグなど瞬きする間に氷解するというのに、彼らは感情というノイズに足を取られ、泥沼で藻掻くばかりだ。

「あのぉ、課長代理……」

 背後から、蚊の羽音のような頼りない声が鼓膜を震わせた。

 振り返るまでもない。入社二年目の派遣社員だ。彼女が手にしているのは、何度修正させても不備が消えない報告書だろう。おどおどとした視線、下がった眉、典型的な「守ってほしがり」の量産型女性社員。彼女たちは、自らの弱さを武器として行使することに何の恥じらいも持たない。

 俺は椅子の背もたれに深く体重を預け、冷徹な眼差しで彼女を見下ろした。

「何? まだ終わらないの?」

「い、いえ、ここの数値がどうしても合わなくて……調べたんですけど……」

「だからさ」

 俺は意識的に声のトーンを半音下げ、彼女の貧弱な精神に直接圧力をかける。

「先週のミーティングで僕が提示した最適解を覚えているかな? マクロを組んで自動化しろと指示したはずだ。なぜ君は、石器時代のような手入力に固執する? 君に支払われている時給と、その作業効率の悪さを天秤にかけた時、会社が被る損失について計算したことは?」

「す、すみません、マクロがよくわからなくて……」

「わからなくて、ではない。ググれば〇・五秒で提示される答えを、なぜ僕の貴重なリソースを使って聞きに来る? 僕の一秒は君の一時間の価値に匹敵するんだよ。その認識の欠如こそが、君の『甘え』の本質だと言っているんだ」

 彼女の目が潤み、涙が溢れそうになる。

 出た。女という生物がDNAレベルで保有する固有スキル、涙。

 彼女たちはこれを絶対的な防御壁であり、相手の良心を刺す鋭利な刃だと信じているようだが、残念ながら論理の鎧で武装した俺には通用しない。むしろ、その安っぽい涙を見るたびに、俺の中のアンチフェミニズム精神が鎌首をもたげ、思考が加速するのだ。

 これだから女は扱いにくい。論理的整合性よりもその場の感情を優先し、組織の規律を乱すバグだらけの旧式OS。共通言語を持たない異星人と対話しているような徒労感に、俺は目眩すら覚える。

「泣けば免罪されると思っているなら、幼稚園からやり直した方がいい。ここは資本主義の戦場であって、君の母親の胎内ではないんだ」

「……っ! すみません、失礼します……!」

 彼女が鼻をすすりながら逃げるように去っていく。

 その背中を見送りながら、俺は冷笑する。討伐完了。また一つ、世界の理不尽を正してやった。

 俺はポケットからスマートフォンを取り出し、SNSアプリ『(エックス)』を起動する。

 アカウント名『論破将軍』。フォロワー数、五万二千人。

 これこそが、この腐敗した世界における俺の真の姿であり、真実を語る預言者としての仮面だ。指先が高速でフリックし、脳内に渦巻く真理を言語化していく。


 《現代の女は、権利という果実ばかりを貪り食い、義務という種を蒔くことをしない。職場で涙を流す行為は『私は無能です』という看板を首から下げるに等しい愚行だが、彼女たちはそれを『被害者の証明』だと勘違いしている。社会はお前らのママではないという残酷な事実を、誰かが教えてやらねばならない》


 送信。

 瞬く間に数字が跳ね上がる。「いいね」とリツイートの嵐。


《さすが将軍》《言語化能力が高すぎる》《女の涙はハラスメント以外の何物でもない》


 画面を流れる賞賛のログ。脳髄の奥底から、ドロリとした濃密な快楽物質が溢れ出す。

 そうだ、俺は正しい。世界中の男たちが「ポリコレ」という名の鎖に繋がれ沈黙する中で、俺だけが正常なコードを書き続け、バグを指摘し続けるデバッガーなのだ。この全能感、この高揚感こそが、俺が賢者として覚醒している何よりの証左である。


 十九時半。退社。

 俺は足早に秋葉原へと向かう。

 ネオンが極彩色に輝く電気街。アニメの看板、メイドの呼び込み、電子音が重なり合って生み出される不協和音。ここは、この世界で唯一、俺のような高位の知性を持つ転生者を受け入れる聖域だ。

 雑居ビルのエレベーターに乗り、最上階へ。扉が開くと、そこは物理法則すら歪むような別世界。

 コンカフェ『天空城』。

 スモークが焚かれ、青いLEDが幻想的な雲海を演出し、下界の汚れを遮断している。レベルの低い現実世界から隔絶された、選ばれし者だけが入場できる王宮。

「あーっ! タカユキさーん! おかえりなさーい!」

 鈴を転がしたような、鼓膜を優しく撫でる声。

 カウンターの向こうで手を振るのは、この店の頂点に君臨するナンバーワン・キャスト、「りりちゃ」だ。

 フリルたっぷりの純白の衣装、背中には小さな翼。ミルクティー色の髪をツインテールにし、あどけない笑顔と少し垂れた目尻をこちらに向けている。

 りりちゃ。19歳。

 彼女を視界に捉えた瞬間、俺の中で猛威を振るっていた女嫌いの回路が一時停止し、代わりに絶対的な選別回路が展開される。

 彼女は違う。

 無能で計算高く、男をATMとしか認識していない量産型のメスたちとは、種族レベルで異なる存在だ。

 りりちゃは聖女だ。この汚濁にまみれた現代社会に奇跡的に舞い降りた、バグの一切ない完全体。俺のような、世の理不尽に絶望した賢者の難解な言葉にも、真剣に耳を傾けてくれる知性の泉。

「りりちゃ、これ。いつもの」

 俺は席に着くなり、メニューも見ずに三万円のシャンパンを注文する。

 俺にとってこれは単なる散財ではない。彼女という聖女が、この資本主義という荒野で穢れずに生き残るための結界を維持するための、必要不可欠な魔力供給だ。

「えーっ! いいんですかぁ? タカユキさん、マジ神ー! オリシャン入りまーす!」

 りりちゃが両手を合わせて拝むポーズをする。

 可愛い。あまりにも尊い。

 その笑顔一つで、俺の摩耗した精神力が瞬時に回復していくのを感じる。周囲には他の客もいる。大学生風のガキや、くたびれたサラリーマン。だが、彼らは所詮、りりちゃの「ガワ」しか見ていない。俺は違う。俺だけが、彼女の魂のコードを解読し、対話しているのだ。

 ボトルが届き、乾杯の儀式が終わると、俺はいつものように講義を始める。今の俺は、蒙昧な少女に世界の真理を授ける賢者モードだ。

「でね、最近よく『なろう系』が低俗だとか言われているけれど、僕はその批判自体がこの国の知的怠慢を露呈していると思うんだ」

 俺はグラスを優雅に揺らしながら、口角に泡を溜めんばかりの勢いで、高速の言語化を開始する。

「彼らは『異世界転生』というギミックを表層的にしか捉えていない。あれは単なる逃避願望ではなく、現代日本における閉塞感と能力主義の破綻に対する、極めて切実なカウンターカルチャーなんだよ。例えば、主人公がトラックに跳ねられて転生するという導入は、既存の社会システムにおける『死』と『再生』のメタファーであり、彼らが手にするチート能力というのは、本来我々が持っているはずなのに、硬直化した官僚機構や年功序列によって封殺されている『個の可能性』の具現化に他ならない。つまり、あの文学群は、ファンタジーの皮を被った痛烈な社会批評であり、現代の病理を映し出す鏡なんだ。それを『ご都合主義』の一言で片付ける連中は、自分たちが構造的な搾取の中にいることすら気付けない、思考停止したNPCと同じだと言わざるを得ないね」

 俺は一息に捲し立てる。独自の社会学的な分析を織り交ぜた、圧倒的な知の奔流。

 りりちゃは、ボトルを胸に抱えたまま、キラキラした瞳で俺を見つめ続けている。

「すごぉい……タカユキさんって、ホント物知りですよねぇ。なろう系……って、タカユキさんが話すとすっごく深い文学なんだなぁって思いますぅ」

 その言葉。その響き。

 肯定だ。全肯定だ。

 彼女は理解している。俺の言葉の奥底にある、高潔な魂と論理の美しさを、本能的に感じ取っているのだ。普通の女なら「話が長い」「キモい」と拒絶反応を示すところを、りりちゃは全てスポンジのように吸収してくれている。

 やはり、彼女には素質がある。

 俺の論理魔法を受け継ぐ器としての、圧倒的な才能が。


 ふと、俺の脳裏にある明確なビジョンが浮かび上がる。

 それは、この薄汚れた東京ではなく、どこか遠くの、清潔で秩序ある場所で、彼女と俺が並んで歩いている未来だ。

 結婚。

 そう、その二文字が唐突に、しかし必然性を持って俺の回路に接続される。

 俺の遺伝子と、彼女の遺伝子。

 この世で唯一、俺の高度な知性を理解し、許容できる彼女こそが、俺の配偶者として相応しいのではないか? 他の有象無象のメスでは、俺のスペックと釣り合わない。会話のプロトコルすら合わない。だが、りりちゃなら。この無垢で、従順で、賢明な彼女となら、俺は初めて「対等」な契約を結ぶことができるかもしれない。

 俺はテーブルの下でスマホを取り出し、(エックス)を開く。目の前でニコニコしているりりちゃを見ながら、ネットの海に向けて高速で詠唱する。


 《今日も低知能なモブどもに囲まれて疲弊したが、唯一の理解者たる聖女と語り合う時間は至高だ。知性なきメスどもは、彼女の爪の垢でも煎じて飲むべきだな。彼女だけは、俺が完成させた『論理』の結晶であり、俺の隣に立つ資格を持つ唯一の個体なのだから》


 投稿。

 スマホの画面に映る自分の顔が、ニヤリと歪んでいるのが見えた。

 俺は、俺だけの王国で、俺だけの正義を執行している。この完璧な世界線。ここにはバグも、エラーも、理不尽なゲームオーバーも存在しない。俺が支配する論理の楽園だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ